鬼火(1996/日本)
05/18/2007 (Fri)
![]() | 鬼火 原田芳雄 (2000/08/25) ハピネット この商品の詳細を見る |
殺人犯としての刑期を終え出所する原田芳雄。彼を迎えに来るのが弟分の哀川翔。原田は哀川の所属する組織の運転手として再出発するが、ピアノ弾きのアルバイトをしていた片岡礼子と知り合う。片岡は身内がひどい目に遭わされたことを打ち明け、復讐の助太刀を原田に依頼する。二人は親密になり、行動をともにする。
ジャン・レノ主演の『レオン』によく似た話だ。またヤクザを素材にした映画も数多く、哀川翔や奥田瑛二もこの手の映画ではお馴染みらしいので、作り手がいかに二番煎じを避けて新鮮味を出すことができるかが課題となるだろう。その点、目先を変えることには成功している。ストーリー展開が小気味よく予断を裏切ってくれる。また、枝葉末節とも受け取られるカ所がすくい取られていて、薬味の効果を出している。
目に付いたところを紹介すると、原田が店でお好み焼きをつくる場面がある。片岡礼子を前にして、まずお好み焼きを焼く。次に焼きそばをつくってお好み焼きの上にのせて、そのうえからソースやらマヨネーズやらをぬっていく。海苔をまぶす。原田の手さばきは堂に入ったものだ。表情がほころぶ片岡。ソースの匂いが漂ってきそうなうれしい場面だ。大げさに言えば、主人公の日常性への愛着と親和がよく表現されている。同じく日常性に対する原田の別の面を描いた場面。一時期働くことになる小さな印刷所の社長と将棋を指す。真剣に盤に向かう原田。一方の社長の方は、原田を将棋に誘っておきながら、まるでやる気が無く、ときには競馬新聞に没頭する。その無礼な態度に思わず激高してしまう原田。狼狽する社長にかまわずその場から立ち去る。主人公の潔癖さのあらわれだ。社長は彼なりの日常性に対する「愛着と親和」のやり方を持っているが、原田はそれに馴染むことができない、妥協できない、ということだろう。また原田のなかで「敵」に対する憎悪が連想されたのかもしれない。この二つの場面の対比はあざやかだ。後者の将棋の場面はまた、クライマックスにも内実としてつながっている。
Trackbacks
あまりにも豊かな叙情性を湛えた傑作です。こういうのを観ちゃうとハリウッドのアクション映画がもうガキンチョ臭くて。もしこの作品にピンとこなかったら、映画ばかり観ていないで外へ出ましょう。27年ぐら
2007/06/01 (Fri)
19:33 | ☆☆☆ 二番館劇場 ☆☆☆
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comments
この映画、私にとっては拾いものでした。
たいして期待しなかったんだけれど、よかったです。
そういえば、お好み焼きのシーンは即興かもしれませんね。
あなたのブログ、ちょっと覗きましたが、物量豊富です。
TBさせていただきました。
お好み焼きのシーンいいですね。片岡礼子の表情からみて、あれは即興というか、素ではないかと。芝居臭いベタベタなシーンにならない配慮でしょうか。そこに上申書の朗読をかぶせることでとぼけた味も出ていて。好きなシーンです。
>原田のなかで「敵」に対する憎悪が連想されたのかもしれない。
その通りだと思います。将棋盤をひっくり返したあとの鬼の顔が
忘れがたいです。
またお邪魔します。
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