大洋ボート

青山七恵『ひとり日和』

ひとり日和 ひとり日和
青山 七恵 (2007/02/16)
河出書房新社

この商品の詳細を見る

 若い人が社会に出る、自立するとはどういうことだろうか。人に役に立ちうるだけの技術や知識を最低限身につけなければならないのは自明だが、その他にもモラルや礼儀、周囲の人に対する善意や心配りが要求されるだろう。それらができたうえで、職種が希望に合っていたり、周囲の人が親切でやさしかったならばいうことはない。さらに、同性、異性の友ができればもっといい。だが、こういう具合に自他の環境にめぐまれることは稀なことかもしれない。つまり多くの若い人が完全さから落ちこぼれるだろうし、落ちこぼれないまでも、すっきりしない気分に見舞われる人もいるであろうことが想像できる。つまりは「自分らしさ」からのズレの意識だ。たとえば「型にはめられる」、「流される」というような居心地の悪さやちょっとした喪失感、それくらいの気分ならまだしも、外側から見るといかにも大げさな、はたまた妄想的な被害者意識か、それを反転しての反抗意識に陥ってしまう場合だってありうる。そこまで行き着いてしまうと、自分でも統御ができなくなる。範囲をひろげ過ぎたが、若い人のそういうズレの感情や意識は、社会や職場に慣れるにしたがってはたして解消されていく一過性のものか、いついつまでも引きずるものか。これはとても、若い人というだけで一括して語ることなど、できない。まさに若い人の人の数だけの「症例」と物語があるのだろう。
 
 この小説の主人公知寿も二十歳を過ぎたばかりで、そういう社会に対する不適合性を抱えた若者の一人だ。外側から見ると、そこそこの善意と明るさを備えたごく普通の若い女性に見えてしまうが、そうではない。彼女には盗癖がある。それも被害者が無くしてもたいして痛痒を感じないであろう小物を選んで盗む。煙草の一本、小さな人形、学生時代ならば、消しゴムやクリップなどを、親しい距離にある人からこっそりいただくのだ。つまり知寿は二重構造を抱えた女性だ。自立しなければならない、善意をふりまかなければならない、それは正しいことだし、自分もやって行かなくてはならない。それがわかっていても、あえて盗癖を矯正しようとはしない。矯正しないことが、彼女にとってはバランスをとることらしい。どちらの彼女も真実だし、どちらか片方だけをとりだしても彼女の肖像にはならない、ということだ。

 

急に涼しくなった。
 夏が、終わるのである。
 藤田君、吟子さん、ホースケさん、わたし、の四人で、庭で花火をした。藤田君とわたしは両手にいくつもの花火を持って、めちゃくちゃに踊ってみせた。お年寄りたちはそれぞれ一本ずつ試して終わった。燃やすものがなくなって、縁側でおとなしくビールタイムになったころ、わたしはお代わりを取りに台所に行った。テーブルの上に、ホースケさんのセカンドバッグが置いてある。チャックが開いて、中身が半分飛び出している。覗いてみてもたいした物は入っていなかった。お守りのついた家の鍵、しわしわのハンカチ、黒い財布、本屋のカバーがかかった文庫本、仁丹、飴二つ。もらうなら仁丹だな、と思い、ケースごとポケットに滑り込ませた。(p84~85)


 この小説の構図を凝縮した場面だ。知寿は集いに溶け込んで幸福である。他の人も楽しんでいるし、行く夏を惜しむ気分に気楽にひたっている。だがその一方では、知寿は小さな悪をやめないのだ。楽しみたい、だがそれは嘘ではないのか、動かなければならない、だが動きたくない、という奥底の半分無意識のような意志を、知寿は盗みによって自己確認したがっているように受け取れる。

 吟子は知寿の母の遠縁にあたる人で七十歳を過ぎた老婆だが、理解力と包摂力をもった人として描かれる。知寿が埼玉から東京へ出て来たときの寄宿先の家主で、猫二匹と優雅に暮らす独居者である。死んでしまった愛猫の写真の二十匹ほどを鴨居にずらりと飾り付けてあるのは少し無気味だ。だが知寿は吟子のいわば知恵袋に教えられる。たとえば人生には悲しみも喜びも両方がある、どちらか一方ばかりで占められることはない、という意味のことを諭されるのだが、知寿には喜びも悲しみも理解しえていないのではないか、という不安が、居心地の悪さがつきまとう。知寿にとっては、吟子は理想の人かもしれないという思いも抱きつつ、故のない反発心をも向けてしまう存在だ。ホースケは吟子のボーイフレンド、藤田は知寿がアルバイトの職場で知り合ったボーイフレンドである。また、知寿の母は長期間の中国出張からたまに帰ってきて、知寿と親子ごっこのようなこともする。「血のつながり」の問題として重要だが、省略する。

 読者は知寿の手癖を責める気にはならない。盗癖でないにせよ、自分にもそれに近い出来事や心情があったのではないかと、なつかしささえ覚える。そう思わせただけで成功で、作者は知寿の盗癖に深い分析はくわえないし、知寿による自己分析も最小限だ。そしてまた、二重構造をもつ知寿が、親しい人から何かしらうち解けがたさを嗅ぎとられてしまうことも書き忘れない。人間には肌合いがあって、それが本能的に働くからだ。盗みが発覚しても指摘しないのかもしれないし、それ以前に嗅覚が働いてしまうからかもしれない。そういう人は無論、知寿をとおざける。反対に、知寿自身が、結果的に親しい人からうとまれる存在であることを知るのは、親しい人は勿論、読者や作者よりも遅い。ここがまたこの小説の憎いところだ。そういう時間のズレが、作者のおそらくは自画像に近い知寿という女性の輪郭をくっきりとさせている。そしてまた、知寿は吟子はじめ親しかった人の世界から去って行きもする。そこは自覚的で、単に忌み嫌われた者として自分を扱ってはいない。泣きじゃくったりはしないが、別れのつらさ、痛切さが、ボディブローのようにじわじわと責めてくることを知寿は自覚する。はじめて味わう「悲しみ」なのかもしれない。文体は軽さと丁寧さがあって読みやすく、しかも上品だ。
 
関連記事
スポンサーサイト
    01:07 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top
Comment







(編集・削除用)


管理者にだけ表示を許可
Trackback
http://oceanic.blog70.fc2.com/tb.php/75-f1f6859e
プロフィール

seha

Author:seha
FC2ブログへようこそ!

カレンダー(月別)
05 ≪│2017/06│≫ 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
最新の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
月別アーカイブ
全ての記事を表示する
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
ブロとも申請フォーム
ブロとも一覧
ブログ内検索
RSSフィード
リンク