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丸山健二『月と花火』(2)

>丸山健二
11 /03 2019
  丸山健二は一作ごとに主人公を不幸にしたり幸福にしたりすることのできる自在性をそなえた作家だ。わたしたちもそれぞれの局面で幸不幸を味わったり、他人のそれらを聞いたり耳に入ってきたりする。他人の幸不幸については、みずからが非体験であっても想像で触手をある程度までは届かせることができるし、無論できない場合もあるが、丸山の作品の大部分は想像可能な人間の世界が描かれている。また丸山は心理描写において自然や社会の風景を主人公に引き寄せて語らせるのが巧みで、この作者の強みだ。ときには風景描写そのものが作者の目的であって、登場人物の物語が二の次、引き立て役にみえることすらある。
  「雪折れ」は大雪に閉ざされた家で、男が駆け落ちの約束をした人妻を待ちわびるという話。屋根には押しつぶすほどの雪が積もり、家の周りの杉の枝がつぎつぎと折れ雪崩も心配されるさなか、さらに雪は降りやまないから女は来ないのでないかと読者は予想し、実際に来ないのだが、男は一縷の望みを捨てきれない。密通がやがてばれてしまいそうなので一刻の猶予もないと男は焦燥に身を焦がす。荷物をまとめたリュックをかたわらにして、ときには玄関先の積雪に穴を掘って女のためのつもりで道をつくったりする。愛犬は道連れにできないので殺して穴を掘って埋めた。その犬が夢か幻想か、男と一緒に部屋に横たわっていたりする……。切羽詰まった男が狂っていく短い過程がある。丸山健二は長野県大町市に住むというから大雪は身近な光景だろう、雪の描写には迫真性がある。
  「河」は交通事故で奇跡的に助かった男がいいしれぬ幸福感にひたるという話。家族をつれてのドライブの最中、男は居眠り運転をして山沿いの道路のカーブを曲がり切れず、あやうく崖下の河に転落するところだったもののガードレールのおかげで車は停車した。病院に運ばれたがやがてもうすぐ退院という時期になって、男は近くの食堂で腹を満たす。羊の肉と鯉の素焼きにビールというメニュー。山裾からせりだした崖の上の野外のテーブルに落ち着いて腰をおろす男。男の幸福感がどこからくるのか、男自身の分析はないが、心身の核心からやってきて、しかもそれをむやみに否定したくない、長くまどろんでいたいという気分が横溢する。人生の折り返し点で、怪我とはいえ思わぬ休息をえたことからごく自然にやってくる幸福感なのか。わたしも二週間の入院生活をしたことがあるが、身体の軽さを覚えたことを思い出す。そういう暫しの幸福に男は酔いしれたいのだ。食堂は夕刻から夜に移ろうとする。山の稜線が、河が見下ろせる。
  

そこかしこでヒグラシが鳴いている。日没を間近に控え、もしくは、一段と活発になってきている。風はそよとも吹かない。しかし、決して蒸し暑くはない。おそらくいつになく凌ぎ易い晩になるだろう。蚊も飛んでいなければ、ブヨもいない。ここでは早くも夏が去りつつあるのかもしれない。あしたから秋が始まるのかもしれない。


  風景は具体性があってかつ穏やかであるが、風景に魅せられて主人公が幸福感にひたるのではなく、逆に、彼の幸福感の反映であるだろう。他の客がやってくる。壮絶な夫婦げんかの最中の若い男女であったり、野良仕事を終えた地元の巨漢の男であったり。その男はものすごい食欲をみせ、主人公を頼もしがらせる。家族の死を知らせに来た子供も相手にせず酒食に没頭するが、べつに主人公を訝しがらせることもない。若い夫婦もやがて元のさやに納まるだろうとの楽観的な見通しを主人公は無根拠に下す。何もかもを笑い飛ばしたいという主人公の幸福感が反映されるのだ。
  「ヒマラヤの青いケシ」の主人公の幸福度は「雪折れ」と「河」の中間くらいで、わたしたちの大部分と相いれる生活が描かれる。
  三十代なかばの主人公は元登山家で、平凡なサラリーマンには成りたくない、自由な生活をしたいとの願いで、一念発起して登山やスキーやリゾートを目的にやってくる客を目当てに山岳地にロッジを開く。金策や土地や建物の問題をやっとの思いでかたづけたものの客足が思うように伸びずあせる。ローンも七年も残っているという状況。同じように宿泊施設をつくった人もいるが、軌道に乗ったところもあればそうでないところもあり、主人公は後者の立場で、その同業者の中には何人か自殺した者もいる。打開策を考えるものの先立つものが、金がない。土地が売れればいい、このままの状態がつづけば夜逃げするしかない、また自分は登山家としての気魄を決して失ったつもりはない、などとあれこれ思案が渦巻く……。他人の備品を平気で盗んで知らん顔をする地元民(主に老人)にも勿論、なじむことができない。
  そんななか、主人公に唯一の希望、希望ともいえない小さな希望を、慰めをもたらすのが、登山家の友人からもらったヒマラヤで採集した題名の「青いケシ」の種で、庭で蕾がほころびかけた時期のその花をバンガローから見下ろす場面からこの短篇ははじまる。
  後悔しても後戻りが容易でない。かといって変節することもできないという男の渋滞した情況が過不足なく描かれる。起伏が少なくエッセイのような感がなくもないが、わたしたちの生活と通じるものがここにはある。運命なるものは向こうからやってきてきびしく、個人の思い入れではどうにもならない局面がある。だが当然「青いケシ」はわたしたちも持たなければならない。
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seha

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