大洋ボート

近代天皇制・メモ

  江戸末期以前では、庶民が天皇の姿に触れることはほとんどなかったと思われる。また意識することもそれほどなかったのであろう。庶民にとっては支配者は徳川将軍であり、地元の藩主であった。それが明治になって忽然と天皇が姿を顕したのみならず、国家体制とともに同時的に畏敬しなければならない存在として庶民の前に大きく顕在化した。単に伝統の継承者でもなく祭祀でもなくなった。普段は御所の奥に引きこもった縁遠い存在ではなくなった。明治新体制の「統帥者」としてその中心に天皇は置き換えられたのだ。
  明治新体制は西欧諸国と対等の地位を確立するために国家的法体制を整備しなければならなかった。外交交渉ひとつとっても外国から見たとき国家の法的構図を明らかにしなければならなかった。そのために天皇を担ぎ出さなければならなかったが、天皇に無制限の権力を委ねたのではない。「絶対君主」ではなく「立憲君主」としてだ。徳川体制を打倒した以上、天皇以外にはこの役割を担いうる存在は無かったと思われる。天皇が絶対君主ではないということは、国家と法に従属しそのもとで制限を加えられる存在であるということだ。一方、天皇の宗教性は神話や神道にもとづいて無視しえないものだったので、国民(庶民)の前にその宗教性、宗教的権威を江戸末期よりもより鮮明にし喧伝しなければならなかった。仏教はじめ「八百万の神」が併存するという日本国において国家神道の優越性の定着が図られた。これは宗教界からのみならず、国民の側からも運動として澎湃として沸き起こった。「下からのファシズム」と呼んで差しつかえない性質のものだ。
  特に1930年代半ば以降の天皇機関説批判や国体明徴運動の席巻は、国民の多くの賛同がなければ成立しえないもので、アジア太平洋戦争にいたるイデオロギー的基盤が形成された。日清、日露戦争、第一次大戦、満州事変と日本は敗北したことが無かったので、国民意識としては奮闘努力を傾注すれば勝利をもたらされるという確信が勢いづいた。国民としてはかかる見通しをもっても仕方がないのではないかとわたしは思うが、それは軍部が彼我の正確な戦力分析を怠ったから、また間違ったからだ。戦を煽る軍を国民は信頼していた。
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憲法論ノート

  憲法は曖昧な部分を引き摺る。さまざまな解釈が思想的立場によって加えられる。またときどきの国民意識によって憲法が照らし返される。憲法は固定された字面だから、みずからはそれ以上のことは語らないので、不明な部分は「解釈」によって補填される。つまり、憲法は固定された条文とともにその解釈が加えられたかたちで一定期間の歴史を形成するといえる。
   天皇制は明治憲法以前からある。明治憲法は天皇の神話性と宗教性を追認しつつも、その権力に制限を加えた。たとえば勅命は担当大臣の副署が必要とされる、というように。だが「現人神」(あらひとかみ)「現御神」(あきつみかみ)というように国民の宗教的親密性をおのずから要求するところが天皇制にはある。この親密性を国民の側から意志的に強固にすればするほど、憲法によって加えられた天皇の権能の制限性は障碍にすら映るのではないか。天皇が政治権力を滅多なことでは行使しないことに物足らなさを感じるのではないか。また同じことの側面ではあるが、天皇の宗教的優位性は、政治を担当する政党や政治家にたいする侮蔑心を国民のなかになかば無意識的に造りだすのではないか。天皇よ、もっと民に近づいてください、普段から声をかけてください、そしてわたしたちからもまた天皇にもっと近づいても差し支えはない、近づくべきだという欲求が形成されるのではないか。天皇を憲法体制で定められた以上に祀り上げるべきなのではないか……。法と宗教との対立・分裂が生起する余地がそこにはある。「現人神」が同時に立憲君主を兼ねるという憲法制度は西洋では無いそうだ無いそうだ。
  「天皇機関説」排撃運動は国民の危機意識の反映だろう。数年前以来の満州事変や満州国樹立、国際連盟脱退、ナチスドイツの台頭など、1935年は国家的地殻変動を体感せざるをえない年だった。天皇への国民意識の結集の喫緊性がもとめられた。戦争体制への準備として。しかし国体明徴運動なるもの、まったく非論理的かつ排撃的で、首を傾げざるを得ないものだ。これに同調的態度を執った政治家は情けない。

    11:46 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

政と軍・ノート

  軍隊の政治介入について。軍隊は一国家内の最大実力(暴力)組織であるから、軍隊が一致結束して政権転覆を企てれば容易に完遂される。軍人はそのことを知悉している。
  軍は戦争の専門家集団である。自己組織の能力を知悉していると見做される。他国との戦力比較についても政治中央よりも知識に長じているとされる。それゆえ軍における彼我の戦力分析や軍事的判断に致命的誤りがあって戦に突入すれば敗北へと転げ落ちる。第二次世界大戦の日本がまさにそれに相当した。
  軍隊の予算措置は政治中央の専権事項であるから、軍隊は政治中央との折衝・交渉を余儀なくされる。軍隊の生殺与奪の権限を政治は有している。つまり軍は通常は政の下部に位置する。
  軍隊は戦争の準備をしなければならない。また防衛体制に怠りがあってはならない。だが戦争開始か回避かを決定するのは政治中央である。戦争の勝利によってもたらされる「戦果」とは領土の拡大や資源のあらたな確保、経済権益の強奪などであるが、戦争の規模が大きければ大きいほど戦に伴う犠牲も甚大になる。人命の喪失、負傷、経済インフラの破壊、食糧難等。戦に勝利しても歓びは小さく、虚無感や厭戦気分が蔓延する。政治はこれらのことを総合的に判断して和戦を決定しなければならない。犠牲が甚大であろうことが見通せるならば、断固戦争は回避すべきである。
  世論について。政と軍が対立的関係に長く有った場合、もし世論が軍を支持すれば、軍は気を大きくできる。軍の規模拡大や政治介入がより容易に可能となるように見なされるからだ。だが世論の支持を後ろ盾にしてそれを為そうとすることは情緒的ではないだろうか。軍の規模拡大の成否は一国内の政治的争いではあるが、戦争は対外的である。軍人は冷徹な判断を喪ってはならない。
    13:34 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

数Ⅰ参考書

  高校生用の数学Ⅰの参考書をときどき開く。週に一度か二度。指定された項目の範囲における公式や記号の説明があって、それらを用いた基礎的な例題があって例題の解き方が記述される。そのうえで同レベルの問題があり、さらには難度が少し上がる応用問題が集中する。……わたしは因数分解以外はほとんど覚えていないので簡単な問題でも解けないことが多い。暗算も間違えることがあり不正解もある。また正解だけを解答の頁にあたって参照しても腑に落ちないことがあり、正解を導き出すまでの過程が記述によってわかってやっと「理解」できる。応用問題でもすでに解いた問題と同レベルのものなら解けるだろうと思い、ややほっとする。解くスピードはものすごく遅いのだが。
  公式の暗記と応用問題の解き方の会得によって数学問題集は進んでいける。数学は数字の正しさに始って、隅から隅まで「正しさ」によって頑丈に築かれている。それがほんとうに正しいのか、果たして自分の身についているのか、頼りない気がすることがあるが、とりあえずは参考書が説く問題の解き方を模倣していくしかない。確信が持てなくても模倣なら先んじてできるということだろう。
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