大洋ボート

山本周五郎「ちいさこべ」「ちくしょう谷」「へちまの木」

  いずれも時代物。「ちいさこべ」は若い大工棟梁の事業再建の話。茂次は川越に出張仕事に出かけていたが、その間に神田にある実家兼事業所の「大留」(だいとめ)が一帯の火事によって焼失し、両親を喪った。だがその悲しみをおくびにも出さず、仕事に以前にもましていちずに取り組んでいく。例えば、その一報を耳にしても実家に飛んで帰ることはせずに川越にとどまり、普請に精を出す。江戸に帰ると、実家の仮小屋には大工や左官などの他に、十数人の子供がいる。留守の人に雇われた「りつ」という女が火事で焼け出された子供の面倒をみているのだ。りつは茂次のおさななじみ。茂次は最初はしぶるが、りつの熱心さにほだされてその事業を一緒にやっていくことになる。
  茂次は負けん気が強く、正義感の持ち主でもある。仕事で深いつながりのある縁者の援助も受け付けない。甘えることが嫌いなのだろう。それでいて仕事では文句のないリーダーシップを発揮する。部下への面倒見もいい、となればまったく非の打ちどころのない人物で、わたしのような半端者としては、それが馴染みにくい部分でもある。両親の葬式をあげないのは頑固さで、個性的といえるだろうか。「大留」の再建がなしとげられるまで両親に生きた存在として見届けてもらいたいという思いだ。さらに、この短編のもう一つの見落とせない特徴としては「許す」という主題が描きこまれることだ。預かっている子供が万引きをする。また性的興味にひきずられる(大人の誤解が本編では介在するが)。大人にとっては迷惑であり、憤激を起こさせるに十分だが、作者は茂次の口を借りて、子供とはそういう行いをどうしようもなく為す存在であり、心も清廉さがすべからく支配しているのでもない、自分の子供のころを思い出してみるがいい。だから許す気持をもって接しなければならない、という。そう言って、子供を引き連れようとしてやってきた自身番(町内を取り締まる持ち回りの警察役)らを追い返す。この短編の場合は、預かった子供を護るためであろうが、山本周五郎のイデオロギーが、「口下手」な茂次に強引に乗り移った感がある。わたしはべつに茂次の主張に反対するのでもないが。
  二十三歳とは思えない主人公の立派さ、大人ぶりだ。
  「ちくしょう谷」は「ちいさこべ」に描かれた「許し」の主題をさらに発展させたもの。剣術道場の助教の地位にあった朝田隼人が「ちくしょう谷」と呼ばれる流人村の木戸番(責任者)にみずから志願して赴任する。「ちくしょう谷」は一〇〇年以上前に藩によって設置されて、以来放置同様の状態にあった。つまりは刑務所ほどきびしい管理におかれるのではなく、脱出出奔も男女の交流も自由で、そこで生まれ育った人がそのときには大部分を占めている。木戸番は前任者の変死により空席になっていたが、人事としては左遷の意味合いがあり、また峻険な山地の奥深くにあって不便な生活を強いられるので、志願どころかだれもが忌み嫌うのだったが、隼人には、無謀とも思える構想があった。隼人の兄の織部(おりべ)を決闘によって死亡させた西沢半四郎という男が、その出来事を責められてそこに移住させられている。周辺では、西沢は卑怯な手段をつかって織部を殺害したのではないかという疑惑が根強くあり、当然隼人の耳にも達していた。隼人はだがそのことを糾明したり、その判明の次第によっては兄の復讐を遂げようとするのではない。まるで逆で、どうあっても西沢を許そうとするのだ。人間だれしも一度は間違いを犯す存在であり、それを基にむやみに断罪してはならず、可能なかぎり許さなければならないという。「ちいさこべ」では、子供の万引きを庇う主人公が描かれたが、決闘とはいえ兄を殺した人間を「許そう」とするのだから、それどころではない。法的措置一般とは随分かけはなれたいわば求道僧のような思想的態度である。さらに西沢のみならず、流人村の住人全員を、野獣同然のすさんだ生活行動から常識ある穏やかさを備えた人間に変えようという、ある種壮大な希望が抱かれ、着手される。笛などのうつくしい音楽を聴かせたり、農作業を教えたりするのだ。わたしは少しぎょっとしないでもなかった。
  時代ものにかぎらず、行動的ヒーローは作者の等身大でない場合がほとんどであろう。作者よりはかなり強いので、作者はその距離をはじめから意識したうえで、自身のある重要と思える部分をヒーローに投影するのではないか。つまりは願望が山本周五郎によって隼人にこめられているのだろうと、わたしは見た。作者の抱くであろう切迫感、あるいは日常の立ち居振る舞いから発せられる空気の撹拌、そういうものがじかに伝わってこないのが残念だ。それを書くことが目的ではないといわれればそれまでだが。だが巧妙だと思ったのは、隼人と同じような目的を、村人を良き人に変えようという志を抱いて村に居住したものの挫折した男を配置したことだ。正内老人と呼ばれるその人は、村の女の性的放縦の誘惑に負けて、子供を身籠らせてしまい、以後村に永住した。老人は隼人の行動に共感し「肝心なことは失敗するかしないかではなく、貴方が現にそれをなすっている、ということだと思うのです」と言ってくれる。
  「へちまの木」は前二作とくらべると気楽さが横溢している。旗本の三男の房二郎が養子に出されるのを厭って家出する。飲み屋で瓦版屋に勤める木内楼谷(おうこく)と知り合いになり、その瓦版屋に転がり込むという展開。それはでっち上げた記事や既に出回っている本をやさしくかみ砕いて書き直した記事などで埋められる、いかがわしいとしかいえない代物で楼谷も自虐的だ。楼谷はかつては座付きの脚本家だったが、女のことで失敗しその地位を追われた挫折者。二人は連日のように飲み歩き、房二郎は年上の女に篭絡されるという始末。まっとうな生き方はできないか、そのためにまっとうな職業にありつけないか、という嘆きが房二郎にはある。だがこれは房二郎にとっては気楽な猶予の期間だ。町人にはなりきれないと、内心別れを告げて「叔父のところへ行こう」とするのだから。
  環境は一人の人間が押しのけられるものではない。どうしても絞めつけられるので、がらりと変えてしまうことくらいはできるのかもしれないが、それでも次の環境にもまたきつい制約が待ち受けている。房二郎の嘆きは甘ったるいが、わたしの若いころを思い出すと、よくわかる気もする。


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