大洋ボート

長谷川四郎「張徳義」里見トン「みごとな醜聞」村上春樹「動物園襲撃」

   長谷川四郎「張徳義」は日本の満州国支配と日中戦争下における中国人下層労働者・苦力の存在に焦点をあて救い上げようとする。張徳義は勤勉な労働者でかつ楽天的で、稼いで家族に楽をさせたいと願う。人力車夫や材木伐採、炭鉱工夫などさまざまな職業を渡り歩くが、何をやっても薄給で、手元には自分の食い扶持しか残らない。日中の経営者が当たり前のように搾取するからで、最後に行き着いたのが、日本軍が管理するソ連国境近くの満州北西部の橋。その橋は軍事機密で通行禁止になっていたが、知らずに渡ろうとして拉致される。担当軍人は処刑も一考したが、「自給農場」設営に役立つとして張を生かし、その管理にあたらせる。捕虜の身分だが、一日の食事が「空き缶いっぱいの高粱とミガキニシン」という空腹を満たすにはほど遠い量だ。しかもねぐらと言えば馬小屋の隣の倉庫で、とても捕虜にふさわしい扱いではない。それでも張は働けば働くほどそれに見合う報酬をもらえるものと期待して懸命の活躍をする。開墾や草刈り、播種、冬になれば、仕掛けを作って凍った河で魚とりをしたりと。その地の少人数の日本軍にとっては、張はこのうえなく重宝な存在となる。だが彼の食事は以前のままである。釈放を要求するが、それもかなえられない。前々回紹介した八木義徳の「劉広福」では、会社の日本人管理者が苦力に人情豊かに報いたが、ここでは真逆にたいへん冷酷であり、日本軍人には何の後ろめたさもない。長谷川四郎は「劉広福」のような例は千に一つ、万に一つと言いたげだ。たまらなくなって張は脱走を試みるが……。
  戦後になって、日本人の作家や思想家は大陸における中国人支配の苛烈な実相を贖罪意識のもと、ようやくのように暴き出そうとしたのだろう。その問題意識の真面目さがたたみかけるような文体にも顕わになっている。初出は「近代文学」一九五二年八月号。
  里見トン(<弓享>で一字)「みごとな醜聞」は、満州からの敗走を余儀なくされる一組の日本人の男女が描かれる。人間関係がその過程で劇的に変化するさまがたいへん興味深い。
黒竜江省の牡丹江に赴任していた足立茂三郎軍曹は上官トップの浅野参謀長少将からじきじきに妻と娘を一足早く東京に連れて帰ってくれという密令を受ける。ソ連参戦の報に接した直後だからじつに慌ただしい。家族とはいえ、茂三郎にたいする階級差を意識して最初はお高くとまる二人の女性だが、目先のことが皆目わからずに足立にすがるしかなくなって階級差は消滅し、むしろ逆転する。携行してきた貴重品の品々も茂三郎の命によって売り飛ばされ、女性の外見を隠すために断髪もする。それらは大挙逃れてきた日本人の多くがわれ先に行ったことなので、二人の女は肯うしかない。途中娘が行方不明になるが、娘を探し回る暇はなく、自分たちが生きのびることの必死さに追われる毎日がつづく。多くの日本人にまじっての集団生活。年齢差のある「夫婦」と見られることの「ハタ目の悪さ」。物々交換やら弁当屋などの一時しのぎの仕事。さらに、夫人は40歳代なかばにもかかわらず浅野少将の子を妊娠中で、やむなく堕胎する事態も起こる。
  そうしたなか夫人は「男らしさ」を少しずつ身に着けていく。本名の「志保」をもじって茂三郎は夫人を「塩野」と呼び、夫人も「足立」とお互いに呼ぶようになる。翌年二人は本土に帰還できて、夫人は茂三郎の引率の下、親戚の家にたどり着く。
あらすじを記しただけではこの短編の巧みさを伝えられない。茂三郎は夫人を性愛の対象として見るのではない。そうしたい気持ちが出来心のように湧いて来はするが、失敗する。命令とはいえ女を道連れにするのは足手まといにちがいなく、また一方的に女に頼られることの鬱陶しさもある。自立というにはほど遠く、いっこうに成績が上がらない生徒をみる教師のような不満を女に抱いて、茂三郎は単独の逃避行を夢想することもあるが、それも断念する。命令に背くこわさがあるがそれだけでもない。一年足らずの間、寝食をともにしたことの縁はたしかにできた。しかし「縁」という言葉に封じ込めきれないかけがえのなさが、二人の間の親密さが、ふりかえると一種堅固にできあがっていた。同じ修羅場をくぐり抜けたことによってそれぞれが成長し逞しくなり下品になり、あるいは堕落した。茂三郎が命じ、夫人がおろおろしながら従うという関係がこの共時体験のなかで貫かれた。それがかけがえのないものとして本土に帰還したときに、あらためてふりかえられ、できれば持続させたいと二人に思わせたのだ。
  やがて二人は実質的に夫婦になる。この結末には驚かされたが、恋愛関係の延長と呼ぶには、そうにはちがいない要素もあるものの言葉としてためらわせるものがある奇妙さをもった、しかしこの社会に多くあっても不思議ではない男女関係といえる。わたしは自身の迂闊さを覚えた。「喜劇」(解説・川村湊)と呼ぶにふさわしいのか。
「みごとな醜聞」の初出は「改造」一九四七年一月号。満州の政治と軍事そのものを標的にするのではなく、書いたようにそれは人間関係の劇的変成の舞台装置としてある
  長谷川四郎は実際に兵としてソ満国境付近に配属されたと著者紹介にある。里見トンは旅行のみで大陸に居住したことはない。村上春樹にいたっては戦後生まれだから、旅行はともかくも、戦中における大陸に関する同時代情報に接したことはない。だからというのではないが、アジア・太平洋戦争の固有性へのこだわりは薄く、むしろ作者が感覚する現在という時代の不可解さを戦争のさなかにおける不可解さに置きかえることによって描き出そうとするのではないかと思えた。ただ、やはり両者の連続性がまったくないということでもない。
  一九四五年八月、ソ連軍がソ満国境を越えて大挙押し寄せてくる。敗色濃厚ななか、上海の動物園では虎、熊、象などの猛獣を殺処分することが日本軍によって命じられる。混乱を事前に回避するためで、最初は毒薬を使用する予定だったが動物園には在庫がわずかしかなく、やむをえず日本兵の一斉射撃の方針に切り換わった。上からの命令であるから遂行する以外にない。そのなかの一人の日本兵も同じ思いで、動物を射殺することになんら倫理的なうしろめたさを抱くこともなく、動物にたいする憐みも希薄だ。だが彼は射殺ののちに猛烈な不快感におそわれる。思わず地面に手をついて吐いてしまいたくなるほどの抗しがたい不快感だ。こんなことなら敵兵と射ち合い殺し合うほうがよほど楽だと断定できるほどに。それ以上の反応は彼自身からはうかがえないが、ただ彼は楡の木立の高みから「ねじまき鳥」という鳥の奇怪な鳴き声を耳にするのだ。これは、詩における隠喩にあたるものではないだろうか。世界にたった今印された拭いがたい汚点をかまびすしく知らしめる、しかし日本兵にとっては即座には理解しえない叫びとしての「ねじまき鳥」。無論、村上春樹はこの日本兵を責めるのではない。
  もう一人の動物園での重要人物の日本人獣医。普段は動物の健康に注意をはらい病気の治療をする役目だが、降ってわいたような殺処分命令に彼も混乱する。ただ彼は軍の命令は合理的と思っているようで、背く気配はない。彼は自身の感情を抑制することになかば成功する。銃殺が終わった後も「それほどの驚きも哀しみも怒りも感じなかった。実際のところ、彼はほとんどなにも感じてはいなかった。」彼のなかにあるのはただ「困惑」と「無感覚」だと作者は書く。獣医は理性的で、倫理的かもしれない。彼は愛情をそそいだ動物たちが虐殺されたことによって世界全体ががらりと変わってしまったことを正面から認識するものの、それほどの痛痒を感覚できなくなってしまった自身に困惑する。さらにこの世界は偶然によって成り立っていて、回転扉のどの位置に身を入れるかは個人では選択できない、その区分がどんな性質かは事後になってはじめてわかる、そんなものではないかという思いに突きあたるのだ。個人が世界を選択できないちっぽけな存在でしかないという思いはわかるが、それよりも重要とわたしが思うのは「無感覚」だ。無垢の生が一斉に殺され消滅してしまった。そういうことにかぎらなくてもいい、自分のなかで接する世界ががらりと変わってしまったにもかかわらず、その認識も感覚もあるにもかかわらず、感情が本格的に励起してこない、あるいは次なる行動への意欲が湧いてこないという不可解さだ。これは腹立たしい事態だが、容易には払拭できない心の世界として村上春樹は提示している。この部分だけをとりだせばニヒリズムにちがいない。
  「動物園襲撃」の初出は「新潮」一九九四年一二月号。後に長編『ねじまき鳥クロニクル』の一エピソードとして挿入された。
関連記事
スポンサーサイト
    14:49 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top
Comment







(編集・削除用)


管理者にだけ表示を許可
Trackback
http://oceanic.blog70.fc2.com/tb.php/715-b231a882
プロフィール

seha

Author:seha
FC2ブログへようこそ!

カレンダー(月別)
10 ≪│2017/11│≫ 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
最新の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
月別アーカイブ
全ての記事を表示する
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
ブロとも申請フォーム
ブロとも一覧
ブログ内検索
RSSフィード
リンク