大洋ボート

吉村昭「海軍乙事件」

  「海軍乙事件」は太平洋戦争中、海軍の高級将校の一行が親米フィリピン人ゲリラに一時的に捕えられたという話。後に解放されたが、軍人にとっては捕虜になってはならないとう軍律があり、それに相当すると見做されても仕方のない出来事であった。戦後一般に明らかになったという。
  昭和十九年三月三十一日午後九時頃、二機の飛行艇がパラオ島湾内に着水した。連合艦隊司令長官古賀峯一大将、連合艦隊参謀長福留繁中将以下の四十人前後?の幕僚と兵が二手に分かれて搭乗し、ミンダナオ島ダバオを中継し、サイパンに向かうためだった。西カロリン諸島パラオには、東カロリン諸島トラック島から避難してきた連合艦隊司令部があり、さらに司令部をサイパン島に移す方針が決定されたゆえだった。アメリカ軍の激しい攻勢に対処するため海軍の作戦体制を立て直さなければならなかった。だが、おりしもパラオも空襲に見舞われていた。燃料補給の余裕もなく、二機はあわただしく飛び立ったのだが、雲が多いうえ有視界飛行に近い不正確な観測だったので、福留参謀の機はミンダナオではなく、北方のセブ島付近に着水してしまった。古賀長官の機は後に判明するが、水没し全員が死亡した。
  福留参謀の一行生存者十三名(死亡八名)は機から脱出し島を目指して泳いだが、ゲリラのカヌーに救助され、捕縛されて山岳アジトに連行された。セブ島には陸海軍が駐屯していて、陸軍部隊は米匪軍と呼ばれるフィリピン人ゲリラ掃討作戦の実施中で、その間、ちょっと事情が複雑で省略するが、捕縛中の海軍兵の一人と連絡をとることができて、海軍の高級将校がそこにいることを知る。アジトを包囲した部隊はゲリラの首領と取引し、ゲリラの生存の保障と引き換えに日本人軍人九名全員を救出する。(漂流中に四名が死亡)ながながと経過を書いたが、ここまでで事件は一段落する。海軍にも飛行艇遭難の件は本土の首脳までとどいていて、セブ島の海軍部隊に捜索を命じたようだが、人数ではるかに多い陸軍部隊には最初連絡しなかった、つまり秘密主義だった。情報共有がなされないのは相変わらずだな、と思った。
  九名は四月十三日、セブ市の水交社(海軍の外郭団体)に到着。事件秘匿のため軟禁状態に置かれ、取り調べを受ける。捕虜になったという事実に今さらのように直面した飛行艇の搭乗員六名は自刃を決意し、短刀を用意するも福留中将に<日本海軍の損失だ、堪えがたきを忍んで思い直してほしい>と説得され、制止された。四月十八日福留以下三名は本土の海相官邸に移送され、そこでも捕虜問題が検討された。軍法会議にかけるべきという意見が強硬にあったが、ゲリラは「正規の敵」ではないという見方があり、また利敵行為が無かった、福留ら三人は捕虜の期間中に何度か自決をこころみたことなどが考慮され、未処分となった。だが、十八年の五月のアッツ島玉砕にはじまり、十一月にはタラワ、マキン(ギルバート諸島)の守備隊も玉砕した。この事実は取調官にも重くのしかかったようである。三名にたいする憎しみと軽蔑の念は払拭しがたく、あっさり放免することは受け入れにくかった。沢本海軍次官以下処分を決定した五名は、遅いものの、その時点でも福留らに自決してもらいたかったのである。残酷だな、という見方が当然ある。だが当時の軍人の信条としては捕虜の生還は許しがたかったという立場も、一方ではあっただろう。あるいは恥を雪ぐ機会をあたえるという心情も「同情」としてはたらいたのか、未処分が腹立たしいゆえの無言の圧力をかけたのか、貧しい想像力しかもちあわせないわたしは判然としない。ただ当時の「国是」からすれば、それほど異様さが際立つ対応ではないだろう。処分決定に同席した「某軍令部高級部員のメモ」として残されている文。

福留中将ノ心境並ニ自決ノ肚アルヤ否ヤニツキ観測ヲナシタルモ、意志アリトスルモノ、次官ハ無シト言ヒ、結論ハ今夜特ニ監視ヲ附セズ、若シ本人ガ自決セントスルナラバソノ欲スル道ヲ執ラシムベシト言フ意見ニ一致シテ、特ニ監視ヲ附セザルコトヲ決ス


  猜疑心がはたらくのか、福留は上官として真に尊敬に値する人か、それとも臆病者に過ぎないのか、という踏み絵みたいなものだ。自決するならば前者、そうでないならば後者、という決めつけだ、中間はないのだ。また自決可能な環境とはどういうものか、短刀を用意したのか、縊死に使用できそうな帯を没収しなかったのか、記されていないので詳細は不明だ。軍にかぎらず、官僚という人たちの組織保持の執念が背景にあるだろうが、やはり意地悪で残酷だと言い直そう。先に書いたように福留中将は兵士の集団自決を思いとどまらせたので、やさしく立派な人であろう。福留はまた漂流以来、衰弱しており、取り調べのさいも杖をついていた。日本人軍人と兵ならば、普段から自決は信念として用意しているのであろうが、それも心身の衰弱によっては後退するものなのかもしれない。
  海軍省人事局が「乙事件」に関して関係方面に伝えた文の終わりの部分。

3、処置
  (略)従来敵国ノ俘虜トナリタル者ニ対シテハ 其ノ理由ノ如何ヲ問ハズ極端ナル処置ヲ必要トスル如キ理外ノ信念的観念ヲ以テ対処シ来タレル事実アリ
  故ニ今次ノ処置ハ 右根本観念ヲ破壊セザルコト肝要(従来ノ観念ヲ変更セントセバ重大問題ヲ惹起スベク且変更スベキニ非ズト信ズ)ニシテ 之ガ解決ノ途ハ一ツナリ
  即チ海軍当局ノ方針ヲ明確ナラシムル点コレナリ


  「理外の信念的観念」「根本観念」とは、虜囚の辱めを受けて戻ってきた者にたいしての、理由の如何を問わず極刑を科すことの土台となる観念を指すのだろう。軍の士気そのもの、存在そのものに直結していると考えられている。不合理だろうが何だろうが貫くことをためらってはならない、頑として変更してはならない、ということだ。福留中将に下した処分は例外中の例外だと言わんばかりに、わたしには読みとれる。
  さらに小説として読むならば失笑を誘われる「オチ」があるが、これも事実としては重大で、書き漏らせない部分がつづく。福留中将の捕虜問題は知れわたりつつあったので、それを糊塗するために福留を「第二航空艦隊司令長官」に「栄転」させ、福留と行動をともにした作戦参謀山本祐二中佐を海軍大佐に昇級させた。またその少し前には、フィリピン方面に幕僚を派遣して、陸海軍の福留事件を知悉する現地高級幕僚にたいしてその未処分についての諒解をとりつけるということまで行っている。さらにさらに、福留らは「Z作戦」というフィリピン・南西太平洋方面全般にわたる統括的作戦の詳細を記した文書をゲリラに略奪された。福留らは、ゲリラは書類に関心を示さず海に捨てたと否定したが、文書はやがてゲリラからアメリカ軍の手にわたり、後のこの方面の戦いにおいて、日本軍の動きがアメリカ軍に読み取られたという。福留が否定したので、作戦は変更されなかったのだろう。

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