大洋ボート

水上勉「小ハイ」三木卓「われらアジアの子」

  成立しなかった友情というものがある。水上勉の「小ハイ」(「ハイ」は<子亥>で一文字。註によると、ショウハイは中国語で子供、息子、娘の総称でここでは小僧っ子を指す)は作者自身がモデルの主人公が、持病が悪化し斃れてしまって病院へ運ばれ、その場に居られなくなったのでせっかく育もうとした友情が頓挫してしまうという話だ。
  主人公は運送会社社員で、奉天駅で「苦力(クーリー)と呼ばれる中国人労働者を指図して貨物を取り扱う役割を負っている。「苦力監督見習い」という地位で、担当部署においては二人の日本人の先輩がいる。彼は十九歳で赴任まもないが、先輩社員の苦力の扱いがどなりちらしたり竹刀で乱暴に床をたたいたりして追い立てるやりかたに馴染めない。しかし反抗することもできずに、しだいに先輩の指導方法に少しずつ染まっていく。とはいうものの主人公にはためらいがあり、先輩に比べれば不徹底であり、自身でも憂鬱だ。そんななかリュウという事務所の雑役係の少年が目にとまる。年齢は十四,五歳で、主人公を「澄んだ眼ざし」で見つめることが強く印象に残る。リュウはおそらくは通常の日本人とはちがったやさしさを主人公に求めるのではないかと、主人公は推察する。声を掛けてみたいが彼は中国語ができず、リュウもまた日本語の勉強の途上であるもののやはり喋れないという両者の関係だ。もどかしいのだ。また主人公の青年が苦力にたいしてしだいに乱暴さを身に着けていくにつれて、リュウは青年に無関心になってき、青年のほうでもそれが推察されて無念さとともに感覚される。だが、二人がふたたび接近するときが訪れる。休日において町ですれちがったからだ。リュウは母親らしくみえる女性と二人連れだった。青年をみてリュウは照れなのか一人女性を残して逃げ出してしまう。後日、そのときのことを青年なりに漢文を紙に書いてリュウに手渡すのだが、リュウは喜びが仄見えるものの、やはり言葉を返さない……。
  厳しい職場環境のなかで、互いにおそるおそる近づいていく。リュウのほうも青年の好意に応えたいにちがいないと青年はうすうす実感できる段階にまで達する。たとえその関係が友情として固まらなかったとしても記憶は雲散するのではなく、かえって長い年月の中で刻み込まれる。これが青春の心の記念碑でなくて何だろう。うつくしい小編だ。<リュウが生きておれば、もう五十四,五の計算になる。ぼくの暦の根雪にうまって時々、顔をもたげる人のなかで、リュウも大事な人だと思う。>
  初出は「すばる」臨時増刊号一九七九年一月。ここで描かれる中国人労働者にたいする日本人の乱暴な指導ぶりは、戦中では書けなかったのかもしれない。

  三木卓の「われらアジアの子」も子供時代を満州ですごした作者自身がモデルになっている。初めのほうは満州の広大な原野とそこを貫く満鉄の線路、あるいは主人公の少年が鶏小屋に入って餌をやる場面など、みずみずしい印象がある。作者の郷愁でもあるのだろう。だがしだいに少年の心の影の部分が拡大されてくる。中国・朝鮮人にたいする差別・優越意識であり、ときには強く噴出する嫌悪と憎悪の感情であり、また彼等への怖れだ。
  子供は大人の世界を映す鏡だろう。大人の姿勢や意見が一面的で少数者の姿が視野に入ってこなければ、子供もまた大人と同質の一面性に染められる。そして子供はそのことに無自覚だ。戦争完遂で大人が一致すれば、子供もまたそれを前提にして将来をぼんやりと覗き込むことになる。健は小学校高等科の一年生でおそらく十歳。年下の小学生をひきつれて遊んだり、「報国隊」と呼ばれる子供の自主的訓練組織のリーダーとして活動したりする。外見は子供らしい元気さがあるものの、本人は色覚異常で飛行機関連の軍への入隊を諦めなければならなかった。将来は百姓くらいしかすることがないのかと悲観したりし、それが健の影の一つだ。だが自分もまた戦争に貢献しなければならない身であり、そのために中国人と朝鮮人を指導し、まとめていかなければならないと子供なりに考えている。題名の「アジアの子」の由来がここにある。
  子供はしだいに大人の世界に近づいていく。五条という健よりも何歳か年上の少年がいる。少年航空兵をめざす浪人で、小説をよく読んでいて子供たちに話してくれて、そのほかの方面でも大人の世界に子供を橋渡ししてくれるかに見えて、子供の興味や知識欲を満たしてくれる存在だ。戦争ごっこのリーダーとして子供たちに君臨し差配するときには、いじめに類したこともやらかす。そういう子供にとっての憧れの五条ではあるが、健は彼に虚偽と見栄を見抜く。たとえばポスター公募に入選したと自慢するものの調べてみるとそうではないことを。健はこうしてしだいに冷静さを身に着ける。それでも、五条の言はまだまだ健を揺さぶるところがある。朝鮮人が同じどんぶりで排泄と食事をするという話。にわかに信じられない健であっても、その話の強烈な刺激に立ち止まらざるをえない。五条が田んぼの蛙にしてみせる残酷ないたずら。蛙の肛門に麦わらを挿入して息を吹き込み、ぱんぱんに膨らまして球状にして田んぼに放つのだ。五条という少年の異常さなのか。それもあるのだろうが、わたしはむしろ子供時代の数歳の年齢差が、子供にとって大人時代のそれよりもはるかに落差があって見えることを思い出させられた。わずかに年齢が上がることによって、後ずさりさせられるような異常な別世界が人によっては何の気おくれもなく耽溺できるということだ。それに直面した健だが、彼が五条とやがて同じような人になるという意味ではない。
  この短編で肝心なことは、健の女性への興味と欲望である。向かいの家に満州恵(ますえ)という健よりも数歳年上の女学校の生徒がいる。しとやかな身のこなしでうつくしく、頬のそばかすが印象的で、健はそんな満州恵が好きで、姿を目にすると冷静でいられなくなる。欲望を抑制し誤魔化すことも子供が自身に課さねばならない習慣だが、やがて満州恵が襲撃されたことが小さな町全体に知れわたることになる。健は震える。心がひと塊に凝集してくる……。朝鮮人の子供の女性に対する興味。健の姉が病床においてうわ言で、自分の父は朝鮮人ではないかと母に訪ねたこと、それに先に記した五条の蛙にたいするいたずら、こういうことが絡まり合って健の最後の行動に傾斜していく。大人の異民族にたいする憎しみが健のなかでさらに増幅され、満州恵への愛も増幅される。唐突だろうか、わたしは連合赤軍事件を連想してしまい、読後感はよくなかった。
  高い木にのぼって満月に照らされた満州の曠野を健が一人で一望する場面は印象に残った。遊びの舞台の自然、ときとしてうつくしかったり、厳しかったりする自然。だが自分が(人間が)居なくても自然はそこに存在するというのだ。自然は冷たく、人には結局は何も語らず、それは人間にとって寂しいことではないのか。いやだからこそ、自分一人の足で立って生きねばならないのが人間だ。強引な読み方かもしれないが、健はそういう決意に促される気がした。全体的に細部がよく書きこまれていることも記しておかなければならない。
  初出は「文学界」一九七三年六月号

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牛島春子「福寿草」野川隆「狗宝」八木義徳「劉広福」

   満州国建国の1932年においてその人口は約3000万人。1940年の調査では約4100万人で、国別では中国人3888,5万人、日本人212,8万人とある。日本人の人口には朝鮮人130,9万人の朝鮮人がふくまれているので、移住した本土日本人は約82万人ということになる(ウィキペデア)。人口比だけを見ても日本人がいかに少なかったかがわかる。つまりは満州国を維持していくには日本国の強権的な軍事・警察機構の支配が不可欠であったことが容易に想像される。無論それだけではなく、中国人や朝鮮人との融和や保護、農業指導が必要であったことも記さなければならないが。 
   そんな環境のなかで開拓してまもない地や山岳地帯近くでは「匪賊」と呼ばれる中国人による襲撃に悩まされなければならなかった。牛島春子の「福寿草」は、主人公の警察官島田浩太郎が赴任した北満の小さな町が、「共産匪」によって絶望的な防戦に晒されるという話だ。共産匪とはソヴィエト式の軍事訓練を受けた一団のことで、土匪、兵匪と呼ばれる、おそらくは元々の犯罪集団や軍隊崩れであった者たちよりも屈強で洗練された戦いをし、土匪、兵匪をも糾合する組織でもあったらしい。町を包囲した彼等は絶え間ない銃撃によって接近してくる。島田は人々を県公署に集結させ、男たちを叱咤激励しまた銃で恫喝し応戦させる。女と子供は一部屋に集める。だが戦いは劣勢で、救援をたのむ電話も通じない。家屋はつぎつぎ放火される……。わたしが興味をひかれたのは、島田の満人(中国人)にたいする疑心が頭をもたげる個所だ。接近した匪賊と応戦する中国人が互いに中国語で罵り合うのを聞きながら、彼等が味方として最後までとどまって戦ってくれるのかという疑心だ。満州における中国人と日本人の絆はそれほど強くはないのではないかというのは、おそらくはほとんどの日本人の実感ではなかったか。平穏な時期であればこういう疑いは隠れるのであろうが、危機に直面すると人は率直に露骨になる存在だろう。敗北すれば、日本人は皆殺しにあうが、中国人は同国人であるから生け捕りに扱われることもありうる。島田はそんな想像に支配され、また同じ想像をしているのかもしれない、助命に望みをかけるかもしれない味方の中国人を疑い、同じ戦いのさなかで「その一種云いようのない孤立感」に墜ちこむ。日本人の仲間も同じ疑いを中国人に抱くようだ。
  島田は女たちに覚悟を言い聞かせる。殺されたり拉致されたりする前に集団自決することを。そのさいは島田が銃で彼女らを絶命させる手筈だ。にわかには感覚が入っていけないが、戦争中はその覚悟は日本人の日常に根を降ろしていたものだろう。たたかいは深夜から夜明けまでつづく。援軍の飛行機の目印つくりのため、白い敷布をひろげたなかに女性の赤い襦袢を丸い形にして敷いて日の丸にするというのも面白い。だが読者は笑っても登場者たちは哀れさを抱くようだ。必勝を信じて女性たちが朝御飯を炊くというのも、疎いわたしはそういうものかと思った。
  夜が明けて救援の騎馬隊がやってきて匪賊は退却して、ようやくたたかいは終わる。騎馬隊への連絡役として若い中国人が活躍する。助かった、生きることができたという実感が人々の胸に溢れかえる。危機を直前に潜ってきたからこそ以前にもまして生のありがたさ、素晴らしさ、偉大さがこみあげてくるのだろう。
  

人々は、今度こそ先を争って外に走り出た。久しく仰がなかったように人々は冷たい無限の蒼穹に輝いている太陽を仰ぎ深く深く息を吸い込み、抱き合い、泪を流した。
  (中略)
  命が、もう自分のものであって自分のものでなかった。一つ一つが民族の高い命に帰一され、民族の命と命がはじめてこの瞬間に手を握り合ったように思われた。百の理論を飛び越えて日本人と満州人とが本当に運命共同体であった。


  横溢する生の実感があり、中国人が共に最後まで戦ってくれたという固い「実績」がある。小さな町という集合体が一体となって戦い抜いたことでさらに凝集し、熱いひとかたまり「運命共同体」になった。だから「命が、もう自分のものであって自分のもので」なくなったのだ。個々の孤立は退き、個が集団に帰一する。興奮さめやらないさなかでの実感であっても、この実感は長く記憶に刻み込まれるであろう。唐突ではあるが、また規模は小さいが、反戦デモに参加したとき、類似した実感をえたことをわたしは覚えている。
  だがこの実感をことさら強調するのは短兵急な気もする。満州国の安定的持続のためには「運命共同体」としての実質を早急に獲得しなければならないという義務意識が働いたからではないか。「運命共同体」といい異民族同士の融和といい、それまで先行世代が獲得しえなかったからこそ慌ててかかる実感にとびついたのではないか。無論、そういう時代ではあった。「福寿草」の発表は1942年「中央公論」9月号で、戦意高揚のまっただなかだ。牛島春子は1913年(大正2年)生まれで、この年29歳。
  異民族同士の団結や融和は容易ではないことを、まして「運命共同体」はさらに困難なことをわたしたちは今の時代において知っている。まずはそれぞれの民族の自立がせめてものその第一歩になりうる。だが傀儡国家満州国は日本人の中国人支配の持続が大前提であり、また戦いに勝ちつづけなければ仮にも「運命共同体」は維持できなかった。
  野川隆の「狗宝(ゴウボウ)」と八木義徳の「劉広福(リュウカンフー)」は、日本の満州統治がようやく安定したかにみえ、したがって移住日本人も中国人とのつきあいに慣れ、その地での生活を満喫する幸福な境地が描かれる。だが好んで描かれる中国人は日本人に融和的であり、人一倍勤勉な人にかぎられる。彼等がいかにうすぎたない身なりで無教養であったとしても、日本人はそういう人を選別しもちあげる。日本人もまたイデオロギーにもとづいた説教を垂れるのではなく、仕事の実質を教え、中国人にありがたがられるという存在だ。
  「狗宝」とは中国人に万能の霊薬として崇められる高価な品で、「合作社」という農民の保護と指導に当たる日本人職員の主人公が、これに興味を持つことがはじまりだ。じつはこれがとんでもない代物で、牛蒡や朝鮮人参の類いではなく、内臓疾患に罹った犬が口から吐き出した小さな球状のもので、吐き出すと同時に犬は回復し、それを人が煎じて飲むと体調が回復すると信じられている。ほんとうに効くかは疑わしいが、体調不良で休職中の一人の勤勉な中国人に是非これを飲ませたいと主人公は思い、手に入れる……。ラストでは、主人公が荒野を移動中のトラックから狸をみつけて降り、鉄砲をかついで追いかける場面がある。満州の生活もまんざらではないといいたげだ。
  「劉広福」も信じられないような話。強度の吃音でしかも文盲で、巨大な体躯で童顔という特徴の劉をアセチレンガス製造の工場に採用するのが主人公の日本人。はたして満足に仕事してくれるのか危惧して最下級の雑役夫として雇ったのだが、劉はたちまち頭角をあらわしてきて、中国人と日本人双方の尊敬を集めることになる。工場が火事に見舞われたときも、危険をかえりみずに単身消火に当たるというスーパーマン的な活躍をする。
  野川隆も八木義徳も満州移住経験があるようだ。これら二編が体験に基づくのか取材からえたのかはわからないが、単身日本人の視線から描かれた日本にとっての好ましい中国人像であるにちがいない。個と個の日本人と中国人が信頼関係をつくりあげて、そこに周囲の両国人が蝟集してくるという構図だ。事実に近いとおもわせる手堅さはあるものの、また日本人の人情深さがゆったりと描かれているものの、個人の実感と実績を大事にしすぎるというのか、「小ささ」を感じてしまう。満州国全体を俯瞰してみせようとする意図はみられない。異民族融和という目標にすこしでも近づこうとして、まさに実感としてえられたことの歓びであろうか。だが、いかに情報不足であろうとも、満州国の存続を危惧する意識も多くの日本人に抱かれていたのではないだろうか。(徳永直「先遣隊」では満州移住による農業に確信がもてない中年農民についての記述がある)中国人が日本国と日本人を心底はどう思っているのか。思考をそこに転じると、ぞっとしないではいられないはずだが、戦争の時代だからそういう視点は封じてしまったのか。
   野川隆「狗宝」の初出は「作文」第五〇シュウ 1941年7月。八木義徳「劉広福」の初出は「日本文学者」1944年4月号。


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伊藤永之介「万宝山」今村栄治「同行者」徳永直「先遣隊」

  伊藤永之介の「万宝山」は1931年7月に起きた万宝山事件を題材にしている。長春西北の万宝山付近に入植した朝鮮人農民と中国人農民が対立し、日中双方の警察を巻き込んでの衝突事件となったといわれる。
日韓併合によって零落した下層農民が満州地域に農地をもとめて移住するが、日本の警察は存在するものの庇護するに足りるだけの人数ではなく、逆に中国警察が政府の朝鮮人農民排斥政策にのっとって中国人農民と結びついて実力行使でもって彼等を妨害・排除しようとした。例えば、小説に描かれた朝鮮人農民は地主から正式に借地権をえた状態であるにもかかわらず、地主は中国警察の強権によって彼等に即刻の立ち退きを申し渡すという始末で、つまりは安定した法秩序の無い地域が満州であったのだ。
  おそらく数十人の朝鮮人農民であろう。前述した某地にたどりついた彼等が開墾をはじめるが、満州は水利が悪いところで、河から水をひかなければならないにもかかわらず、日本領事館から許可がなかなか下りない。播種期がせまっているから交渉をつづけるとともに水路の掘削にも彼等はとりかかる。播種を終え、後は河を堰きとめる工事をするばかりになった頃に、巡警と呼ばれる中国警察と中国人農民が襲撃してくる。大半の工事を朝鮮人にやらせたうえで農地を強奪しようとするのだ。銃をはじめ中国側には武器が事欠かず、一方朝鮮人にはそんなものはない。頼りにならない日本警察にすがるしかないのだ。正面切って抵抗するでもなく、あっさり逃げるでもなく、なんとか踏みとどまろうとする朝鮮人農民の無力がよく描かれている。
  危険を承知で堰きとめ工事は実行される。そうするしかないのだ。収穫期までは食糧不足に耐えなければならず部落は飢えと栄養不足による赤痢に見舞われ、子供たちがつぎつぎ死んでいく。また主人公の女性裴貞花(ベチョンハ)の夫も中国警察に連行されたのち消息不明になる。男性は動きまわる。女性は昼間は工事を手伝うことができても夜間は子供を置き去りにできず、家のなかでじっとするしかない。特に襲撃のさなかは息を殺したように緊張に耐えるしかない。何かしたいという思いはあってもそれはなく、事態の推移のなかに立ち会うしかないのだ。
  わたしがはっとしたのは銃撃の描写だ。わたしたちはアクション映画でいやというほど銃弾が飛び交う場面を見させられて、絵空事を承知で楽しんでしまい、それは別段悪くはないと思うものの、現に飛び交う銃弾というものの実相からとおざかってしまっている。

突然パーンと銃声が弾けた。
耳朶を刃物で切るようなシュッという無気味な唸りが、湿った空気を通り抜けた。


銃声がグッと此方に接近したようだった。銃丸(たま)の唸りが渡鳥のように低い空をよぎった。

  銃弾とは触れれば怪我をする、悪いと死ぬものだ。こんな当たり前のことが、恐怖が、臨場感豊かに表現されている。無論、銃弾ばかりではなく、出来事全体が作者にとって切実さをともなって捉えられている。襲撃に慌てふためく男女の一連の動きのなかでの銃弾。「万宝山」には朝鮮人農民への真面目な同情があり、それが根にあって万宝山事件の実相を日本人・朝鮮人の読者にとどけたかったのではないか。
  推測になるが、名目上は「日本人」となったものの朝鮮人にたいしては、日本警察はそれほど警護に重きをおかなかったのではないか。また、それを見越しての中国人側の襲撃ではなかったのか。この短編はほぼ同時代に発表された。初出「改造」1931年10月号、とある。万宝山事件の2か月後の9月18日満州事変が勃発する。
  今村栄治「同行者」の初出は「満州行政」1938年6月号。時代はさかのぼって「万宝山」と同じく満州事変直前である。主人公の朝鮮人青年のいる長春の宿の部屋には日本軍の演習による銃声が聴こえてきて、日支衝突の噂が広がっている。だが青年にとっては大きな政治(戦争)の帰趨よりも自分の身の処し方が切実だ。朝鮮半島においては、日本の政策に賛同して日本人に成りきろうとする者と朝鮮人ナショナリズムを固守する者とが分裂した。青年は前者の立場で、日本語を習得して大連で日本人と交わってきた。十年以上朝鮮語を使わず「完全な日本人」となったとは本人の自覚である。だが大連での生活も行きづまり、今満州の田舎に移民している兄のもとへ赴こうとしている。都会暮らししか知らない青年にとっては百姓暮らしには自信なく、また魅力ももつことができない。日本人によって排斥されたのかどうかは不明だが、日本人にもなりきれない、かといって朝鮮人の保守的文化にも今さら慣れることができないという、青年はジレンマのただなかにいるようだ。
  そうしたなか、主人公はさらなる民族分断と異民族(日本人)の猜疑にさらされることになる。「同行者」とは荷馬車で二日かかる同じ場所に行く同乗者の日本人で、彼が朝鮮人の同行者をもとめていて宿の主人に紹介された。その日本人は「鮮匪」と呼ばれる満州地域の朝鮮人の犯罪集団を非常におそれていたので、同じ朝鮮人同士での無事なやりとりを期待してのことだった。だが実際に鮮匪が待ち伏せする場面に直面すると、日本人は青年に鮮匪の手引きをしたのではないかと疑ってかかるという結末が待っている。青年にとってはまったくの濡れ衣だが、日本人の朝鮮人にたいする心の底にある警戒心や猜疑がここへきて如実に顕れた感がある。異民族融和や、同民族内(鮮匪と青年)の団結、こうした言葉はうつくしいのかもしれないが、実現にはとおいことを青年は危機とともに実感するようだ。
  作者の今村栄治は朝鮮人で、完璧な日本語で小説や戯曲を発表しつづけたが、1945年8月15日以降、消息不明となったと作者紹介にある。朝鮮語よりも日本語が堪能だったそうで、まるで本短編の主人公さながらだ。日本にあまりに寄り添い過ぎて、戦後、身の置きどころがなくなったことが想像される。
  徳永直の「先遣隊」は満州国成立後が舞台。大人数の満州移住に先立って1年前に少人数の部隊が移住してその準備をととのえるのが「先遣隊」である。測量、農地開墾、播種、収穫を終え、さらに冬場には家屋建設をできるだけ多く成しとげるという工程となっている。中国人匪賊の襲撃にも見舞われるが、日本人も武装しており、互角に応戦できる。だが、満州の冬はながく、その夜の静寂はおそろしい。男ばかりの集団でなかには好きな異性を本土に残してきた者あり、また写真だけで結婚が決まった者がその写真を繰り返し見てはなぐさめにする。夜の静寂のなかからすすり泣く声が漏れてくると、それは単身で渡ってきた給仕係の少年である。このわびしさ、寂しさは読んでこたえる。渡満にあたっては永住の決意をしたものの、ともすると心が揺らぐ。「屯墾病」という言葉が出てくる。ホームシックが高じ、さらには匪賊の恐怖もくわわって神経衰弱に陥るという病である。青年の一人がこれに罹って日本へ帰っていく。だが郷里の村では満州移住の準備が少なからぬ希望とともになされている最中で、青年には居場所がない。
  結末はハッピーだ。満州移住の人に混じって青年もふたたび渡満し、先遣隊の青年たちは結婚相手や好きな女性と合流し、再会をはたす。この時代の日本人のいきおいと幸福感を感じさせる好短編。満州国崩壊の運命はこの時点ではだれにも知られない。初出は「改造」1939年2月号。

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山本周五郎「葦は見ていた」「おさん」

  二編とも性感覚が深い女とその女に引きずられ耽溺してしまう男の話。相思相愛が前提として確固たるものがありながら、さらに性の深淵に二人とも呑みこまれる。戸惑い、引き返そうとしながらもそのめくるめき世界への執着を容易に断ち切ることができない。愛は性によってより高められるが、愛と呼ぶべきか、あまりにも混沌とした熱に浮かされた世界だ。
  「葦は見ていた」は若い女の川での入水自殺の場面からはじまる。この女は「おひさ」という元芸妓で、直前まで藤吉計之介という武士の屋敷に身を寄せていた。計之介の家は五百三十石持ちで父は某藩の中老という身分。武士としては上級の身分に属するのだろう。計之介本人も学業、剣術ともに優れていて将来を嘱望されていた。だが、父の葬儀のために江戸におもむいた際におひさと知り合い、関係をもってから計之介の運命が暗転する。双方とも惹かれあい、逢瀬をかさねることになる。計之介が地元に帰っても、おひさはその地に来て芸妓の職をえて二人の関係はつづく。おひさは計之介の妻になろうとするのではなく、身分のちがいもあって関係を清算しようとするも計之介への執着をたちきれない。また計之助もおひさを手放そうともせず、逢瀬をかさねることによって計之助のみならず、おひさも借金まみれになってしまう。使用人に暇を出し、目ぼしい家財道具を売り払って荒れた家におひさを迎え入れる計之介。
  計之介の行状は周囲に知れわたる。友人の杉丸東次郎の妹の深江は計之介の許嫁で、当然東次郎は計之介に忠告するが、おひさを侮辱されたととった計之介は東次郎に果し合いまで申し込む。計之介は荒んだのか、愛に忠実なのか。
  おひさの自殺は性愛の絶頂に達したという肉体的自覚とともにある。これ以上の幸福はなくあとは下り坂しかない、別れしかないという見通しだろうか。当然、計之介の出世の妨げになるという自覚は最初からある。結末は異なるが、性の幸福を道連れに事件が起きるという成り行きは映画『愛のコリーダ』に似ている。だが、おひさが何も告げずに出奔したため、計之介はおひさに逃げられたと誤解するのだ。唯一売り飛ばさなかった家宝の漢鏡をもっていかれたこともおひさへの憎しみを増幅させるのかもしれない。計之介はおひさを忘れる。深江とも結婚し、藩内の出世の階段を順調にのぼっていく。「立ち直る」のだ。こういう誤解が生じるのはやむをえないことかもしれない。
  だが不可解だったのは、おひさが自殺した同じ川で釣りをしていた計之介が偶然文箱に保管されたおひさの遺書を発見する個所だ。つたない字で「けいさま」と呼びかける部分があるが(「おひさ」の字は滲んでいて読めないとある)それでも彼は気づかないのだ。こんなことってあるだろうかと、わたしは思った。過去の身を焦がした恋と女をすっかり忘れてしまうことなんてあるだろうか。(「18年後」という時間の隔たりがあるが)たとえ細部は忘れるとしてもだ。山本周五郎は過去をすっかり忘れ果てて、眼の前のさらなる出世にのみ獲物を狙うように凝視する計之介を「悪人」に仕立てたいのだろうが、別の書き方があったのではないか。
  「おさん」は「床の間大工」の参太が親方の家での飲み会に参加し酔いつぶれてしまい、気が付くと、そこで働いているおさんが傍に居てすぐさま肉体関係に発展し、やがて所帯をもつ。だがこれは過去のはじまりというべきで、現在のはじまりは、箱根あたりの宿で参太が別の「おふさ」という芸妓と同じ部屋にいる場面で、この両者が交互に進行する仕組みになっている。だが前者のほうが中心だ。
  参太がおさんと所帯を持つ気になったのは、おさんの性的感応力の深さにある。それまでの参太は女性関係が豊富であるものの「惚れた」ことがないことが自慢だったのだが、おさんを知ってからはそうではなくなった。おさんの身体の深部から発される反応に参太は夢中になり、二人は短い期間、至福の時間を共有することになる。「愛」が性によって高められるのは「葦は見ていた」の男女と同じだ。だがまもなく参太は、おさんの性的感応力の深さと隣り合わせにある異常さに直面することになる。その興奮が進行するさなか、おさんは別の男の名を叫ぶ。あわてて問い詰める参太だが、おさんは興奮状態にあるときの自分というものがまったくわからない、覚えていないだ。別の人格になるのではなく、普段の人格が消失してしまうようで、その男の名は、おさんの父や幼なじみであったりし、特定の男ではないことがわかる。だがその異常さによって参太の愛は急速に冷め、憎しみや殺意まで抱くようになる。参太は無気味になっておさんから逃げてしまう。だがそのときには参太には「逃げる」という意識はない。少し間をおいて冷静になってみよう、よく取ればそうだが、自分の都合のいいように考えてしまうのだ。おさんがいつまでも待ってくれるという参太の思い込みだ。これは男性なら落ちこみそうな罠ではないかと、わたしは思ったところだ。

仕事が終われば帰ってくるよ、とおれは繰り返した。きっとね、待ってるわよ、とおさんは云い、すぐにまた泣きだした。あんたにいなくなられたら、あたしはすぐにだめになってしまう、すぐめちゃめちゃになってしまうわ、とおさんは云った。一年か二年はなれてみよう、おれは心の中でおさんに云った。そのあいだに事情が変わるかもしれない、おさんの癖が直るかもしれないし、おれ自身がもっとおとなになって、おさんの癖に付いていけるようになるかもしれない。口には出さず、心の中でそう云った。しんじつそう思っていたからである。


  だが案の定というか、参太の思い込み(錯覚)に反しておさんは留守居に我慢しきれず、出て行ってしまい、そのあとは次々と男を作っては例の癖のために男に憎まれ、捨てられ、あげくは殺害される。おさんの男女関係は、参太との出会いのときのように、みずからを押し付けるように男にいきなり至近距離にまで行ってほとんど同時に性交を果たすというもので、それを繰りかえしたのだ。小説は上方から江戸に帰る途中から「現在」がはじまり、やがて江戸に帰っておさんとの再会を目指して探索する参太が描かれ、上記のおさんの運命を知ることになる。おさんにとって参太はおそらく特別ではなく、何人もの遍歴した男の一人に過ぎず、別れればすぐに忘れ去ってしまう存在だったのだろう。飲み屋で同じくかつておさんと同居し、暴力のためにおさんに逃げられて意気消沈する作次という男と話す場面があるが、作次が未練をもって再開を果たしたとき、おさんは「まったく縁のねえものを見る眼つきだった」と作次は言う。
  終結近くの場面はおおいに甘い。寺の無縁墓を前にして参太が空想されたおさんと語り合うが、参太はおさんを助けられなかったことを詫びるとともに、言い訳たらたら。また、空想のおさんにとっては参太が唯一愛した男であり、参太を忘れるためにつぎつぎと他の男に身を任せたのだと言う。これは実際のおさんではなく、参太の錯覚だと思われるが、性愛の甘さを追慕するには錯覚のほうを自然に択んでしまうということだろうか。わたしにも身に覚えのあるところだが、感動のはしくれくらいは受け取れるものの、この甘さには疑問符を打っておきたい。江戸へ向かう道中の宿で参太の相手をしてくれる「おふさ」はやがて女房になるらしく、つまりは「次の女」がちゃんと用意されているのも、参太の後悔の念を薄める作用としてはたらいている。本文庫中のいちばんの力作ではあるが。

初出
「葦は見ていた」(「面白倶楽部」昭和二十九年九月号)
「おさん」(「オール讀物」昭和三十六年二月号)
それぞれの編の末尾記載による


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