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大洋ボート

伊勢物語・二十一段

  伊勢物語は万葉集以降の歌集に掲載された和歌に簡素な背景的説明がくわえられて再掲載されたものである。主要筆者は在原業平といわれ、初めは業平が自己の歌を中心に据えて編んで成立したものでありながらおそらくは複数の他者の筆写の段階で筆写者によって新たな段が創作されてつけくわえられたという。また短い後註もすでに成立した段にあらたに加えられたようだ。印刷技術のない時代だからこその成立事情といえよう。各段は、今日の本になった状態で長い段でも三、四頁、二首以上の歌が採られた段もあれば、最短なら一行の註と一首の歌で成り立っている段もある。また各段は、まったく独立したものとして読めたり、特に業平関連ではつながりが認められるものもあったりと多彩だ。業平の「悲恋」やそこに込められる恋愛観、皇族や宮中また異国の人々との交流関係が分量的にも多くかつ主要部分であり、伊勢物語を語るならばそこを外すことができないが、今のところわたしの興味はそれ以外の別の作者が書いたであろうと推測される(わたしが勝手に)段に惹かれる。もっともそれらの段も、恋愛中や夫婦の一対の男女関係について描かれた段が大半だから業平関連とまったく相貌を異にするのでもない。以下、渡辺実の校註を参考にしながら感想を記したい。

  女が突然家出をした。男にとっては身に覚えがない。浮気などせず愛しつづけていた、睦み合っていたという以外の記憶がふりかえってみても浮かばない。家出の原因を男はつかめないのだが女の意思は固そうで、次の歌を残して去った。

いでていなば心かるしといひやせむ
世のありさまを人は知らねば(35)
<わたしが家を出て行ったら、世間の人は軽薄だと言うだろうか。私達夫婦のことは他人にはわからないのだから>(渡辺実口語訳。以下同)


  まず、奇異な印象を受ける。家出の原因を自分の主張を盛り込まず、世間体は悪いにはちがいないが世間の人には夫婦関係の奥底はわかるはずもない、わたしは決して悪くない、わたしなりの家出しなければならない重大な事由があるというのだ。(渡辺実によれば「人」は世間の人とともに夫も含まれるという)歌の前文に「いささかなることにつけて」とありながら、その「いささか」を妻は語らないのだから夫の男の昏迷は深まるばかりだ。妻であった女をさがそうとはするが、そのあてもなく、心情を歌う。

思ふかひなき世なりけりとし月を
あだにちぎりて我やすまひし(36)
<愛していた甲斐のない、あの女との間柄であったなあ。長の年月をよい加減な心で契って私は暮らしてきたろうか>いやけっしてそんなことはない、私は真心から妻を愛してきたのに。


  妻は暮らしが成り立っていたとしても、夫との生活に解放感がなく息苦しさを感じていたのかもしれない。あるいは単に虫が好かない感情が高じたのかもしれないと、わたしの想像は広がる。やがて男は女の居所をつきとめたらしく、歌を贈る。

人はいさ思ひやすらむ玉かづら
面影にのみいとど見えつつ(37)
<あなたは、さあどうだか、私を思っているのだろうか。幻にばかりいよいよ頻りにあなたの姿が見えはするのだが>「玉かづら」は「面影」の枕詞。


  次の文に「いとひさしくありて」とあるから、元夫としたほうがいいのかもしれないが、なお男は女の愛情の有無を確かめようとする。男の愛情が強いのか、くどいというべきか。それにたいする女の答えは擦れている。

今はとて忘るる草のたねをだに
人の心にまかせずもがな(38)
<今は終わりだと思って私を忘れる草の種を、あなたの心に播かせたくないものです>


  男にとって聞きたいことは、今も私にたいする愛情はあるのか、依りを戻す気はあるのかということで、女はそれをわかるはずでありながら正面から答えようとはせずに、逆に男の愛情如何を問うている。どうもなまくらで、食えない女ではないか。まさか追いかけてきた男の愛情を疑うのではあるまいに。男は「忘るる草」を受け継いで歌う。

忘れ草植うとだに聞くものならば
思ひけりとは知りもしなまし(39)
<あなたが私を忘れるための忘れ草を植えている、とだけでも聞くのなら、それでは私を思っていたのだ、と知りもしようが>


  男はなお女の愛情をもとめて迫り、苛立つのか、そうして女の愛情がついえたことをしだいに知って引きさがろうとするのか。さらに

忘るらむと思ふ心のうたがいに
ありしよりけにものぞかなしき(40)
<もう今は私をすっかり忘れているだろうと思う疑いの心から、別れた当時よりも一層もの悲しいことだ>


  女に元の鞘に収まる気がないのなら、それ以上つべこべ追及しなくてもよい。女の家出の原因が何か、知らないままでもよい。ただ一途な愛情をかけて長く一緒にくらした女だからこそ、その離反が決定的になったことは疑念にまみれた時よりもいっそう悲しく、落ち込むのだろう。生に暗雲が立ち込める局面だ。もう一首、女の歌があるが省略。
  巻末付録によれば、35は古今六帖・なりひら、36は出典明示無し、37は新勅撰集、38は新勅撰集、39は続後撰集、40は新古今集からそれぞれ採られている。それぞれが独立して鑑賞に耐えうる歌でありながら、作者はこういう形で歌をつないで註釈を書きくわえ、逃げる女と追う男の物語をあらたに創造したというべきだろう。女性への怨念や軽蔑、不可解さが滲ませられており、作者にとっては一時の切実な問題であったと想像したい。



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