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伊東乾『さよなら、サイレントネイビー』(1)

さよなら、サイレント・ネイビー―地下鉄に乗った同級生 さよなら、サイレント・ネイビー―地下鉄に乗った同級生
伊東 乾 (2006/11)
集英社

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 著者の伊東は現在東京大学助教授だが、同大学に理学部物理学科学生、大学院生として席を置いていたときに、地下鉄サリン事件の実行犯の一人豊田亨と同級で親友であった。1986年4月の入学から1992年4月、豊田がオウム真理教に突然出家するまでが交流の期間である。伊藤によれば、豊田は頭脳明晰であり、朴訥でありながらユーモアのセンスがあったという。実験のペアを組んだり、論文について徹夜で話したこともあった。その豊田が、彼の前から姿を消して、気がついた時には、史上まれな無差別テロ事件の犯人の一人であったのだ。伊藤の筆致は冷静だが、そのときのショックは、他人には計り知れないものだっただろう。(伊東は地下鉄サリン事件の直後、電車のなかでめまいを感じ、下車して嘔吐した。まだその段階では、豊田が実行犯にふくまれていたことは明らかではなかった。)

 だが事件後も、伊東の豊田によせる友人としての信頼は揺るがない。伊東の問題意識は、豊田のような好青年が何故オウムの落とし穴に嵌ってしまったか、ということだ。豊田の個性を問題にするのではなく、どこにでもいるインテリ青年として彼をあつかい、対極にオウムのような歪んだ組織を置く。俎上にあげられるのはオウムにとどまらず、ルアンダ内戦やナチスドイツ、日本の軍国主義にまでと広範囲におよぶ。そこに伊東は、善意の青年と大小さまざまな悪の組織集団、また異様なまでに緊張した国家状態との普遍的な因果関係を見出そうとする。豊田とは区別して、憎んであまりある麻原を詐欺師と規定して、彼をはじめとする組織悪の「騙しのテクニック」を全般的に解明しようとするのが伊藤の意図である。同じことだが、被害者と加害者の対立という受け入れられやすい単純構図を伊藤は排除する。つまり。無垢の被害者もまた、偶然のいたずらによって、以前にオウムの勧誘を受けていればコロッとだまされてしまう存在であり、被害者=加害者という等式が成立するのだという。

 伊東は広義の意味での性的快感をとりあげる。麻原はヨーガや宗教的修行の指導によって被験者を性的快感に導くすべを心得ていた。伊藤は自身の少年時代に鉄棒に夢中になった体験も交えて「勃起しない快感」と「勃起する快感」とに性的快感を分ける。後者は直接的に性行為と異性につながろうとするものだが、前者は一見それらとは無縁に見えてしまう。これは私個人にも高校生時代の反戦デモ体験での高揚感などで、身に覚えのあるところである。性的快感と共通するのは、快感物質が身体に湧出することだろう。そこに麻原という男が指導者として介在する。性的快感を自己救済の一過程として褒めそやしたとしたら、被験者たる若い人は悪い気持はしないだろう。ましてそこに「世界救済」やポアの思想まで接ぎ木してしまえば、マインドコントロールはできあがってしまう。

 麻原いうところの「クンダリニーの覚醒」を、伊東は性的オーガスムに類似した性的快感の頂点と分析する。性的行為とは分離したところで実際の性行為以上の快感をえられるものらしい。「勃起しない快感」の頂点である。その境地まで弟子たちを引っぱり上げるのが、麻原の役割なのだろう。上祐史浩は「性欲がズバッと落ちた」と表現したという。麻原の著書『生死を超える』が引用される。

《例えばムドラーを行じているとき、クンダリニーが上昇してわたしは“悦”に入った。何気なく立っているときや、歩いているときにもそれは起こった。それが起こるときには、必ずムーラ・バンダ(肛門の締めつけ)と性器の締めつけが自動的に始まり、体を震わせながらクンダリニーが駆け昇る。その感覚たるや、この世で味わうことのできる、最高のエクスタシーだといえるのではないかと思う。どう表現したらいいのだろうか。セックスの快感とは全く違う。とても優しく柔らかく、溶けてしまいそうな感じである。“悦”に入っている間、その快感は強まることはあっても決して弱まらない。しびれも伴って、それがまた気持ちいい》(本書p103)



ムドラーとは何だろうか、ヨーガや宗教的な身体運動の一種のようだが、私には詳しいことはわからない。ともかくも、体験を自慢気に披露する麻原に対して、一方では「俺も同じことを感じた。」、「俺はあと一歩のところかなあ。」などと自身をふりかえりながら陶然と聞き入る弟子たちの姿が目に浮かぶ。まさしく麻原はグルだ。たぶん弟子たちは、自己の充実と少し先の未来をうっとりと眺めて、そういう世界しか見えなくなっているのかもしれない。その先に「世界救済」のための行動があるとして、この性的快感はそこへ大いに勢いをつけて舞い降りるための噴射ロケットとして弟子たる青年にはとらえられたのだろうか。政治経済的理論が必要などと言うのは野暮かもしれない。だが性的快感は重要ではあるものの、それだけで「世界」は成り立っているのではない。ましてそんなものを通過点としか見ない人も大勢いるのだが、私のことをふりかえっても青年には、自己世界の同心円的拡大にしがみつく以上のことは、なかなか理解できない、理解しようとしないのではないか。
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