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メモ

自作エッセイ
02 /07 2021
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  忘れかかったことを思い出すのは重要だが、そのときに脳漿を巡っていたものの先を「発掘」することはさらに重要だ。何故ならひ弱な脳漿は考えることを恐怖の感覚のあまり、堰き止めていたからだ。恐怖の感覚に耐えることのみに専念するしかなかったからだ。そのときのかかる自然的な反応は、今日ふりかえると不満以外の何物でもなく、かといって、どうすればよかったのか解らないのだが、一歩でも半歩でも解き明かしたい欲求はある。厳然としてあるのだ。そのためには「事実」の裏で、脳症を巡っていたものを少しでも俎上に取り出すことから始めなければない。恐怖の感覚を引き連れて。恐怖そのものを、そして恐怖が導くであろう光景を。

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  だがしかし、恐怖は感覚だからそれをそのまま再現することには限界がある。感覚はどうしても今日・現在に留まろうとする根本的習性があり、感覚の痕跡に依拠しつつ、感覚が掬い取れなかった領域を言葉で探るのがもっぱらになるのだが、感覚との今日的距離は、感覚周辺の「事態」を明瞭化するにはかえって好都合ともいえる。それは利点で、恐怖から醒めた分だけ落ち着いて向き合えるからだ。
  さらに言うと、「再現化された感覚」の先には、いくら絞り出しても無のみしか存在しないということが結局は明らかになる。言いかえれば、その無の領域を言葉で今日的に創造することを要求されるのだ。また、言葉は言葉自身の領域を特定対象とは無関係に広げようとする根本的欲求を胚胎している。特定の感覚や事象にのみ言葉は従属しようとはしないのだ。個人の現在的拡張の欲求を自然的に孕むのだ。だから、一旦は、嘗ての感覚からとおざかることを強いられる。

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seha

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