大洋ボート

海街diary

  映画の後半に出てきた言葉だったと思うが、「きれいなものをきれいと感じる」心というものがある。食べ物ならうまいものをうまいと感じる心だ。当たり前のように日々それを享受している人々も多いにちがいないが、それを可能ならしめているのはわたしたちに身についている正常な感覚にちがいない。逆に、不平不満や人間関係の異常が長くつづくと心が荒れてざらついてきて、感覚もまた悪影響をこうむるのではないか。きれいなものを素直にきれいと感じられなくなりはしないか。そしてまた感覚の正常さや普通さはそれをことさら意識するまでもない生活の安定があってはじめて備わるのだろう。そういうことをいちばん強く意識する人がいて家庭を切り盛りしている。この映画においては三姉妹の長女綾瀬はるかがその人にあたる。次女の長澤まさみ、三女の夏帆は勿論、周辺の人々もそれを理解する様子だ。以上のことをメッセージとしてこの映画から受け取ったが、露骨ではなく激しくもなく、平穏さが保たれたゆったりした日常のなかからにじみ出てくる態のもので、すがすがしい気分になれた。
  父が出ていき、やがて母も出て行った三姉妹の家庭に、別の女性と暮らしていた父の訃報が届く。葬儀に列席するために東北地方の山村に趣く三人。そこには「腹ちがい」の妹広瀬すずがいて短い交流がある。父が好きだった高台から見渡せる村の風景を広瀬すずに紹介される三人。彼方に海さえあれば、三人の地元鎌倉の同じく父が好きで綾瀬がよく連れて行ってもらった高台からの風景とまるでそっくりではないか。この子は自分と同じように父が好きだったのだと直観した綾瀬は妹広瀬すずに同居を提案し、広瀬も同意し、四人による鎌倉での生活がはじまる。広瀬の母の生活不安の様子が見て取れたこともあるだろう。広瀬すずの三姉妹との同居を決意させる背景を記してみたが、そういう背景を理解しなくても同居しても上手くいくにちがいないと思わせるものが広瀬すずという若い女優のたたずまいから伝わってくる。影があるものの真面目でひた向きそうだという印象が刻まれる。映画という器の特長にちがいない。
  三姉妹の住む家がまた映画としてのこだわりだ。祖父母の世代から住みつづけていたらしく家屋も庭も広いが、瓦屋根の木造で板壁だ。暴風雨でつぶれてしまいそうなたたずまいである。女性の稼ぎでは建て替えもままならないのか。そうかもしれないが、できるだけ住居として保って行こうとの綾瀬はるかをはじめとする三姉妹のプライドを感じさせなくもないのだ。毎年庭の梅の木から実を採って梅酒をつくるのも祖母から代々受け継いだ習慣だ。長く寄り付かなかった実母の大竹しのぶが祖母の何回忌かの法要でやってきて、家の売却を提案すると激怒する綾瀬はるか。ここはたいへんよくわかる。大竹には売却した金の分け前にあずかる権利があるであろうから口に出したくなるのも無理はないが、綾瀬には家庭を維持してきた、これからもそうだという自負があってその土台たるものが古びた家なのだ。同じく家を出て行った父母であるものの父への追慕とは対蹠的に母には三姉妹のうち特に綾瀬は冷淡だ。大竹しのぶは悪女なのか、そうでなくとも生活においては無能力者なのか、そんな気配がした。
  満開の桜、梅酒、釜揚げしらす、夏の花火、広瀬すずの父の思い出が鎌倉でも再び花ひらく。父の思い出が広瀬と三姉妹のあいだで合体する。また広瀬にとっては未知だが、三姉妹にとっては既知の世界が合体する。父がかつて馴染み、三姉妹が今も馴染む親しい人々や風物がこれらと交響する。海があり山があり電車が走る鎌倉。地元の人にとっては見慣れた風景に過ぎなくても、平穏でささやかな美しさが光のように感じられた。
  ★★★★
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