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モーパッサン「蠅」「ポールの恋人」「首かざり」

小説・エッセイ・戯曲
08 /01 2020
  「蠅」は若い「五人の無頼漢ども」が小さなボートを共有して、セーヌ川などパリ近郊で遊び惚けるという話。同乗してくれる女の子を探していたところ、ぴったりの子が見つかり彼等は有頂天になる思いだ。顔は美人というほどではないがそこそこ可愛く、冗談好きで話好きで、相手をすると面白い。いつも明るく、男たちにはえらそうな態度をとるが、それがまた可愛い。要約するとそんなところか。女のあだ名が「蠅」。そんな「蠅」が男たちのなかの一人と恋人同士になって一時他の男を憤慨させるが、男ども全員があぶれることはなく、つまり女は恋人以外の男全員の口説きを受け入れて肉体関係を結ぶに至る。女には男女の一対一の関係を保持しようなどとの意識はなく、自由奔放でかつ明るさを失わないのだ。やがて女の妊娠が明らかになる。当然というか、相手が誰かはわからずじまいだが、女と彼等の関係は以前にもまして仲良くなるばかりで、生まれてきた子供を共同で育てようとの合意がごく自然に形成される。だがそれも束の間女が事故を起こし命に別状はなかったものの子供は死産となる……。
  ここから先はネタバレ防止を配慮してストーリーは差し控えるが、彼等と女性の関係はさらに強固になり団結が高まる。男たちは「蠅」にかぎりなくやさしい。ほほうと、わたしは小さく感嘆した。日本の小説ではこういう展開はあまりお目にかかれないから。もっともこういう関係図式は青春と呼ばれるかぎられた時間にしか成立しないものだろうが。彼等の関係が暫くはつづくとしてもやがては消滅する運命にあることは想像できる。だからこれは人生の断面であり、やがては思い出になる出来事なのだが、それにしてもここまではなかなか書ききれない、当事者としてもついていききれない気がする。もっとも、喜劇仕立てになっているが。
  「ポールの恋人」も同じくパリ近郊の水辺が舞台。よく知らないが、パリ付近のセーヌ川にはいくつもの支流が合流し、さらには運河もあって水で囲まれた地を「島」と呼ぶようで、ある一角には安酒場があって下層階級の人々が集まって享楽し、酔っぱらい、揉め事もときどき起きる。また水遊びもでき、私有のたくさんの小型船が浮かんで水遊を楽しみ、見物人も多く集まる。だが主人公のポールは「上院議員の倅」というせいもあって保守的で「繊細」で、当地に集う人々を毛嫌いするようだ。にもかかわらず、恋人のマドレーヌを船に乗せて訪れるのは娯楽施設がそこしかないからだ。マドレーヌは作者によれば「腹のたつくらいバカな女」「このちっぽけなキリギリス」「ちっとも美しくなんかない女」などと酷く形容されるが、明るいものの恋人意識が皆無なところは「蠅」の女との共通点だろうか。だがポールはマドレーヌを独占したい、清涼で平和な恋愛関係を築きたいとの病的ともいえる願望に支配される。一方ではマドレーヌはその重苦しさ、軛から解放されたいとの思いがある……。
  「恋煩い」という言葉があるように、恋愛感情はときとして常軌を超える。すでに性交を済ませた後で、女の肉体のもつ魅力が魔力と化して、自らに課した理性や意志を超えて相手に「盲従」してしまって、後戻りできなくなる。自分にはないものを女は持っている。その神秘にどこまでもついていき、しこたま味わった後、自分に適合した世界に女ともども戻りたいのだ。だが彼等の傍に評判のレスビアン四人組がボートに乗ってやってきて、事態が一変する。知り合いらしく、そのなかのポーリーヌがマドレーヌに声をかける。保守的なポールにとってはレスビアンは仇敵以外ではなく、ポールは制止するものの、マドレーヌはやがてはその誘いに応じる。
  行方知れずになった女をポールは探し回るが、伐採林のなかでまぐわう最中の二人を発見し、ポールは狂気に陥る。わたしはにわかには想像できないが、おそらくは一時も耐えられない頭痛、転倒した世界に支配されるのだろう。自分にない世界を知ってかろうじて持ちこたえられていた世界が、全面的に抹消された世界となって変貌するが、それもまた自分の世界で、「自分」から逃れたいというはげしい欲求に急転直下支配されることになる。

すると、彼は、この場から逃げだしたい、何も見たくない、何も知りたくないという、途方もなく大きな欲望にかられた。彼をくい荒らす、この狂暴な愛欲から、永久に、遠くのがれたかったのだ。(中略)みだれ髪が、わずかばかり額にたれ、眼はまだとじているものの、朝の接吻を受けようと、口はあけている。こんな朝の愛撫が、ふと、思い出されてきたので、たちまち狂的な未練と、はげしい欲情がわきおこってきた。


  「蠅」は束の間の理想郷を描いたとすれば、ありふれているであろうものの真実にちかい恋愛の悲劇を描かなければと、作者モーパッサンは思ったのだろう。ただモーパッサンは風景描写を丹念に描きこんでいて、ポールの心理の目まぐるしい変遷をそれに対応づけようとしているのだが、わたしの理解力では煩わしかった。
  「首かざり」は美貌と気立てに自信のある女性が安サラリーの小役人と結婚してしまった、というところから話がはじまる。こういう女性は多いらしく、わたしもスナックによく行っていたころに何人かに出会ったことがある。三十代後半から四十過ぎで、若いころの美しさの余韻を留めていたが、彼女たちの共通する不満は現状にたいしては勿論、つまるところ玉の輿に乗れなかったということに行き着く。どうしてそうなったのか、周囲の境遇が原因か、コネがなかったのか、いい出会いがなかったのか、単に運がなかったとふりかえるべきなのか、憂さ晴らしのためにスナック務めをするのか、それでも酒を呑んでも繰り返し聴かされるのは同じ不満である。いくら美人であっても玉の輿に乗れる確率は極めて低いのだが、彼女たちはそれを納得できない。ちやほやされる若い女が嫌いで、芸能人のゴシップに意地悪な興味をもつ。話をしていてもこちらは面白くもない……。脱線したが書いてみたかった。
  その女性マティルドに晴れの舞台がふってわく。夫妻に文部大臣主催の夜会の招待状が届いたのだ。だが着ていくにふさわしい衣装も装身具もなく、マティルドは夫に懇願して高価なドレスを購入し「ダイヤの首飾り」を知人の女性から借りることができたうえで出席することができ、しかも夜会において上々の評判を得ることができる。しかし晴れ舞台は直後にそれまで味わったことのない不運に見舞われてその一度かぎりになってしまい、あとは生活苦のどん底に何年も陥る。十年後、装身具を借りた女性に町でばったり出会うが、その女性からは相手がマティルドであることがわからず、名前を告げられてようやく思い当たるという次第。それほどまでに老け込んで美貌は喪われていたのだ。
  これも人生。同情と感傷に誘われるが誠実さはつらぬくことができた一回きりの人生だ。

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コメント

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Re: タイトルなし

喜劇化した短篇も多いのですが、人間の弱さ、狡さ、失策など執拗に描かれている。幸運と不運もある。つまりは庶民の生活そのものが顔を覗かせるようで、ちょっと重い荷物を背負わされた気にもなにます。晩年の自殺未遂は奇々怪々。

モーパッサンは、荷風初め多くの日本の作家に影響を与えたと言われていますね。少し変わった怪奇的とも言えるような短編が多いような印象です。最後は、狂い死にしたとこなんかは、彼らしいのか。

seha

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