大洋ボート

伊藤永之介「万宝山」今村栄治「同行者」徳永直「先遣隊」

  伊藤永之介の「万宝山」は1931年7月に起きた万宝山事件を題材にしている。長春西北の万宝山付近に入植した朝鮮人農民と中国人農民が対立し、日中双方の警察を巻き込んでの衝突事件となったといわれる。
日韓併合によって零落した下層農民が満州地域に農地をもとめて移住するが、日本の警察は存在するものの庇護するに足りるだけの人数ではなく、逆に中国警察が政府の朝鮮人農民排斥政策にのっとって中国人農民と結びついて実力行使でもって彼等を妨害・排除しようとした。例えば、小説に描かれた朝鮮人農民は地主から正式に借地権をえた状態であるにもかかわらず、地主は中国警察の強権によって彼等に即刻の立ち退きを申し渡すという始末で、つまりは安定した法秩序の無い地域が満州であったのだ。
  おそらく数十人の朝鮮人農民であろう。前述した某地にたどりついた彼等が開墾をはじめるが、満州は水利が悪いところで、河から水をひかなければならないにもかかわらず、日本領事館から許可がなかなか下りない。播種期がせまっているから交渉をつづけるとともに水路の掘削にも彼等はとりかかる。播種を終え、後は河を堰きとめる工事をするばかりになった頃に、巡警と呼ばれる中国警察と中国人農民が襲撃してくる。大半の工事を朝鮮人にやらせたうえで農地を強奪しようとするのだ。銃をはじめ中国側には武器が事欠かず、一方朝鮮人にはそんなものはない。頼りにならない日本警察にすがるしかないのだ。正面切って抵抗するでもなく、あっさり逃げるでもなく、なんとか踏みとどまろうとする朝鮮人農民の無力がよく描かれている。
  危険を承知で堰きとめ工事は実行される。そうするしかないのだ。収穫期までは食糧不足に耐えなければならず部落は飢えと栄養不足による赤痢に見舞われ、子供たちがつぎつぎ死んでいく。また主人公の女性裴貞花(ベチョンハ)の夫も中国警察に連行されたのち消息不明になる。男性は動きまわる。女性は昼間は工事を手伝うことができても夜間は子供を置き去りにできず、家のなかでじっとするしかない。特に襲撃のさなかは息を殺したように緊張に耐えるしかない。何かしたいという思いはあってもそれはなく、事態の推移のなかに立ち会うしかないのだ。
  わたしがはっとしたのは銃撃の描写だ。わたしたちはアクション映画でいやというほど銃弾が飛び交う場面を見させられて、絵空事を承知で楽しんでしまい、それは別段悪くはないと思うものの、現に飛び交う銃弾というものの実相からとおざかってしまっている。

突然パーンと銃声が弾けた。
耳朶を刃物で切るようなシュッという無気味な唸りが、湿った空気を通り抜けた。


銃声がグッと此方に接近したようだった。銃丸(たま)の唸りが渡鳥のように低い空をよぎった。

  銃弾とは触れれば怪我をする、悪いと死ぬものだ。こんな当たり前のことが、恐怖が、臨場感豊かに表現されている。無論、銃弾ばかりではなく、出来事全体が作者にとって切実さをともなって捉えられている。襲撃に慌てふためく男女の一連の動きのなかでの銃弾。「万宝山」には朝鮮人農民への真面目な同情があり、それが根にあって万宝山事件の実相を日本人・朝鮮人の読者にとどけたかったのではないか。
  推測になるが、名目上は「日本人」となったものの朝鮮人にたいしては、日本警察はそれほど警護に重きをおかなかったのではないか。また、それを見越しての中国人側の襲撃ではなかったのか。この短編はほぼ同時代に発表された。初出「改造」1931年10月号、とある。万宝山事件の2か月後の9月18日満州事変が勃発する。
  今村栄治「同行者」の初出は「満州行政」1938年6月号。時代はさかのぼって「万宝山」と同じく満州事変直前である。主人公の朝鮮人青年のいる長春の宿の部屋には日本軍の演習による銃声が聴こえてきて、日支衝突の噂が広がっている。だが青年にとっては大きな政治(戦争)の帰趨よりも自分の身の処し方が切実だ。朝鮮半島においては、日本の政策に賛同して日本人に成りきろうとする者と朝鮮人ナショナリズムを固守する者とが分裂した。青年は前者の立場で、日本語を習得して大連で日本人と交わってきた。十年以上朝鮮語を使わず「完全な日本人」となったとは本人の自覚である。だが大連での生活も行きづまり、今満州の田舎に移民している兄のもとへ赴こうとしている。都会暮らししか知らない青年にとっては百姓暮らしには自信なく、また魅力ももつことができない。日本人によって排斥されたのかどうかは不明だが、日本人にもなりきれない、かといって朝鮮人の保守的文化にも今さら慣れることができないという、青年はジレンマのただなかにいるようだ。
  そうしたなか、主人公はさらなる民族分断と異民族(日本人)の猜疑にさらされることになる。「同行者」とは荷馬車で二日かかる同じ場所に行く同乗者の日本人で、彼が朝鮮人の同行者をもとめていて宿の主人に紹介された。その日本人は「鮮匪」と呼ばれる満州地域の朝鮮人の犯罪集団を非常におそれていたので、同じ朝鮮人同士での無事なやりとりを期待してのことだった。だが実際に鮮匪が待ち伏せする場面に直面すると、日本人は青年に鮮匪の手引きをしたのではないかと疑ってかかるという結末が待っている。青年にとってはまったくの濡れ衣だが、日本人の朝鮮人にたいする心の底にある警戒心や猜疑がここへきて如実に顕れた感がある。異民族融和や、同民族内(鮮匪と青年)の団結、こうした言葉はうつくしいのかもしれないが、実現にはとおいことを青年は危機とともに実感するようだ。
  作者の今村栄治は朝鮮人で、完璧な日本語で小説や戯曲を発表しつづけたが、1945年8月15日以降、消息不明となったと作者紹介にある。朝鮮語よりも日本語が堪能だったそうで、まるで本短編の主人公さながらだ。日本にあまりに寄り添い過ぎて、戦後、身の置きどころがなくなったことが想像される。
  徳永直の「先遣隊」は満州国成立後が舞台。大人数の満州移住に先立って1年前に少人数の部隊が移住してその準備をととのえるのが「先遣隊」である。測量、農地開墾、播種、収穫を終え、さらに冬場には家屋建設をできるだけ多く成しとげるという工程となっている。中国人匪賊の襲撃にも見舞われるが、日本人も武装しており、互角に応戦できる。だが、満州の冬はながく、その夜の静寂はおそろしい。男ばかりの集団でなかには好きな異性を本土に残してきた者あり、また写真だけで結婚が決まった者がその写真を繰り返し見てはなぐさめにする。夜の静寂のなかからすすり泣く声が漏れてくると、それは単身で渡ってきた給仕係の少年である。このわびしさ、寂しさは読んでこたえる。渡満にあたっては永住の決意をしたものの、ともすると心が揺らぐ。「屯墾病」という言葉が出てくる。ホームシックが高じ、さらには匪賊の恐怖もくわわって神経衰弱に陥るという病である。青年の一人がこれに罹って日本へ帰っていく。だが郷里の村では満州移住の準備が少なからぬ希望とともになされている最中で、青年には居場所がない。
  結末はハッピーだ。満州移住の人に混じって青年もふたたび渡満し、先遣隊の青年たちは結婚相手や好きな女性と合流し、再会をはたす。この時代の日本人のいきおいと幸福感を感じさせる好短編。満州国崩壊の運命はこの時点ではだれにも知られない。初出は「改造」1939年2月号。

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山本周五郎「葦は見ていた」「おさん」

  二編とも性感覚が深い女とその女に引きずられ耽溺してしまう男の話。相思相愛が前提として確固たるものがありながら、さらに性の深淵に二人とも呑みこまれる。戸惑い、引き返そうとしながらもそのめくるめき世界への執着を容易に断ち切ることができない。愛は性によってより高められるが、愛と呼ぶべきか、あまりにも混沌とした熱に浮かされた世界だ。
  「葦は見ていた」は若い女の川での入水自殺の場面からはじまる。この女は「おひさ」という元芸妓で、直前まで藤吉計之介という武士の屋敷に身を寄せていた。計之介の家は五百三十石持ちで父は某藩の中老という身分。武士としては上級の身分に属するのだろう。計之介本人も学業、剣術ともに優れていて将来を嘱望されていた。だが、父の葬儀のために江戸におもむいた際におひさと知り合い、関係をもってから計之介の運命が暗転する。双方とも惹かれあい、逢瀬をかさねることになる。計之介が地元に帰っても、おひさはその地に来て芸妓の職をえて二人の関係はつづく。おひさは計之介の妻になろうとするのではなく、身分のちがいもあって関係を清算しようとするも計之介への執着をたちきれない。また計之助もおひさを手放そうともせず、逢瀬をかさねることによって計之助のみならず、おひさも借金まみれになってしまう。使用人に暇を出し、目ぼしい家財道具を売り払って荒れた家におひさを迎え入れる計之介。
  計之介の行状は周囲に知れわたる。友人の杉丸東次郎の妹の深江は計之介の許嫁で、当然東次郎は計之介に忠告するが、おひさを侮辱されたととった計之介は東次郎に果し合いまで申し込む。計之介は荒んだのか、愛に忠実なのか。
  おひさの自殺は性愛の絶頂に達したという肉体的自覚とともにある。これ以上の幸福はなくあとは下り坂しかない、別れしかないという見通しだろうか。当然、計之介の出世の妨げになるという自覚は最初からある。結末は異なるが、性の幸福を道連れに事件が起きるという成り行きは映画『愛のコリーダ』に似ている。だが、おひさが何も告げずに出奔したため、計之介はおひさに逃げられたと誤解するのだ。唯一売り飛ばさなかった家宝の漢鏡をもっていかれたこともおひさへの憎しみを増幅させるのかもしれない。計之介はおひさを忘れる。深江とも結婚し、藩内の出世の階段を順調にのぼっていく。「立ち直る」のだ。こういう誤解が生じるのはやむをえないことかもしれない。
  だが不可解だったのは、おひさが自殺した同じ川で釣りをしていた計之介が偶然文箱に保管されたおひさの遺書を発見する個所だ。つたない字で「けいさま」と呼びかける部分があるが(「おひさ」の字は滲んでいて読めないとある)それでも彼は気づかないのだ。こんなことってあるだろうかと、わたしは思った。過去の身を焦がした恋と女をすっかり忘れてしまうことなんてあるだろうか。(「18年後」という時間の隔たりがあるが)たとえ細部は忘れるとしてもだ。山本周五郎は過去をすっかり忘れ果てて、眼の前のさらなる出世にのみ獲物を狙うように凝視する計之介を「悪人」に仕立てたいのだろうが、別の書き方があったのではないか。
  「おさん」は「床の間大工」の参太が親方の家での飲み会に参加し酔いつぶれてしまい、気が付くと、そこで働いているおさんが傍に居てすぐさま肉体関係に発展し、やがて所帯をもつ。だがこれは過去のはじまりというべきで、現在のはじまりは、箱根あたりの宿で参太が別の「おふさ」という芸妓と同じ部屋にいる場面で、この両者が交互に進行する仕組みになっている。だが前者のほうが中心だ。
  参太がおさんと所帯を持つ気になったのは、おさんの性的感応力の深さにある。それまでの参太は女性関係が豊富であるものの「惚れた」ことがないことが自慢だったのだが、おさんを知ってからはそうではなくなった。おさんの身体の深部から発される反応に参太は夢中になり、二人は短い期間、至福の時間を共有することになる。「愛」が性によって高められるのは「葦は見ていた」の男女と同じだ。だがまもなく参太は、おさんの性的感応力の深さと隣り合わせにある異常さに直面することになる。その興奮が進行するさなか、おさんは別の男の名を叫ぶ。あわてて問い詰める参太だが、おさんは興奮状態にあるときの自分というものがまったくわからない、覚えていないだ。別の人格になるのではなく、普段の人格が消失してしまうようで、その男の名は、おさんの父や幼なじみであったりし、特定の男ではないことがわかる。だがその異常さによって参太の愛は急速に冷め、憎しみや殺意まで抱くようになる。参太は無気味になっておさんから逃げてしまう。だがそのときには参太には「逃げる」という意識はない。少し間をおいて冷静になってみよう、よく取ればそうだが、自分の都合のいいように考えてしまうのだ。おさんがいつまでも待ってくれるという参太の思い込みだ。これは男性なら落ちこみそうな罠ではないかと、わたしは思ったところだ。

仕事が終われば帰ってくるよ、とおれは繰り返した。きっとね、待ってるわよ、とおさんは云い、すぐにまた泣きだした。あんたにいなくなられたら、あたしはすぐにだめになってしまう、すぐめちゃめちゃになってしまうわ、とおさんは云った。一年か二年はなれてみよう、おれは心の中でおさんに云った。そのあいだに事情が変わるかもしれない、おさんの癖が直るかもしれないし、おれ自身がもっとおとなになって、おさんの癖に付いていけるようになるかもしれない。口には出さず、心の中でそう云った。しんじつそう思っていたからである。


  だが案の定というか、参太の思い込み(錯覚)に反しておさんは留守居に我慢しきれず、出て行ってしまい、そのあとは次々と男を作っては例の癖のために男に憎まれ、捨てられ、あげくは殺害される。おさんの男女関係は、参太との出会いのときのように、みずからを押し付けるように男にいきなり至近距離にまで行ってほとんど同時に性交を果たすというもので、それを繰りかえしたのだ。小説は上方から江戸に帰る途中から「現在」がはじまり、やがて江戸に帰っておさんとの再会を目指して探索する参太が描かれ、上記のおさんの運命を知ることになる。おさんにとって参太はおそらく特別ではなく、何人もの遍歴した男の一人に過ぎず、別れればすぐに忘れ去ってしまう存在だったのだろう。飲み屋で同じくかつておさんと同居し、暴力のためにおさんに逃げられて意気消沈する作次という男と話す場面があるが、作次が未練をもって再開を果たしたとき、おさんは「まったく縁のねえものを見る眼つきだった」と作次は言う。
  終結近くの場面はおおいに甘い。寺の無縁墓を前にして参太が空想されたおさんと語り合うが、参太はおさんを助けられなかったことを詫びるとともに、言い訳たらたら。また、空想のおさんにとっては参太が唯一愛した男であり、参太を忘れるためにつぎつぎと他の男に身を任せたのだと言う。これは実際のおさんではなく、参太の錯覚だと思われるが、性愛の甘さを追慕するには錯覚のほうを自然に択んでしまうということだろうか。わたしにも身に覚えのあるところだが、感動のはしくれくらいは受け取れるものの、この甘さには疑問符を打っておきたい。江戸へ向かう道中の宿で参太の相手をしてくれる「おふさ」はやがて女房になるらしく、つまりは「次の女」がちゃんと用意されているのも、参太の後悔の念を薄める作用としてはたらいている。本文庫中のいちばんの力作ではあるが。

初出
「葦は見ていた」(「面白倶楽部」昭和二十九年九月号)
「おさん」(「オール讀物」昭和三十六年二月号)
それぞれの編の末尾記載による


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山本周五郎「ちいさこべ」「ちくしょう谷」「へちまの木」

  いずれも時代物。「ちいさこべ」は若い大工棟梁の事業再建の話。茂次は川越に出張仕事に出かけていたが、その間に神田にある実家兼事業所の「大留」(だいとめ)が一帯の火事によって焼失し、両親を喪った。だがその悲しみをおくびにも出さず、仕事に以前にもましていちずに取り組んでいく。例えば、その一報を耳にしても実家に飛んで帰ることはせずに川越にとどまり、普請に精を出す。江戸に帰ると、実家の仮小屋には大工や左官などの他に、十数人の子供がいる。留守の人に雇われた「りつ」という女が火事で焼け出された子供の面倒をみているのだ。りつは茂次のおさななじみ。茂次は最初はしぶるが、りつの熱心さにほだされてその事業を一緒にやっていくことになる。
  茂次は負けん気が強く、正義感の持ち主でもある。仕事で深いつながりのある縁者の援助も受け付けない。甘えることが嫌いなのだろう。それでいて仕事では文句のないリーダーシップを発揮する。部下への面倒見もいい、となればまったく非の打ちどころのない人物で、わたしのような半端者としては、それが馴染みにくい部分でもある。両親の葬式をあげないのは頑固さで、個性的といえるだろうか。「大留」の再建がなしとげられるまで両親に生きた存在として見届けてもらいたいという思いだ。さらに、この短編のもう一つの見落とせない特徴としては「許す」という主題が描きこまれることだ。預かっている子供が万引きをする。また性的興味にひきずられる(大人の誤解が本編では介在するが)。大人にとっては迷惑であり、憤激を起こさせるに十分だが、作者は茂次の口を借りて、子供とはそういう行いをどうしようもなく為す存在であり、心も清廉さがすべからく支配しているのでもない、自分の子供のころを思い出してみるがいい。だから許す気持をもって接しなければならない、という。そう言って、子供を引き連れようとしてやってきた自身番(町内を取り締まる持ち回りの警察役)らを追い返す。この短編の場合は、預かった子供を護るためであろうが、山本周五郎のイデオロギーが、「口下手」な茂次に強引に乗り移った感がある。わたしはべつに茂次の主張に反対するのでもないが。
  二十三歳とは思えない主人公の立派さ、大人ぶりだ。
  「ちくしょう谷」は「ちいさこべ」に描かれた「許し」の主題をさらに発展させたもの。剣術道場の助教の地位にあった朝田隼人が「ちくしょう谷」と呼ばれる流人村の木戸番(責任者)にみずから志願して赴任する。「ちくしょう谷」は一〇〇年以上前に藩によって設置されて、以来放置同様の状態にあった。つまりは刑務所ほどきびしい管理におかれるのではなく、脱出出奔も男女の交流も自由で、そこで生まれ育った人がそのときには大部分を占めている。木戸番は前任者の変死により空席になっていたが、人事としては左遷の意味合いがあり、また峻険な山地の奥深くにあって不便な生活を強いられるので、志願どころかだれもが忌み嫌うのだったが、隼人には、無謀とも思える構想があった。隼人の兄の織部(おりべ)を決闘によって死亡させた西沢半四郎という男が、その出来事を責められてそこに移住させられている。周辺では、西沢は卑怯な手段をつかって織部を殺害したのではないかという疑惑が根強くあり、当然隼人の耳にも達していた。隼人はだがそのことを糾明したり、その判明の次第によっては兄の復讐を遂げようとするのではない。まるで逆で、どうあっても西沢を許そうとするのだ。人間だれしも一度は間違いを犯す存在であり、それを基にむやみに断罪してはならず、可能なかぎり許さなければならないという。「ちいさこべ」では、子供の万引きを庇う主人公が描かれたが、決闘とはいえ兄を殺した人間を「許そう」とするのだから、それどころではない。法的措置一般とは随分かけはなれたいわば求道僧のような思想的態度である。さらに西沢のみならず、流人村の住人全員を、野獣同然のすさんだ生活行動から常識ある穏やかさを備えた人間に変えようという、ある種壮大な希望が抱かれ、着手される。笛などのうつくしい音楽を聴かせたり、農作業を教えたりするのだ。わたしは少しぎょっとしないでもなかった。
  時代ものにかぎらず、行動的ヒーローは作者の等身大でない場合がほとんどであろう。作者よりはかなり強いので、作者はその距離をはじめから意識したうえで、自身のある重要と思える部分をヒーローに投影するのではないか。つまりは願望が山本周五郎によって隼人にこめられているのだろうと、わたしは見た。作者の抱くであろう切迫感、あるいは日常の立ち居振る舞いから発せられる空気の撹拌、そういうものがじかに伝わってこないのが残念だ。それを書くことが目的ではないといわれればそれまでだが。だが巧妙だと思ったのは、隼人と同じような目的を、村人を良き人に変えようという志を抱いて村に居住したものの挫折した男を配置したことだ。正内老人と呼ばれるその人は、村の女の性的放縦の誘惑に負けて、子供を身籠らせてしまい、以後村に永住した。老人は隼人の行動に共感し「肝心なことは失敗するかしないかではなく、貴方が現にそれをなすっている、ということだと思うのです」と言ってくれる。
  「へちまの木」は前二作とくらべると気楽さが横溢している。旗本の三男の房二郎が養子に出されるのを厭って家出する。飲み屋で瓦版屋に勤める木内楼谷(おうこく)と知り合いになり、その瓦版屋に転がり込むという展開。それはでっち上げた記事や既に出回っている本をやさしくかみ砕いて書き直した記事などで埋められる、いかがわしいとしかいえない代物で楼谷も自虐的だ。楼谷はかつては座付きの脚本家だったが、女のことで失敗しその地位を追われた挫折者。二人は連日のように飲み歩き、房二郎は年上の女に篭絡されるという始末。まっとうな生き方はできないか、そのためにまっとうな職業にありつけないか、という嘆きが房二郎にはある。だがこれは房二郎にとっては気楽な猶予の期間だ。町人にはなりきれないと、内心別れを告げて「叔父のところへ行こう」とするのだから。
  環境は一人の人間が押しのけられるものではない。どうしても絞めつけられるので、がらりと変えてしまうことくらいはできるのかもしれないが、それでも次の環境にもまたきつい制約が待ち受けている。房二郎の嘆きは甘ったるいが、わたしの若いころを思い出すと、よくわかる気もする。


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吉村昭「海軍甲事件」「八人の戦犯」「シンデモラッパヲ」

  昭和十八年四月十八日、連合艦隊司令長官山本五十六大将ら幕僚の搭乗した飛行機が米軍機に襲撃され、山本らは戦死した。場所はブーゲンビル島上空で、前線の将兵を激励するためにラバウルを出発した後のことで、これが「甲事件」とのちに呼ばれることになった。前に紹介した「乙事件」と偶然にも一致する点がある。幕僚が二機にわかれて搭乗しながら、長官の機は島に墜落して全員死亡するものの、参謀長宇垣纏(まとめ)中将の乗った機は海上に不時着し、うち三名が島に泳ぎ着いて生き延びた。長官が死亡し、参謀長が生存を保持したということが両事件で共通するのだ。だがこれはよく知られた話であるらしい。吉村昭の書きたいことは次の二点。
  山本らの二機と護衛の零式戦闘機六機は十六機のP38という戦闘機に襲撃されたが、それほどの機数のアメリカ軍機が飛行することは直近の日々では無かった。そこで長官一行の飛行を関係各方面に伝える暗号電文が解読されたのではないかとの疑念が中央(本土)や現地司令部に生じた。いやそうではなく偶然に過ぎないとの反対意見もあり、同じ形式の暗号電文を放ち、そこに書かれたとおりの飛行隊を編成して島嶼間を飛行した。だがアメリカ軍機の襲撃はなかった。その結果から暗号は見破られてはいないと判断したのだが、アメリカ軍のほうが上手で、暗号解読を終えたもののそれを察知されないために故意に襲撃を見送ったということである。「乙事件」における作戦文書の盗難も併せると、日本軍の情報保持の甘さを思わずにはいられない。もう一点は零式戦闘機の飛行士六人の長官を護れなかったという重い沈鬱の気分。こちらのほうが重要だろう。<かれらは、連日のように出撃に参加した。眼前で長官機の撃墜される光景をみたかれらは敵機と交戦して一機でも多く撃墜し、長官の後を追って死ぬことを願うような空気が濃く広がっていた。>と吉村は記す。
  この短編は当の零戦パイロットのたったひとりの生き残りの柳谷某氏への取材が中心になっている。右手の義手を操って車を運転するさまが最初に描写される。飛行記録のノートは保持していたが、戦争期のことを語り始めたのは昭和四〇年頃という。それまでは黙っていた。<「余り名誉なことでもないし、自分からすすんで表面に出るのもいやですから……」>淡々とした口吻がかえって、読者のうかがい知れない暗部を覗かせられた気になる。
  「八人の戦犯」は終戦直後、陸軍の軍法会議にかけられて判決がくだされ、連合国側に引き渡された人々の話。BC級戦犯といわれる人々はすべてが連合国によって拘束され、裁判されたのではなかったという意外性がある。<(略)吾等ノ俘虜ヲ虐待セルモノヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰ヲ加ヘラルベシ>と記されたポツダム宣言第十項だが、裁判の運営主体が日米いずれかは明記されていない。そこで日本側は大急ぎで自分たちでこれをやってしまって、あわよくば既成事実化してしまおうとしたようだ。連合軍側は日本側の申し出を却下したが、それまでの一か月ほどの短い期間に日本軍が独自に軍法会議をひらいて判決をくだしていた。吉村昭が目をとおした資料によると八名の被告のうち五名が死刑、三名が有期刑となっている。吉村の配慮で実名は伏せられている。
  くわしく取り上げられるのはA氏とC氏。A氏は昭和十九年十月当時台湾軍司令部情報班長という身分で大尉。捕虜のアメリカ人パイロットを部下二人とともに取り調べに当った際、拷問に相当する行為があったとして禁錮十カ月の判決を受けた。C氏が訴追された事件は終戦後の八月二十二日仏印(フランス領インドシナ)で起きている。抗日ゲリラに加担したとしてフランス人神父と獄中にあった囚人計二人を処刑したとされた。C氏の当時の身分は「信一三〇三部隊第七中隊長」で且つ「クラチェ地区警備隊長」で階級は中尉だった。ところが、その日の早朝転属命令によってC氏はプノンペンに移動した後、夜になってC氏の部下の補助憲兵N軍曹が二人を射殺してしまう。上官の指示があるまでは処分保留のままにしておくように後任の指揮官に引き継いだにもかかわらずだ。C氏は現地の軍法会議で殺人罪に問われ、懲役十三年の判決を受ける。だが、裁判における一事不再理の原則もものかわ、戦犯裁判が連合軍側によって開始されると同じ事件がふたたび蒸し返されて、A氏には重労働三十年、C氏には終身刑の判決がくだる。軍法会議の判決よりもきびしく、A氏における落差には驚かざるをえない。二人はともに巣鴨プリズンに収容されたのち減刑や特赦によってA氏は昭和三十一年、C氏は二十八年、それぞれ出所となる。
  立派な先人をもったものだとわたしが感心したのは、二人がともに部下の罪を引き受けたことだ。これに類する軍人・兵の自己犠牲的行為はめずらしくもなかったのではないか。A氏が「死亡した」として虚偽の供述によって逃亡が可能になった二人の部下のうちの一人とは戦後も交流がある。また同じ台湾の軍事法廷で裁かれたB氏とも同様で、うつくしいと思った。不可解だったのは、仏印においては終戦による停戦がすみやかに行われなかったことで、台湾と対蹠的だ。すでにポツダム宣言受諾の海外放送に接していた仏印の司令部は、大本営に問い合わせたところ、参謀総長名で「デマ」との返電があった。八月十五日直前の日付で、当時の参謀総長は秘密主義者といわれた梅津美治郎であったから、そういう返答だったのか。国策の杓子定規によって仏印の戦闘行為はつづけられたのであり、幾多の犠牲者を生み出した。
  「シンデモラッパヲ」は日清戦争の時代の話。明治二十七年(1984)朝鮮半島成歓の戦闘において、銃弾を胸に受け血まみれになりながらも文字通りラッパを吹きつづけたという兵士がいた。名は白神源次郎で、英雄として全国的に有名になり、歌や詩がつくられた。出身地の岡山県の村では顕彰のため数年後に記念碑がつくられもした。だが翌年の戦争終結後まもなくして、この壮絶な最期を遂げたラッパ卒(一等卒)は白神ではなく木口小平という別人であることが公的に明らかになった。二人とも岡山県出身で、かつラッパ卒で同じ戦場で戦死したので誤認されたようだ。だが、白神の村の人は顕彰の行事を止めることはしなかった。木口の出身村でも同じように顕彰を行い、記念碑も建立された。
  顕彰ということだが、追悼という気持ちの姿勢でもいいのだ。人々のそういう行為は自分たちにとっては誠実さがこめられたものとして刻み込まれたのであり、それを大切にするならば中止することもないのだろう。白神氏が村でたった一人の戦死者であることは変わりがないのだから。死を悼むという営為は繰りかえすならばしだいに心は穏やかさを定着させ、やがては忘れ去られる日も訪れるかもしれないが、それでいいのだ。だが時代の進行は生々しい。以後の日露、日中、太平洋戦争において、白神源次郎の村の戦死者は激増したということである。
……
  「海軍乙事件」「海軍甲事件」「シンデモラッパヲ」が収録された単行本『海軍乙事件』は1976年7月」発表(文芸春秋社)「八人の戦犯」の初出は「文芸春秋」1979年6月号。巻末メモによる。


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