大洋ボート

三島由紀夫『午後の曳航』

  自分一人のために人生が輝かしいものとして用意されている。名誉であっても、死をも伴う栄光であってもかまわない。しかしそれがどんな具体像を示唆するのかはわからないが、とにかく挑戦してみる。その目的のためにふさわしい行動をとってみる。人生のその道程が長いか短いかはわからないが、その体験が、未知の世界が、それが何たるかを教えてくれるだろう。多くの人ではないかもしれないが、こんな夢想を抱いて人生に船出をする人が居るにちがいない。塚崎竜二もそんな男で、二等船員として三〇歳を過ぎるまで大部分を海の上で過ごした。だが壮麗な夕日や船が転覆しかねない凄まじい嵐に遭遇しても、そこに栄光を示唆されることはあっても、その核心を体感することはできなかった。船上の規則正しい生活を身に着けただけで、つまり仕事を覚えただけのことで、海への愛着は捨てきれないものの、すべてを知ってしまった、栄光を手にすることはできなかったという諦めの境地に達しかかっていた。そんなとき横浜港に上陸した竜二であったが、ブティック経営者で未亡人の房子と知り合い、恋仲になる。二人は結婚を真剣に考えることになる。竜二にとっては「夢想のなかでは、栄光と死と女は、つねに三位一体だった」だが前の二者は竜二によって放擲された。未練はあとを引くものの、房子の店の仕事に従事することによって、いわゆる「普通の生活」を末永く送ることを決めたのだ。
  房子には登という中学生の男の子がいる。海の男にたまらなく憧れを抱く一方で、世のありとあらゆる大人に不信と憎悪を抱く子供で、同じ思考と感性を共有する少年グループにも所属していて、その思いに確信をより強くする。すべての大人は無価値であるばかりではなく有害だと彼等は確信する。子供は親に生活の面倒を見てもらっているが、そのことには大部分無意識である。親の面々もかつては大志を抱懐したのかもしれないが、競争に敗れ、妥協を強いられて、ぺこぺこ頭を下げなければならない場面にも多く遭遇しただろう。他人にたいしては友情は稀で、怨みつらみが常である。その不平不満を家族に撒き散らす。ときには暴力をふるう家庭の小さな暴君。そのわりには自分の人生に自信がもてない。かくあるべしという人生を子供に提示できないのだ。無難で平均的な人生を送ってもらいたいのか、子供に『人生の目的』について質問されると『坊や、人生の目的というものは、人が与えてくれるもんじゃない。自分の力で作り出すんだよ』と答える。登ではなく、グループのリーダーの言だが、これを彼は「あらゆる独創性を警戒する目つき」と彼なりに見抜く。さらに「一番わるいことは、自分が人知れず真実を代表していると信じていることだ」とこき下ろす。わたしも残念ながら、子供には同じようなことを言ったかもしれない。あるいは何も言わなかったかもしれない。子供にたとえば特定の職業を強制することは、子供のなかには反発が生まれるかもしれない。だがリーダーは父の子からの逃避を、責任回避を「人生の目的」について見抜くようなのだ。戦争の時代なら「兵隊になれ!」と父は子に命じたのかもしれないが、戦後民主主義下にあっては「自由」が尊重されたので、そこへの迎合がこの父の言の底にはあるのかもしれない。
  竜二もまた、子供時代にはこれほどあからさまな大人への反発はなかったのかもしれないが「独創」的な人生を目指してのであり、結婚を期に「普通の生活」に足を伸ばそうとした。それに登は危機意識を抱いたのである。何年間かの母を独占できた時代がうばわれる寂しさが気配として読み取れなくはないが、それはグループと彼の「理論」によって封じ込まれる。言うまでもなく、登も栄光をめざして行動する大人のみを芯から承認し、あこがれているのだ。
  三島由紀夫は昭和三三年(1958)に結婚している。自決の時までそれはつづいたのだから、当初は「普通の生活」をしようと決意した証だろう。竜二の陸の生活に腰を降ろしかけたときの「非現実」な足のおぼつかないふわふわした感覚は、三島の結婚当初の実感の反映のように読みとれた。また三島の生活の中心は少なくとも独身時代(それ以降もそうだとしても)は小説の執筆にあってときには激しい言葉を書きつらねたが、そうした彼(竜二)にとっての本音が咽喉まで出かかって、ふりかえって無難な言葉に置きかえるさまは、小説執筆以外の時間での他人とのつきあいに慣れ親しむことが容易で、気楽ささえ抱けるようになった以降の時代の反映ではないかも思った。
  竜二は船員時代をなつかしみ、未練を抱きながらも房子と登とともに生きようとする。一方登のグループは栄光の希求を捨てた人として竜二の毒殺を謀る。「英雄の死」は『仮面の告白』にあった「聖セバスチャンの肖像」の矢で射ぬかれた裸体像とかさなる。また空襲による消失を免れた金閣寺を「死」への裏切りとして、人生を妨害する「永遠の生」として怨み、放火に至る犯人像も直截ではないが、子供グループの犯行と通底するところがある。一見、相反はしても、竜二も登もそのグループもどれも三島の思想を代表していると思える。
  晩夏に竜二の乗った貨物船・洛陽丸が夕日のなかをタグボートに曳航されて、しだいに岸壁からはなれていく。年末には帰港する予定で、勿論房子と登は岸壁に立って見送り、竜二もまた船尾に立ち尽くして別れを惜しみ、互いの姿がみえなくなるまで見つめ合い、やがて「巨大な出帆の汽笛」を鳴り響かせて去っていく。三島由紀夫らしい緻密かつ抒情的な文体がもっとも優雅に発揮される場面だ。


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