大洋ボート

牛島春子「福寿草」野川隆「狗宝」八木義徳「劉広福」

   満州国建国の1932年においてその人口は約3000万人。1940年の調査では約4100万人で、国別では中国人3888,5万人、日本人212,8万人とある。日本人の人口には朝鮮人130,9万人の朝鮮人がふくまれているので、移住した本土日本人は約82万人ということになる(ウィキペデア)。人口比だけを見ても日本人がいかに少なかったかがわかる。つまりは満州国を維持していくには日本国の強権的な軍事・警察機構の支配が不可欠であったことが容易に想像される。無論それだけではなく、中国人や朝鮮人との融和や保護、農業指導が必要であったことも記さなければならないが。 
   そんな環境のなかで開拓してまもない地や山岳地帯近くでは「匪賊」と呼ばれる中国人による襲撃に悩まされなければならなかった。牛島春子の「福寿草」は、主人公の警察官島田浩太郎が赴任した北満の小さな町が、「共産匪」によって絶望的な防戦に晒されるという話だ。共産匪とはソヴィエト式の軍事訓練を受けた一団のことで、土匪、兵匪と呼ばれる、おそらくは元々の犯罪集団や軍隊崩れであった者たちよりも屈強で洗練された戦いをし、土匪、兵匪をも糾合する組織でもあったらしい。町を包囲した彼等は絶え間ない銃撃によって接近してくる。島田は人々を県公署に集結させ、男たちを叱咤激励しまた銃で恫喝し応戦させる。女と子供は一部屋に集める。だが戦いは劣勢で、救援をたのむ電話も通じない。家屋はつぎつぎ放火される……。わたしが興味をひかれたのは、島田の満人(中国人)にたいする疑心が頭をもたげる個所だ。接近した匪賊と応戦する中国人が互いに中国語で罵り合うのを聞きながら、彼等が味方として最後までとどまって戦ってくれるのかという疑心だ。満州における中国人と日本人の絆はそれほど強くはないのではないかというのは、おそらくはほとんどの日本人の実感ではなかったか。平穏な時期であればこういう疑いは隠れるのであろうが、危機に直面すると人は率直に露骨になる存在だろう。敗北すれば、日本人は皆殺しにあうが、中国人は同国人であるから生け捕りに扱われることもありうる。島田はそんな想像に支配され、また同じ想像をしているのかもしれない、助命に望みをかけるかもしれない味方の中国人を疑い、同じ戦いのさなかで「その一種云いようのない孤立感」に墜ちこむ。日本人の仲間も同じ疑いを中国人に抱くようだ。
  島田は女たちに覚悟を言い聞かせる。殺されたり拉致されたりする前に集団自決することを。そのさいは島田が銃で彼女らを絶命させる手筈だ。にわかには感覚が入っていけないが、戦争中はその覚悟は日本人の日常に根を降ろしていたものだろう。たたかいは深夜から夜明けまでつづく。援軍の飛行機の目印つくりのため、白い敷布をひろげたなかに女性の赤い襦袢を丸い形にして敷いて日の丸にするというのも面白い。だが読者は笑っても登場者たちは哀れさを抱くようだ。必勝を信じて女性たちが朝御飯を炊くというのも、疎いわたしはそういうものかと思った。
  夜が明けて救援の騎馬隊がやってきて匪賊は退却して、ようやくたたかいは終わる。騎馬隊への連絡役として若い中国人が活躍する。助かった、生きることができたという実感が人々の胸に溢れかえる。危機を直前に潜ってきたからこそ以前にもまして生のありがたさ、素晴らしさ、偉大さがこみあげてくるのだろう。
  

人々は、今度こそ先を争って外に走り出た。久しく仰がなかったように人々は冷たい無限の蒼穹に輝いている太陽を仰ぎ深く深く息を吸い込み、抱き合い、泪を流した。
  (中略)
  命が、もう自分のものであって自分のものでなかった。一つ一つが民族の高い命に帰一され、民族の命と命がはじめてこの瞬間に手を握り合ったように思われた。百の理論を飛び越えて日本人と満州人とが本当に運命共同体であった。


  横溢する生の実感があり、中国人が共に最後まで戦ってくれたという固い「実績」がある。小さな町という集合体が一体となって戦い抜いたことでさらに凝集し、熱いひとかたまり「運命共同体」になった。だから「命が、もう自分のものであって自分のもので」なくなったのだ。個々の孤立は退き、個が集団に帰一する。興奮さめやらないさなかでの実感であっても、この実感は長く記憶に刻み込まれるであろう。唐突ではあるが、また規模は小さいが、反戦デモに参加したとき、類似した実感をえたことをわたしは覚えている。
  だがこの実感をことさら強調するのは短兵急な気もする。満州国の安定的持続のためには「運命共同体」としての実質を早急に獲得しなければならないという義務意識が働いたからではないか。「運命共同体」といい異民族同士の融和といい、それまで先行世代が獲得しえなかったからこそ慌ててかかる実感にとびついたのではないか。無論、そういう時代ではあった。「福寿草」の発表は1942年「中央公論」9月号で、戦意高揚のまっただなかだ。牛島春子は1913年(大正2年)生まれで、この年29歳。
  異民族同士の団結や融和は容易ではないことを、まして「運命共同体」はさらに困難なことをわたしたちは今の時代において知っている。まずはそれぞれの民族の自立がせめてものその第一歩になりうる。だが傀儡国家満州国は日本人の中国人支配の持続が大前提であり、また戦いに勝ちつづけなければ仮にも「運命共同体」は維持できなかった。
  野川隆の「狗宝(ゴウボウ)」と八木義徳の「劉広福(リュウカンフー)」は、日本の満州統治がようやく安定したかにみえ、したがって移住日本人も中国人とのつきあいに慣れ、その地での生活を満喫する幸福な境地が描かれる。だが好んで描かれる中国人は日本人に融和的であり、人一倍勤勉な人にかぎられる。彼等がいかにうすぎたない身なりで無教養であったとしても、日本人はそういう人を選別しもちあげる。日本人もまたイデオロギーにもとづいた説教を垂れるのではなく、仕事の実質を教え、中国人にありがたがられるという存在だ。
  「狗宝」とは中国人に万能の霊薬として崇められる高価な品で、「合作社」という農民の保護と指導に当たる日本人職員の主人公が、これに興味を持つことがはじまりだ。じつはこれがとんでもない代物で、牛蒡や朝鮮人参の類いではなく、内臓疾患に罹った犬が口から吐き出した小さな球状のもので、吐き出すと同時に犬は回復し、それを人が煎じて飲むと体調が回復すると信じられている。ほんとうに効くかは疑わしいが、体調不良で休職中の一人の勤勉な中国人に是非これを飲ませたいと主人公は思い、手に入れる……。ラストでは、主人公が荒野を移動中のトラックから狸をみつけて降り、鉄砲をかついで追いかける場面がある。満州の生活もまんざらではないといいたげだ。
  「劉広福」も信じられないような話。強度の吃音でしかも文盲で、巨大な体躯で童顔という特徴の劉をアセチレンガス製造の工場に採用するのが主人公の日本人。はたして満足に仕事してくれるのか危惧して最下級の雑役夫として雇ったのだが、劉はたちまち頭角をあらわしてきて、中国人と日本人双方の尊敬を集めることになる。工場が火事に見舞われたときも、危険をかえりみずに単身消火に当たるというスーパーマン的な活躍をする。
  野川隆も八木義徳も満州移住経験があるようだ。これら二編が体験に基づくのか取材からえたのかはわからないが、単身日本人の視線から描かれた日本にとっての好ましい中国人像であるにちがいない。個と個の日本人と中国人が信頼関係をつくりあげて、そこに周囲の両国人が蝟集してくるという構図だ。事実に近いとおもわせる手堅さはあるものの、また日本人の人情深さがゆったりと描かれているものの、個人の実感と実績を大事にしすぎるというのか、「小ささ」を感じてしまう。満州国全体を俯瞰してみせようとする意図はみられない。異民族融和という目標にすこしでも近づこうとして、まさに実感としてえられたことの歓びであろうか。だが、いかに情報不足であろうとも、満州国の存続を危惧する意識も多くの日本人に抱かれていたのではないだろうか。(徳永直「先遣隊」では満州移住による農業に確信がもてない中年農民についての記述がある)中国人が日本国と日本人を心底はどう思っているのか。思考をそこに転じると、ぞっとしないではいられないはずだが、戦争の時代だからそういう視点は封じてしまったのか。
   野川隆「狗宝」の初出は「作文」第五〇シュウ 1941年7月。八木義徳「劉広福」の初出は「日本文学者」1944年4月号。


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