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松本清張「西郷札」「シュウシュウ吟」「戦国権謀」

  「西郷札」は松本清張らしい構成たくみな一編。語り手は九州の新聞社の社員で、九州地域の文化資料の展示の企画を受け持つことになる。収集された資料のなかに「西郷札」なるものがあった。西南戦争のさなか西郷軍側が独自に発行した紙幣で、戦に資する物品をそれによって地元から買い上げるためにつくられたという。だが思うようには紙幣は流通することにはならず、西郷軍の敗北とともに「西郷札」は無価値となった。文化資料や骨董品の類でしかなくなってしまったのである。また、送られてきた西郷札には「覚書」なるものが添えてあり、筆者は西南戦争に参加し、紙幣の印刷も手伝ったこともある元薩摩藩士の桶村雄吾という人である。語り手は一読してひどく興味をそそられた。以下はその全貌の要約という進行をとる。わかりやすいように文語文を口語分に書き直すという手続きを踏んで。またときどきは「地の文」が引用の形で顔を出す。文語文が挿入されると平坦さから適度な緊張感がかもし出されて効果的だ。
  雄吾は失意の底から東京へ出る。俥牽き(人力車夫)の職をえてようやく生活が安定しかかったころ消息不明だった義理の妹(継母の連れ子)の季乃(すえの)とばったり出会う。俥のお客だったからで、高級官吏の妻として裕福な暮らしぶりだ。季乃はうつくしい女性で、そのために雄吾は同じ屋根の下にいる時はわざと邪険にしていたのだが、殺伐とした戦や雄吾の暮らしぶりを読んでここへくると、ぽっと灯りが点ったような気分になれる。家族の仲を復活させ、あたためあう二人。だがそれも束の間。季乃の夫の塚村(身分は大蔵省の太政官権少書記とある)が二人を邪推、嫉妬し、雄吾はじめ俥屋の主人やその知り合いの紙問屋の主人を策謀をめぐらせて陥れようとするのだ。西郷札を政府が買い取る用意があるという偽情報を「秘密裡」に三人に流して、小躍りさせる。当然のごとく現地鹿児島にとんで西郷札を買いまくる三人。……本文にふれられていたので知ったが、三菱財閥の創始者岩崎弥太郎は、政府が旧藩札を買い取るという情報を得て当の藩札を買い占めて巨万の富を手にして財閥の基礎としたという。このことがフィクションであろう本編創作のヒントになったのかもしれない。
  松本清張は小心で嫉妬深いものの利巧で策謀には長けているという人物を描くのを得意とする人だ。雄吾や季乃のような善人よりも読者は自然とそういう人間像のほうにひっぱられる。もしかすると、松本自身の人柄も多分にそういう傾向を孕んでいるのではないかと邪推したくなるくらいだが、邪推であってもなくても感動に繋がることはない。巧妙な一編であることは確かにせよ。
  「シュウシュウ吟」の「シュウ」はワープロにはない。口へんに秋と書く。二文字つづけて記して虫や小鳥の鳴くか細い声を意味するそうだ。この短編も幕末から明治にかけての激変の時代が背景になっている。頭脳明晰でありながら、人として誰からも受け入れられず、毛嫌いされてとおざけられる、そんな呪われたような運命を変転する人物が描かれる。石内嘉門という御徒衆(軽輩)を親に持つ男で、同じ日に佐賀鍋島藩の息子・淳一郎、老中の息子・松枝慶一郎が生まれた。嘉門は十代のころであろう、儒学の講義を受けて並外れた理解を示し、若殿の家庭教師のような役目にも抜擢される。だが理由は読んでいてそれほど輪郭がはっきりしないが、若殿からきらわれ疎んじられる。儒学の師範もその才能を認めながらも「可愛気のない子」と切り捨てられる。そんな嘉門の唯一の友が語り手である慶一郎であるのだが、女性をめぐって二人のあいだで悶着があって嘉門は慶一郎の前から姿を消す。時すでに明治で、慶一郎も直大と改名した淳一郎も明治政府佐賀藩のなかで順調に出世をとげる。やがて慶一郎と嘉門は東京で二十年の月日を隔てて偶然の再開を果たす。「西郷札」の義理の兄妹とまったく同じだ。嘉門は変り果てている。板垣退助率いる自由党に所属して、政府批判の過激な記事を機関紙に書きまくり、慶一郎を名指ししての攻撃も厭わなかった。(当時、慶一郎は司法少丞という高位にあった)だがまたしても自由党の仲間からもうとまれて、なんと警察のスパイになってしまう。
  人物像が不鮮明で、受けを狙いすぎた書きぶりが不満だが、こういう人はいるかもしれないという感慨は残るか。自信過剰で出世欲が強く、相手かまわずどんどん押してきて閉口させる。家庭環境からくるのか、人との融和のすべと幸福を知らずに育ったと、あてずっぽうで補足してみたくなる。わたしもふくめてそういう傾向は大なり小なり持ちあわせているのだが。人間関係が苦手ならば、なるべくはそれを避けてひっそりと生活すればいいのにと思うが、欲望や復讐心が強すぎるとそうもいかないのか。
「戦国権謀」は徳川家康・秀忠の二代の父子の将軍に、同じく父子二代にわたって仕えた本田正信・正純の話。二人ともに同時に老職出頭人(複数居る老中のなかでの筆頭格ということか)という地位にあったことから、その権勢が頂点をきわめた時期があったようだが、最終的には、正純は秀忠によって改易(罷免)されたうえ、罪人として他家に預けられて幽閉の身におとしめられる。なぜか、正純は作者によって「シュウシュウ吟」の石内嘉門と共通点ある人物として描かれる。嘉門ほど極端ではないにしても、正純もまた頭脳明晰ながら人間関係における交情を形成することを怠ったからで、本人もそれに頓着しなくてもよい時代がながくつづいたからだ。正純も正信同様、家康につかえた経験があり、家康の政治や人事における志向をたいへん正確にしかも素早く理解して執行したことは父正信に負けず劣らずで、家康の信頼をうること十分であった。秀忠にたいしても正純は家康の意向を正確に反映させる助言を行い、瑕疵はなかった。だがそれは、秀忠にしてみれば父家康の権威を笠にきた押しつけとして、不快さをともなって受け取られる接し方であったようだ。平凡な器量に怜悧さをもって教え諭すという正純の自信が、秀忠にとっては息苦しく、憎々しい側面もあったのだ。だが正純はそういうことを軽視した。だから家康と正信があいついで死去した後、最高権力者となった秀忠が正純にたいして手のひらを返す態度をとりたくなるのは、読者にとっては容易に呑みこめる。
  一方の親の正信は「友人同士」と作者に記されるほどの信頼を家康からうることができた。一向一揆に味方して一度は家康に歯向かった身であるにもかかわらず、だ。また正信は出世欲においては恬淡であったことが記される。禄高の増量を家康から勧められても辞退して、家康を安心させたとある。それにたいして正純は秀忠からの同じ勧めを受け入れた。当然の報奨だと理解したのだろうが、権力者は自分の権力からの転落と臣下の反逆を、神経過敏なほどおそれるものかもしれない。それにしても武家の地位は不安定だ。「上」の恣意によってどうにでもされる存在だ。正信・正純父子もその権力によって多くの同僚や臣下の地位を剥奪した。
  松本清張は成功者よりも多く敗亡者に着目する。時代の激変という背景もさることながら、敗者となってしまった者の性格や資質にその因をもとめるようだが、そこには敗者への同情よりもむしろ隠された冷淡さをわたしは受け取ってしまい、いい読後感をえられないのは残念だ。博学の人ではあるのだが。


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