大洋ボート

松本清張「面貌」「噂始末」「白梅の香」

  徳川家康の子に忠輝という人がいたそうで、概略的な歴史記述には登場しない人物だから、わたしは知らなかった。「面貌」はその忠輝が主人公で、この短編がどこまで事実にもとづくのかわからないが、美形の百姓の女性に眼をつけた家康が側室にとりたてて生ませたのが忠輝である。皮肉なもので、忠輝は母親には似たところのない醜悪な面貌をしていて、家康は他の子供と同じようには可愛がらず、遠ざけたままにしていた。作者記述によれば、忠輝は自分の容貌が家康はもとより他人からは好まれないことを少年期から身に染みて知っていたとある。家臣のだれ一人とも親しい関係を築けなかった。だが「面貌」そのものが彼を不幸にしたとも思えない。彼が強いコンプレックスを抱きつづけたとしても、絶頂期には越後高田で六十万石を領している。家康の子の秀康が越前七十七万石、忠吉の尾張五十七万石と比べてもつり合いはとれている。家康は配慮を怠らなかった。家臣が忠輝に親しみをもたなかったのは、忠輝にしてみれば自分の容貌のせいとの思いがあったのはわかるが、家臣にしてみれば、忠輝が家康から疎んじられていることを知悉していて、家康亡き後の彼の身分の不安定さも視野に入っていただろうから、家康と秀忠の意向を尊重しながら忠輝に警戒心を抱くことは不自然ではないのだ。容貌にコンプレックスを抱く人物を松本はよく書くようだが、このあたり拘泥していてゆきとどかない気がする。忠輝が失脚するのは大阪夏の陣における忠輝軍西下途中の事件である。江州森山付近において忠輝の軍勢を追い越して行った二騎の武者がいて、無礼と思った忠輝軍の有志が追跡して斬殺してしまった。後にこの二人が秀忠の旗本であったことが判明し、忠輝は他家預かりの身分となり、何回かの移動の後、最終的には信州上諏訪地方の諏訪頼水の地で九三歳にて没したとある。武家の盛衰のはなはだしさが思われる。しかし、最後の数行まで面貌について書き忘れないのが松本清張である。
  「噂始末」は徳川三代将軍家光の上洛が背景になっている。一行の通行途上にある藩では宿泊を引き受けなければならない場合が生じたが、小さな藩にとってはこれが一仕事である。大人数であるために城内に仮屋に敷設するうえに、それでもまかないきれずに藩士の家に宿泊させねばならない。掛川藩の島倉利助もその役に与り、一人の武士を引き受けた。家には「容色に秀で」た若い妻と利助の母の二名のみで、当の利助はその日、将軍家光警固のために城にとどまって「徹宵」しなければならない。留守にしなければならないのだ。妻による接待はつつがなく済んだのだが、直後に悪い噂を流布した者がいる。妻とその武士が懇ろになったという。噂というよりも誹謗中傷にあたる類いだが、それは藩上層部にも伝わって家光帰郷のさいの同様の宿泊引き受けの役目から利助らのみ外される。利助にとっては面目をつぶされた以上に侮辱このうえなく、噂を流した当人を探り当てて斬殺し、藩の追っ手をも家に籠って白刃で迎え撃つという展開になる。武家の名誉へのこだわりの凄まじさ・苛烈さを要領よくまとめた好短編だ。無論、利助のような人ばかりではなく泣き寝入りする人も多かったのではないかと想像するが。
  「白梅の香」は大名の参勤交代が背景。「各藩の家来には定府(じょうふ)(江戸詰め)の者と国詰めのものとがあるが、国詰めの家来には江戸を知らない者が多い。定府の者も己れの本国の様子を知らない。」そこで大名が参勤の度に国詰めの家来から選抜して江戸へ同行させ、大名の在府の期間のみ江戸に留まらせる慣わしがあった。江戸を知ってもらうことや、江戸在住の同藩の家来との交流をはかるためであったか。そういう慣例のもと亀井藩(現在の山口県津和野)からは領主の参勤のさいに白石兵馬という二一歳の若侍が選抜メンバーの一員となった。兵馬は「眉目すぐれた若者」で、女性にたいへんな人気ぶりで、それは江戸に行っても変わらない。一方、兵馬は芝居見物に病みつきになる。その華々しさは地元津和野にはありえない「夢幻の世界」で、足繁く通うことになる。そこで年増の女性に目をつけられて、これまた夢うつつのように誘惑に乗ってしまう。居住する屋敷の者には無断外泊にあたったが、兵馬は言いつくろうしかなく、隠しおおせることができるとたかをくくった。だがこれがたちまち露見して、藩を揺るがす事件にまで発展する。……詳述は避けるが、ミステリー作家らしい鮮やかな筆さばきである。

関連記事
スポンサーサイト
    14:42 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top
Comment







(編集・削除用)


管理者にだけ表示を許可
Trackback
http://oceanic.blog70.fc2.com/tb.php/680-f8e1f5cd
プロフィール

seha

Author:seha
FC2ブログへようこそ!

カレンダー(月別)
05 ≪│2017/06│≫ 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
最新の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
月別アーカイブ
全ての記事を表示する
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
ブロとも申請フォーム
ブロとも一覧
ブログ内検索
RSSフィード
リンク