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ドストエフスキー『賭博者』

小説・エッセイ・戯曲
10 /03 2020
  主人公アレクセイ・イワノーヴィチの語りによって展開する小説で、彼は文字通りの賭博狂だ。作者ドストエフスキー自身も賭博にのめり込んだ時期があり無一文になったそうだから、作者自身がモデルなのだろう。博打によってあっという間に大金を手に入れるその快感が忘れられないどころか、負けつづけてもなお執念が持続する。というのか、その渦中にある興奮状態が人生の他の行為によっては決して体験できない何段階も上の高揚感覚があり、また真逆の地獄に落ちる頽落感もあって、主人公はその両方がたまらなく好きなのだ。賭博にも計算や理論めいたものがあるだろうが、彼はそんな類には目もくれず、ただただ勘に頼って盲滅法にルーレット版の数字や赤・黒に張る。彼は人一倍傲慢なのだがその傲慢さは無一文になっても擦り減ることはない。のめりこむと人間ではなくなるという言葉があったと思うが、それを重々納得しながらも、わずかな金が手元にあれば賭博場に足を運ぶのだ。当然ながらたまには勝つことがあるからでもあるが、勝って、病者から一気に人間に戻るということも視野にある。傲慢さがますます募って行く。ドストエフスキーとはそういう人であり、腸を手づかみで取り出して見せつけられたような印象がある。賭博狂に共通する性向を語るのだろうが、債務不履行で刑務所暮らしをすることにもなるのだから、主人公は並み外れている。
  アレクセイ・イワノーヴィチにはストレスが溜っている。ポリーナという女性に恋焦がれていて、彼自身が彼女に語るように彼女のためなら何でもする、命じられたら塔から飛び込んで死ぬこともできるというのだ。「奴隷状態」を自負するのだ。ポリーナもまた彼に劣らず傲慢で、彼のプロポーズに好感をもつどころかそっけない。笑い転げたり憮然としたりして馬鹿にした態度を取りつづける。そのくせルーレットで稼いでくれと金を渡して頼んだり、某ドイツ男爵夫妻を侮辱しろと命じたりし、彼はそのとおりやってのける。何のための金か、侮辱か、行き届いた説明はポリーナから一切ないにもかかわらず。さらにフランス人のデ・グリューやイギリス人の「ミスター・アストリー」などが彼女に言い寄っているという疑いも彼は抱いている。
  書きおくれたが、舞台はドイツのルーレテンブルグという架空の都市で、イワノーヴィチは「将軍」と呼ばれる退役将校一家の家庭教師で、ポリーナは将軍の義理の娘で、幼い弟と妹がいる。彼等ロシア人は旅行中であり、フランス人女性の「マドモワゼル・ブランシュ」や先に記したデ・グリューも同行している。アストリーも同行に近い位置にいる。将軍は借金まみれで、資産がデ・グリューの抵当に入っている。将軍はマドモワゼル・ブランシュと結婚したいと思っていて彼女もその気がなくはないが、金の問題が立ちはだかっている。デ・グリューも勿論それを解決してもらいたい。そこで一行が期待するのが将軍の義理の母(ポリーナにとっては実の祖母)の死による遺産相続で、病気がちの祖母のもとへ実情を探るために何回も電報を打つ。将軍のみじめさがロシア人だからかくわしく書かれ、周辺人物の金への露骨な執着ぶりも描かれるが、総じて共感をもたせる人はいない。この問題で冷静さを保つのはイワノーヴィチとイギリス人くらいで、部外者だからだ。
  前半のさらに前半部では、イワノーヴィチとポリーナの一向に楽しくない、恋愛とも思えないぎすぎすした会話と、先に記した某ドイツ人男爵夫妻へのイワノーヴィチの侮辱行為とその後の顛末が描かれる。つけくわえると、彼は夫妻に近づいて行ってドイツ語で「わたしはあなたの奴隷たる光栄を有するものです」と言ったり、ドイツ人のものまねをしたり怒鳴ったりするのだ。この程度が侮辱に当たるのか、おそらくは身分上の上下が関係するのだろう。男爵夫妻の抗議を受け入れた将軍はイワノーヴィチを馘首し、さらに将軍の意をくんだデ・グリューが男爵への謝罪を彼に要求するが、彼はああでもない、こうでもないとドストエフスキーの他の小説の特定人物において見られるようにながながと理屈をかさねて断じて応じない。この作者らしい特徴が表れているが、どちらかというと地味で「死にかけ」のはずの祖母が付き添い一行に車椅子に乗せられて将軍一行に前に姿を現すところから、勢いが増してくる。
  祖母マリヤ・フィリーポヴナはポリーナをかわいがる一方、将軍には遺産を渡さないと明言してがっかりさせる。さらにはイワノーヴィチがなぜか贔屓で、彼に賭博場を案内させ、魅入られる。ここからはフィリーポヴナの無茶苦茶なルーレット勝負が延々と描かれる。賭博の様子は映画などでさんざん魅せられたので食傷気味だが当時はその描写が新鮮だったのだろうか。祖母は「0」という35倍の払い戻しがある滅多に出ない数字に次々と大金を張ってこれがほとんど大当たり、ビギナーズラックである。だが2日目、3日目となると同じ賭け方をして持ち金を全部なくしてしまい、憔悴し、健康をふたたび悪化させたのか、ロシアに帰ってしまう。将軍、デ・グリュー、マドモワゼル・ブランシュらの祖母の金の激しい増減にはらはらし混乱し、一喜一憂するさまは笑えようが、悪印象のほうが強い。祖母が持参した金をすっからかんにしたので将軍の一向は離散の危機に見舞われる。
  ストーリーを追うことに汲々となっているが、まだ三分の二を過ぎたくらいだ。ドストエフスキーがこれでもかこれでもかと読者の頭にいっぱいに詰めこもうとするので、こちらも食い下がろうという気にさせられる。
  ポリーナがイワノーヴィチのホテルの部屋に単身で来て相談をもちかける。デ・グリューから将軍にたいする担保証書の五万フランを彼女は贈与されて、その処置に困惑している。どうやら以前はポリーナとデ・グリューは恋仲であったらしいことがここでわかり、その延長上でなおデ・グリューはその気持ちを持続させようとするのだが、ポリーナは冷めてしまっている。また自分の部屋にポリーナが来たことに「愛」を感受したイワノーヴィチである。彼はにわかに情熱を滾らせ、賭博場へ急いで、短時間のうちに見事に二十万フランをせしめる。そうしてポリーナの待つホテルの部屋にとって返すがポリーナは金を受け取らず、ミスター・アストリーの後を追うと告げて姿を消す。ポリーナはわたしには難解だ。金を渡されて男に膝まずくことが、プライドが許さないのか、イワノーヴィチが賭博狂で「人間でない」ことを忌み嫌うのか。言葉も不明瞭だ。それでいてイワノーヴィチへの親近感は消失しない。後々にアストリーから彼女はあなたを愛していたと告げられてイワノーヴィチも読者もわずかな光明に逢着するのだが。
  ポリーナに去られたばかりではなく、賭博はたとえ勝利しても朦朧状態に陥るらしく、無自覚と無感動にイワノーヴィチは支配される。ポリーナをも忘れがちになる。このままだとまた賭博にのめりこんで無一文になるからという理由でアストリーに即刻のパリ行きを勧められ、マドモワゼル・ブランシュに籠絡されて、持ち金を全部巻き上げられ、彼女とのパリでの短期間の同棲が始まる。つまり、周囲の人の言いなりになるのだ。
  ブランシュのもとを去ってからも彼は故国ロシアには帰らず、ドイツの某町での単独暮らし。そこでも賭博にのめりこみ、負けて窮乏するが賭博に懲りることはない。なんとしても彼はおそろしいほどに自己肯定するのだ。「人間ではない」ことに。将軍やマドモワゼル・ブランシュはその後どういう運命をたどるのか、ポリーナは何処へ行ったのか、ストーリーはこの後もつづくが……。
  本作は「罪と罰」などに見られるような政治や宗教、国家体制にまつわるテーマは出てこない。ドストエフスキーという人の賭博狂としての一面を赤裸々にみずから暴き出すという意味では私小説的といえるのかもしれない。

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コメント

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Re: タイトルなし

ドストエフスキーはくどさ、ねちっこさにおいては最右翼かもしれません。屁理屈であろうと、一度口にすると、ああだこうだといってぜんぜん引き下がることなく、相手をねじ伏せにかかる。読者もくらいついていかないとわからなくなる。それと、書き殴るようにしてどんどん進行していく速さもある。まれな特異さをもった作家だと思います。

本格ロシア物は苦手というか食わず嫌いというか。水が合わないのかもしれません。ドストエフスキーと言えば、女好き、博打好きだったらしいので、本当はもっと身近な作家であっても良いのに(笑)

seha

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