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伊東乾『さよなら、サイレント・ネイビー』(2)

本書は、悪の組織・国家と個人との関係における「騙しのテクニック」を包括的、学問的に解明しようとしたものである。群書からの引用も多く、とりあげられる専門概念も多岐にわたっていて、私のような凡人にはとても全体をすくいとることはできない。私が関心を持ったうえで刺激を受けた部分を書くことしかできない。本書はまた、豊田亨のチェックをとおした後に最終稿として仕上げられているが、それは両者がオウム事件をはじめとする凶悪無残な事件や歴史の「再発防止」の必死の思いを共有するからである。またその理論的プログラムを完成させたいがためである。そのためか、豊田との友情にまつわるエピソードや、伊東の豊田に対する思いの吐露は意外に少ない。まったく無いのでもないが、感傷を排したのだろうか。豊田が書くことを禁じたこともあるのだろうし、そんなことよりも事件について、もっともっと豊田に語ってほしいという伊東の願いもあるのだろう。だが残念ながら。本書で明らかにされた限りでは、豊田の語りはまだまだ少ない。一審、二審と死刑判決を受けるなかで、彼はオウムからの脱会を宣言し、麻原と対決し彼を非難した。遺族に謝罪の意を述べた。重圧のなかで、ようやくそれらを成し遂げた、ということだろうか。

サリン事件以前にも、オウムは多額のお布施や信者の「拉致・監禁」問題で有名になってテレビのワイドショウを賑わせた。統一教会という団体と並行して、怪しげな宗教団体くらいの扱いを受けていた。だが、閉鎖的な統一教会に対してオウムは意外にオープンだった。なかでも耳目をひいたのは柔道場のような道場で、「修業」に励む青年信者たちの姿だった。アイマスクをしたりしなかったり、また例のヘッドギアもつけたりつけなかったりと、さまざまだったが、ポーズはバリエーションが少なかった。あぐらを組んでぴょんぴょん飛び上がろうとするポーズは空中浮揚を試みているのか。うつ伏せになって全身を伸び縮みさせる動作を繰り返す人もいた。首や手を小刻みに動かす人もいた。傍目からはどれもこれも「みっともなさ」をともなう奇妙な光景くらいにしか見えなかったものだが。身体を鍛えるというよりも、意識的に疲れさせて幻影を招来せしめるものか、とも思ったが、まもなく忘れてしまった。だが伊東はそのからくりを見事に解明している。

1987年7月、伊東は東京大学教授見田宗介(みたむねすけ)による「自我論・間身体論」の2泊3日の合宿ゼミナールに参加した。伊東が当時関心を持っていた「ニューアカデミズム」の思想家や見田のことは、私は知らないが、伊東はこの合宿において、私が先に記したオウムの道場における光景を寸分たがわず身をもって体験してしまうのである。「大学セミナーハウス」の一会場に40~50人の学生が集まって、アイマスクをしたうえで、電気を暗くしてリラックスするのだろう、あくびに似た誘導運動のあと全員がごろ寝をする。もっとも、参加学生の全員が見田のそれまでの教室での講義を受けているので、起こるべき事態を、期待と興奮をもって待ち構えているのかもしれない。見田はヨーガの概念を社会学という学問的見地から、つまり宗教的指導という立場からではなく、その身体的影響と仕組みについて教えていた。

私の場合、誘導運動を行い暗い部屋に寝っころがっていると、やがて尾てい骨、仙骨の辺りに「カカカカカ」という感じの自律的な拍動が感じられた。いわゆるクンダリニーの覚醒と呼ばれるものの一種である。迫害された精神分析学者、ウィルヘルム・ライヒは同様のものを「オーガスム反射」と呼んでいる。その「カカカカカ」という活性が、背骨を通って上に上にきて、今度は首が勝手に回り出した。コマの味噌擂り運動のように首が勝手にグルグル動く。アイマスクをしているので見えないけれど、まわりのほかの学生たちにも、いろいろな反応が出ている気配がする。そのことが、余計に自分の活元を増幅するのが感じられた。(中略)次に肩が強烈に痙攣し始めた。北野武がよくテレビで見せる、肩をピクピク動かす癖の激しいものだと思って頂きたい。肩からひじ、そして手の全体が、まるでサルか何かになったように、激しく激しく、自分の意思とまったく関係なく動く、それらを落ち着いて見ている、第三の自分がいるのを、静かに感じた。(p233)



さらに伊東の身体は別の部位の運動をも加えてもっとはげしく動き出そうとするうえ、少しだが「イメージのようなもの」も見えたという。伊東はするべきことをして、見るべきものを見ている。私がテレビで見たオウム道場における信者の様子そのものであり、「クンダリニーの覚醒」を自慢気に語る麻原とも、その身体変容の内容はかなり近接している。同じ現象を、伊東は見田の講義を参考にして、人間の生理学的事実としてとらえた。オウム信者はこれを、麻原の指導と言葉によって宗教的解脱の高度な段階として見做してしまった。伊東によると、見田はこの現象を「活元運動」と呼ぶ。つまり、人間の身体の大部分は不随意的神経経路によってつかさどられていて、意思によって動かすことのできる部位はごく一部分である、心臓の鼓動や呼吸、消化、排泄などほとんどが自律神経系(不随意系)経路の働きによる動きで、意思とは関係がない。また、身体のほとんどの部位が意思と無関係に動くことができるし、「動きたがっている」というのだ。「活元運動」とはこの不随意的神経経路(「錐体外路系」)の「解放」だというのだ。

この1987年の7月の経験は私にとって、ある意味で「信仰」獲得に近い意味合いを持っていた。つまり、特定の神を仮定しなくても、これらの生命にとって本質的な現象を、唯物的、生理学的に理解するという体験自体が、宗教的経験に代わるものとして、私の中にあった、ある「渇望」を満たした。もしこれが、「オウム神仙の会」であったなら、そして脊髄の反射などではない「シヴァ大神」などで説明されて納得してしまっていたら、私は間違いなく別の人生を、しかもかなり強力に歩んでいたに違いない。生理的な現象はそれとして存在する。それを詐術に接木するかどうかは、まったく別の問題なのだ。(p235)



「クンダリニーの覚醒」は「活元運動」と同一であり、生理的現象として説明がつく。伊東は事態を十分にとらえたのだろう。だが私は留保をつけたい。生理的現象を宗教的言辞にくるんで、ここでいう「詐術に接木」したとしても宗教思想にもとづく体験としてはやはり残るのではないか、麻原をどう評価しようとも、彼がそれを利用したとしても、宗教思想としてはたとえ残骸であったとしても信者のなかに残るのではないか。どういうことかというと、信者にとっては「クンダリニーの覚醒」がすべてではない、そこへたどり着くまでの苦闘があったとして、また仲間との語らいや生活、同一行動への参加などが、セットになって総体として記憶のなかにのこり、体験となる。思想もまた、そういう体験と重なったり重ならなかったりしながら、ふりかえられたり、現に考えられたりするのだろう。例えてみれば、山の頂上の風景がまったく同じであっても、そこへ登るのに装備をして徒歩で登るのと、ヘリコプターに搭乗して短時間で降り立ってしまうのとのちがいである。両者は体験として明らかに異なっている。生理現象の一部が解明されたとしても、また特異な宗教的志向が瓦解したとしても、宗教はまだまだ人を魅了するかもしれないのだから。体験自体の共通性のなかに特異性があり、それをふりかえることはさらに個別的営為でしかないのだから。宗教的体験という立場からするならば、「クンダリニーの覚醒」と呼んだときからそれは、生理現象そのものに還元することはできなくなっている。宗教的体験の一環であるという見方は可能だと思う。
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