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筒井康隆『家族八景』

小説・エッセイ・戯曲
09 /05 2020
  火田七瀬は十八、九歳で、お手伝いさんとして短期間ずつさまざまな家庭に住み込む。七瀬は「テレパス」(精神感応能力者)なので、家族同士がどんな感情を抱いて接しているのか、手にとるようにわかる。勘をはたらかせたり、さらに裏付けをとったりする必要なく、同時進行的に、家族が他の成員にどんな意識を抱いているのかが目の当たりにできるのだ。言葉では、やさしさ、いたわり、遠慮であったりするものが内心はまったく逆で、憎しみ、軽蔑、猜疑、もっと極端になると殺意であったりする。彼等はたとえば浮気願望に支配されていたりすでに実行したりしているのだが、配偶者にばれることを怖れ、ばれたとしても離婚をしようとはせず以前と同じく「一家団欒」を装うことをえらぶ。世間体を何より優先するのだ。言葉と心が絵に描いたように正反対なところが筒井康隆らしく、漫画的・ギャグ的であるといえようか。しかし、家族同士がバラバラである状態を多くの人が自覚するのだとしても、これほどの戯画はないだろう。迷いや曖昧さや理想にもどそうとする修復努力もあり、もっと複雑ではないか。そういう複雑さは排除されてこの作品は成立している。ということで、ここに描かれたバラバラ状態には苦笑以上の意外性や深みはない。
  文体の特徴をとりだせば、例えば「紅蓮菩薩」の一場面。女学生と浮気してから帰宅した大学教授の夫・新三に妻の菊子は、それをなかば知りながら「遅くまで、お疲れだったでしょう」と微笑とともに上品にねぎらいの言葉をかける。

  「ああ。若手には学会の雑用ばかり命じられる。ろくに研究する暇がない」(今夜の明子はいやに激しかった)(おれの気持ちが離れていくことを勘づいて、それを食いとめようとしているのだろうか)
  (女のことを考えているんだわ)(今、女を抱いた時のことを考えているわ)(考えながらご飯を食べているわ)(あの顔)(どんな顔をして女と)(どんな娘だろう)<中略>(その娘が、よそで喋ったりしないだろうか)(別の男がいるに決っているからその男に)
  (明子)(よそで喋らないだろうか)(男の学生とも旅館へ行っているようだ)(男の学生ともよく話している)<中略>(多摩子には、男はいない)(多摩子の方が安全)


  「 」内が表の会話で( )内が、七瀬に直に伝わってくる夫婦それぞれの本心ということで、スピーディーだ。他の篇も同じ調子。妻は夫が女学生と浮気をしていることを知っているものの家庭の破綻を回避するために知らないふりをしつづける。演技が板について近所でもその上品さが知られるくらいで、夫の方も妻にとっくに浮気がばれていることを知りながら、それを会話に乗せず、むしろ妻の演技に胡坐をかく形で浮気をつづける。両者のこのままの状態がつづけば、とくに菊子の怒りが頂点に達することを危惧する七瀬だが……。この篇がいちばん悲惨な結末を迎える。
  「無風地帯」は、主婦・咲子の荒涼とした心が七瀬のテレパシー(精神感応)に伝わってきて彼女を慄然とさせる。咲子は夫や子供にお手伝いさん以下の家畜並みの扱いをされている。ああしろこうしろと言われればその通りに動くしかなく、自発性はまったく奪われた状態でしかもそれに抵抗もせず諦めきっていて、自覚症状さえない。こうした主婦一人の隷従が家庭をかろうじて支えている。
  「澱の呪縛」は家屋の内部全体が耐えがたい異臭を放つという話で、しかも十三人の大家族のだれもがそれに気づかず、七瀬が懸命に掃除をしてからはじめて気づかされる。よその家にいってちょっとした異臭を感じたことは誰にでもあるのかもしれないが、ここまでは体験した人は少ないだろう。しかし全くありえないことではなく、その意味では現実的だ。無計画に子供をつぎつぎに産んだ兼子は家の片づけにはおそろしいほど怠慢で、洗濯物は山積み、食器類は水につけたままで放置されている。夫の浩一郎が兼子にやさしすぎることも一因だ。子供達も馴れきっていて、靴下や下着を共有することも平気で家のルールだと思っている。異臭に無自覚なのも勿論のこと。だが、エロ雑誌を見つけられた高校生をはじめ一家のほとんど全員が七瀬の清潔化を感謝するどころか迷惑がる。異臭をはじめ家の恥を晒されたことの立腹と、それを近所周辺にふれて回りはしないだろうかという警戒心だ。彼等は彼等なりの団欒を楽しんでいたのだ。あわてて辞職する七瀬。この篇がいちばん記憶に残るだろうか。
  「水蜜桃」は定年退職を早められて家でごろごろする主人・勝美からレイプされそうになるという話。通常はテレパスであることをひた隠す七瀬だが、このときは非常手段としてあからさまに勝美に彼が今何をしようとしているのか、伝達する。男はひとり言をいっているような、七瀬に欲望をすっかり読まれているような不安に落とされる。激しい衝動とその直後に予定される行動には必ずしも言葉がともなわず曖昧さが含まれるのかもしれないから、それを言葉で明瞭化することで当人を揺さぶることが可能かもしれないとは思う。だがテレパスなるものは、わたしからみると空想でしかなくその能力を行使して他者に「読まれている」ことを伝えることは、空想にさらに空想をかさねることで、面白いとは思えない。もっとも、こういうハチャメチャが筒井康隆のファンにとってはたまらないのかもしれないが。
  「日曜画家」で七瀬が関心を寄せるのは主人の竹村天洲で「水蜜桃」の勝美とよく似た俗物的人物だ。有名で売れっ子だった父と比べて、同じ画家志望でありながら天州の絵はあまり売れず、サラリーマンをしながらの文字通りの日曜画家であり、そんな彼を妻や息子は普段からなじりつづける。七瀬は天洲に同情するがこれがとんでもない誤解であることが判明する。テレパスは通常は言葉で伝えられるが、ここでは天洲の内部が抽象画が得意な彼らしく、すべて図形で表示されて七瀬の誤解を生む。ハチャメチャでかつ結構こみいった書き方で、筒井ワールドなのだろう。

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コメント

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Re: タイトルなし

G・Gさん、筒井のファンだったんですね。新しいタイプの書き手であることは疑いないですが
>人間のどす黒い部分、これがわたしにとっては劇画的、通俗的で、飽き足りないところです。未読のものがどうかは当然知りませんが。

若い頃、筒井ファンと言っても良いぐらい読んだので、懐かしく思いました。一気に読ませるテンポが快感、ま、人間のどす黒い部分をこれでもかと畳み込むので、疲れると言えばそう。ただ、今となっては、読みたくなる作家ではないんです。歳を取ったせいか。

seha

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