大洋ボート

日本のいちばん長い日

  昭和20年8月15日の終戦前後における天皇をもふくめた政府中枢部の動きを丹念に追ったドラマ。ポツダム宣言(連合国の日本に対する降伏勧告)を受諾するか否かで、戦争継続を強固に主張する阿南惟幾(これちか)陸相らと天皇の意を汲んだ鈴木貫太郎首相をはじめとする終結派との激しい論争があり、他方では陸軍青年将校グループのクーデターをも視野に入れたより強硬な戦争継続画策の動きも描かれる。
  緊迫感が最後まで持続して、この時代の残酷さや愚かさを感じ取りつつもその点では映画としては成功の部類に入るのではないかと思ったが、物足りなさも受け取らざるをえなかった。むつかしいのかもしれないが、つまりできるだけ史実に忠実になろうとしているのだが、逆にフィクションでもいいから、今日的な視点を導入してほしかった。一昔前まではあの日の政治決断を「無条件降伏」という言葉でふりかえられたものだったが、今ではそれはほとんど使われない。この映画でも描かれるように政府中枢が天皇(および皇室)の生命と地位の保全に固執したからで(国体の明徴といわれる)そのために宣言受諾がぐずついたので「無条件降伏」では決してなかったということだ。旧憲法体制にあってはとくに政府首脳にあっては天皇の生命・地位を最優先することは当然すぎたのだろうが、その手ごたえを得る時間までにおそらくは何十万という貴重な日本人の命が犠牲になったことを、わたしたちは忘れてはならないのだ。それに昭和19年10月のフィリピンでの戦いによって日本海軍は主要艦艇のほとんどを喪失してしまい、翌年の沖縄占領を待つまでもなくもはや戦争遂行能力は無に帰していたのである。それなのに連合軍に和平を提案することもなく原爆を投下されるまで戦争をやめなかった。ひとつには国民の熱気がまだまだ戦を後押ししたのだろうが、戦争継続に批判的な閣僚を登場させてもよかったのではないか。(たとえば米内海相や東郷外相にもっと語らせるというように)「これ以上国民に犠牲を強いるわけにはいかない」という言葉が天皇(本木雅弘)ひとりからしか明瞭に出てこないというのは不満だ。そのほうが、むしろ継続派の主張を逆により鮮明に浮かびあがらせる効果もあったのではないか。この映画への個別の感想というよりも、歴史としての戦争にたいする見方に傾斜するきらいもあるが、戦争映画となると、わたしはどうしても書かざるをえなくなる。
  わたしは「激論」を期待したのだが、もうひとつ。そのせいか阿南役の役所広司はもっと語りたいのではないかという印象を持った。海相の米内光政と論争になりかけても何故か打ち切られる。自制がはたらくということか。天皇との二人になっての立ち話も短く、あっけない。これだと阿南の天皇にたいするひとかたならぬ想いがもしあったとしても伝わらない。それに青年将校グループと阿南の会話も少ない。逆に本木雅弘の天皇や山崎努の鈴木貫太郎は十分に口に出しているという印象が残った。天皇は政治に口出しできないという暗黙の了解があり、また鈴木は閣議や御前会議において天皇や閣僚に語らせるお膳立ての役回りだからだ。青年将校はセリフが聞き取りにくいところもあるが、こんなところか。戦い死ぬことを人生の目標として心身を鍛錬し日々を過ごしてきたのだから、前のめりになるのは理解できないこともない。
  短いが、空襲で家屋が焼け落ちる場面があった。これにははっとした。
   ★★★
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