大洋ボート

ブリッジ・オブ・スパイ

  1950年代後半の冬のベルリンの物情騒然としたさまが、一番に映像的に印象に残った。戦争の結果当時のドイツは東西に分割され、さらに東ドイツ領内のベルリンは唯一西側が支配する西ベルリンと東ドイツ領となった東ベルリンとに分割されていたが、ソ連軍が駐留する東ベルリンの住民がその苛酷な政治支配体制を嫌って西ベルリンに移住する事態が大規模に起ころうとしていた。そこでソ連は西ベルリンを壁で囲んで、その移住を阻止しようとかかり始めたのである。火がついたように焦燥にかられてあわてて西側に逃げ込もうとする東ベルリンの住民。難なく成功する人もいれば、ソ連兵に阻止される住民もいる。脱出できた住民はさらに西側の古ぼけたビルに上の階の人に手を指し伸ばされてよじ登っていく。まさに個人のその後の人生がこのいっときの運と不運によって大部分が決定づけられる瞬間だ。一方のソ連兵は、装甲車や戦車、さらには櫓に陣取った狙撃兵が警戒するなか、落ち着き払って任務を遂行するばかりだ。ブロック塀にセメントを塗って、一段ずつ積み上げていくソ連兵の粛々としたさま、その白く大きい冷たくも見える手が、たいへん憎々しくも見えた。彼らの日常的任務の無意識が、個人も敵対する国家も容易に突き崩すことのできない、たいへん冷酷な政治的現実をつくりあげつつあるからである。
  「壁」を中心とした俯瞰撮影では、ソ連兵やベルリン住民など多くのエキストラが動員される。また戦争終結後10年以上も経るのにいまだ瓦礫だらけの東ドイツの惨状も短く映される。予算規模の大きさがもとめられるのは必至で、「巨匠」と呼ばれるスティーブン・スピルバーグ監督だからこそ成しえたのであろう。
  書き遅れたが、映画の主題は米ソの罪人の交換で、それを交渉人として担うのが、保険会社の顧問弁護士のトム・ハンクス。米国内でスパイ容疑で逮捕されたソ連人と、ソ連領内で撃墜されかろうじて生きのこった偵察機のパイロット、さらに東ベルリン内でスパイ容疑で逮捕されたアメリカ人学生。ソ連人の国選弁護人を引き受けたところから、CIAによって彼に白羽の矢がたった。保険会社の弁護人のときはあまり気乗りのしない様子で交通事故の被害者に金を出し渋ったハンクスだったが、少しずつやる気を出してくる。しかし、おっかなびっくりの気持ちは最後まで彼を支配するようだ。CIAとアメリカはパイロットとの1対1の交換で十分と割り切るが、2対1という虫のいい交換条件にトム・ハンクスは固執する。人がいいのか、弁護士としてのまた愛国者としての責任感だろうか。
  彼が起用されたのは、国家職員ではなく民間人だからだ。初期の交渉においてトーダウンから入るのが適しているからだろうか。東ベルリン内のソ連大使館には、CIAの指示によって案内人無しに単独で行かされる。これはこころ細い。途上、不良っぽい若者のグループに囲まれる場面など怖い。
  映画の結果は書かないとして、東ベルリンを去る高架上の列車のなかから、ハンクスは壁を乗り越えようとしてソ連兵によって銃撃される住民数人をたまたま目撃し、涙目になる。ちょっと唐突な気がしたが、政治的現実の大きな壁全体をあらためて意識するのかもしれず、映画の主題の関連からすれば必要な涙目なのだろう。それに帰国してからの電車通勤の途上での窓外をぼんやり眺めるハンクスの眼差しがつながる。前後するが、ようやく自宅に帰ったとき、彼は妻と抱擁したのち、ベッドに俯せになって泥のように眠る。能力と度胸をすっからかんに使い果たした疲れが、どっと噴出して来たのであろう。この一連の演技、トム・ハンクスには説得力がある。
  60年前の話だからか、アメリカの家族は健全であたたかい。またアメリカという国家の抱える今日的な内外問題にはまったく触れないことは、映画の流れとしては当然なのかもしれないが、いささかの不満は残った。
   ★★★★
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