大洋ボート

龍三と七人の子分たち

  どんな面白いギャグを見せてくれるか、とりあえずの楽しみはそれだったが、どうも期待を裏切られた。くすくす笑わせられる場面はあったが、スケールは小さいといわざるをえない。テレビでのお笑い芸人同士の言葉のやりとりによる笑いも一興だが、金と時間をかけ創意工夫をこらしたギャグに接したい、そういうものから普段とおざけられてしまっているという餓えが充たされたとはいえない。前作『アウトレージ・ビヨンド』では、加瀬亮が椅子に縛り付けられてバッティングマシンから連続的に打ち出されるボールによって顔面を直撃されてなぶり殺されるという場面がギャグとして印象的だったが、そういう類がない。『アウトレージ』以来、三作を見てきたが緊迫度がどんどん落ちてくる。
  ギャグのつまらなさはストーリーの平凡さとつながっている部分もあるのかもしれない。老齢によって引退したやくざが暴走族あがりの若いやくざのオレオレ詐欺や闇金などの庶民いじめを見かねて、組を再結成してこらしめるというのもいかにも思いつきそうで新味に乏しい。『アウトレージ』二作にあった出世欲や裏切りなどの悪の人間模様にはある種痛快さが見られ、またそれを内心楽しんで演じる俳優陣の快感が伝わってきた。悪徳刑事の小日向文世など面白かったものだが。本作でも俳優陣はおそらく面白がっていることは伝わるがそれ以上ではなく、人間像としては平凡だ。中尾彬の寸借詐欺は見た目とそのみみっちさのギャップが面白いが、あまりにも描き方が時間的に足りない。
  ギャグのことに戻れば「カード持ってるか?」「長嶋と青田ならあるよ。」というやりとりがある。藤竜也がオレオレ詐欺との電話のやりとりで銀行カードと野球カード(ずいぶん古いものだろう)を間違える場面だが、これはやはり言葉の次元での面白さである。悪口ばかりになったが、全体の流れそのものは淀みなく退屈もさせず、楽しめないこともない。北野武ファンなら満足か。
   ★★★






白壁から
毛髪が生える
鑿で穿てばあちら側へ出られる
あちらからこちらを覗けば
縞馬の胴部で隠れる

失策は生の鋳型
いつまでも古びることはない
俎板のうえ
出刃包丁で魚を切り裂けば
匂いはなく実に静かだ
夜の寝静まった街を散歩する気分になれる










片山杜秀『未完のファシズム』
  日本陸軍の軍事思想の紹介と考察の書で、この方面には無知同様のわたしには啓発されるところがあった。
  第一次世界大戦期において日本は「漁夫の利」を占めて大いに潤った。世界的な物資不足のおり日本は輸出を増大させ、設備投資もにわかに大規模に行われはじめた。その分欧米列強との国力の差が縮まり、大国の仲間入りが意識されはじめた。だがたとえばアメリカと比べるとその差はまだまだ歴然としている。アメリカが「持てる国」なら日本は「持たざる国」であることを免れない。そこで到来するであろう次回の戦争にたいして日本国家はいかに体制を整えて対処すべきかが研究された。陸軍においては「皇道派」と「統制派」と呼ばれる二つの派閥が存在して、それぞれが特徴的な軍事的姿勢を明らかにした。前者の代表的人物として紹介されるのが小畑敏四郎(としろう)で、一九二八年の『統帥綱領』において「短期決戦・包囲殲滅戦」を主張した。これは鍛え抜かれた不屈の精神力と体力と作戦の巧妙さをもって敵を一気に壊滅させることを主眼とする戦争である。その際敵の軍団はできれば弱小であることが望ましい、つまりがっぷり四つで対峙することは避けて全軍的で短時間で完遂される奇襲攻撃のみが推奨される。一方の「統制派」の代表として紹介されるのは石原莞爾。日本を「持てる国」にするために生産体制を国家的規模で統制し計画経済化して、軍事大国化をいち早く達成しようとするものである。短期決戦による勝利などとても望めないというわけだ。また両派に共通するものとして兵における士気の絶対的高揚が条件づけられる。わたしには両派とも好戦的姿勢が露わにしか見えないが、著者の片山によるとそうでもない、「顕教」にたいする「密教」なるものが腹蔵されていたという。そういうものかと思った。
  皇道派は日本はそう簡単に「持てる国」にはなれないから長期持久戦に追い込まれるような戦はすべきではない。よほど敵が弱小でないかぎりは戦を避けるべきだという「密教」があった。また国民の自由を縛るような計画経済化にも反対であった。統制派もまた裏返せば「持てる国 」に成らないうちは戦に踏みこんではならないという「密教」があったという。しかしこの「密教」的な肝心の部分は国民的にはあからさまには流布されずに好戦的気概のみが喧伝されたことは知られるところであろう。
  一九三一年の満州事変以降、日本は戦争の泥沼に踏みこんでしまい、後戻りできなくなった。もとより好戦的気分が国民全体を蔽い、後戻りの論議など微塵も起きなくなった。一九四〇年はじめ「生きて虜囚の辱めを受けず」のフレーズで有名な『戦陣訓』が発表・配布され軍の教材として使われた。片山はその作成に深く関わり、東条英機のブレーンでもあったという中柴末純(すえずみ)を紹介する。片山によると中柴は「日本陸軍の歴史の中で最も神がかった精神主義を唱えた」人物である。読んでいて嫌になるが、もはや戦略的見地などまったく後退している。ただただ兵の精神性を喧伝顕彰するばかりで、天皇の絶対性と結び付けられて兵一人一人の死が天皇の全体的な生を実現する、同時に日本国家の建設と持続を永続ならしめるというものである。勝利も敗北もない、勝利があるとすれば死に突入して日本兵の精神的優位性の証とすることだという。死ね死ね死ねというのだ。国家的ナルシズムというべきか。ここからは玉砕も神風特高も自然に視野に入ってくるであろう。鬱陶しい。ただこういう空気を中柴という人がひとりで創り出したのではなく、国家全体の空気に同調しようとしたにすぎないのかもしれないが。
  題名の『未完のファシズム』とは明治憲法の制約によって軍部も内閣も天皇も独裁体制を敷くことができなかったという見解からくる。強いてそれを実現できた可能性があるのが天皇であったが、天皇は消極的であったという。同じ主題は他の研究者によって追究されているのかもしれないが、あまりページは割かれていない。



後日譚
直線を
引き出しから取り出す
埃を指のブラシで払う
頭が丸くなっている
伸びしろはまだまだあるのだろう
誰かが手をつけるかもしれないから
潮風とともに両手で隠す
鋏の直線

栄養のアンバランスな血が滞留している
直線の頭の球面
黒い汗にじませた少年が見上げる
わたしが忘れた夏
いたずらめいてしゃがみ込む鋼管の内
遠くには西瓜
贋の未来に恍惚となる
わたしはわたしを暫し忘れるが
寧ろその時にこそ
衆目の視線に晒されているのではないかわたしは
眇めと豚と友情のかぎりない悪臭には
わたしは習性によって鈍感である
逃げても逃げきれない
言葉にリボンをつけて返さなければならない
悠長さの欺瞞 
健康の倦怠
手傷は武器になりうると嘯く直線
引き出しからはみ出た
濃緑色の紙魚





後日譚
直線を
引き出しから取り出す
埃を指のブラシで払う
頭が丸くなっているが
伸びしろはまだまだあるのだろう
誰かが手をつけるかもしれないから
潮風とともに両手で隠す
鋏の直線

栄養のアンバランスな血が滞留している
黒い汗にじませた少年
わたしが忘れる夏
いたずらめいてしゃがみ込む鋼管の内
遠くには西瓜
贋の未来に恍惚となる
わたしはわたしを暫し忘れるが
寧ろその時にこそ
衆目の視線に晒されているのではないかわたしは
眇めと豚と唾棄と友情のかぎりない悪臭には
わたしは習性によって鈍感である
逃げても逃げきれない
言葉にリボンをつけて返さなければならない
悠長さの欺瞞 
健康の倦怠
手傷は武器になりうると嘯く
直線は引き出しからはみ出た孤独な
濃緑色の虫


直線を
引き出しから取り出す
埃を指で払う
頭が丸くなっているが
伸びしろはまだまだあるんだろう
偏食で形成された血が滞留している
趣味めいて直線を
望遠鏡代わりにして覗けば
未来の西瓜を窃盗できるとは
貴重なひとりよがりである
無我無意識の安全地帯の時間帯
わたしのほうが寧ろ覗かれて丸裸にされて
嘲笑されている
逃げても逃げきれないから
言葉にリボンをつけて返さなければならないが
悠長さは欺瞞 
浅い傷は武器になりうると直線は語る






散策
頷いただけ
移動したのでも
壁に釘を打ち付けたのでもなかった
些細な出来事
どうしてそうなったのか今
なつかしい
銅版画の少し以前の時間にはもうもどれない
子供たちの紅葉の手がはしゃぐ
頷いただけ
天から降ってきた空耳が
別の蛹の空耳にべったりとはりついた
頷いただけ
鳥はこの空を今ものどかにとびまわっているが

窓の向こうを掠める影
手に鳶口をもった大男の後ろ姿
ふさふさした
白い暈がついていく
毛の一本がはなれてゆらゆら
毛からさらに毛が生えて
春の馥郁とした大気の心棒のなか
きっと獲物を探しているんだろう
わたしは巻き尺を垂らしてぐるっと一周する
それから何も撒かない
大きな岩の畔に咲く花
金色の露が
大きくなり小さくなり
滑り台からゆっくり落下する
失敗した幼い詐術にあれこれと悩む時間があるんだろう
とぼとぼと
わたしたちに帰宅すべき家があるのは幸福
頷いただけ
ふてぶてしさはかえって育つ
チューブを押すとどろっと貌を出す虫歯
穢れた血を総入れ替えしなければならないのに





それでも少しの手傷を手がかりにして
窃盗しようとするのか未来を
仮構された意志に欲動はたやすく溶け込む
それも魅力ある錯覚だが
穢れた血を総入れ替えしなければならない
白一色の現在




ふてぶてしさはかえって育つ
チューブを押すとどろっと貌を出すもの
それでも少しの手傷を手がかりにして
窃盗しようとするのか未来を
仮構された意志に欲動はたやすく溶け込む
それも魅力ある錯覚だが
穢れた血を総入れ替えしなければならない
白一色の現在



あなたがたはもういない
わたしの現在のなかにはいない
わたしをわたしよりも先に発見し刮目した
あなたがたはわたしの過去のなかにしかいない
わたしの現在は過去とも未来とも無縁
直立する爪楊枝




半透明にできるのか
身体の
未来の構図がかえって見えるなんてのは嘘
終え







吉村昭「鯛の島」「珊瑚礁」
  「鯛の島」は瀬戸内海の小さな島が舞台。爆撃などの直接的被害をこうむることはないものの、戦中から戦後にかけての時代の濁流が島の住民を容赦なく巻き込んでいく。その様子が母子家庭の長男の清作という少年の視線をとおして描かれる。
  戦時の「総力戦体制」とは前近代性と一体不可分のものであった。これが人権尊重の法体制が曲がりなりにも行き渡っている現在からみると非常に忌まわしく見え、嫌悪感をそそられずにはいられない。昭和十八年戦艦陸奥が島の付近の海上で原因不明の爆発を起こして沈没した。何が起きたのか、島民の誰一人として知る者はないのだが、やがて警察の血眼の操作がはじまり、女子供を問わずほとんどの島民が苛酷な捜査に晒される。漂着物の厳重な管理を命じるのはもとより、警察は疑惑の目を島民に注ぐ。容疑者でなくても連行し、暴力を加えて情報を得ようとするのだ。清作と母も警察施設に連泊させられる。ひどい話というしかない。
もうひとつ取り上げられる前近代性は「楫子」(かじこ)と呼ばれる小さな漁船の漕ぎ手に従事させられる「七歳から十三歳」の少年である。動力のない船だから漁師が漁に専念する間、船の方向が一定でなければならないからだ。漁師は少年の親に前借金を渡して、五年、十年もの間、それをさせる。学校に行かせることもしない。ちょうど農山村の若い女性が親によって売春施設に売られるのと同じ仕組みだ。少年たちにとってはきつい仕事で脱走騒ぎがときどき起きる。とはいうものの島民にとっては何代も前から営まれている「伝統」として疑うこともしない。だがこれが敗戦によって一変する。一人の楫子少年の死亡事件がきっかけで、アメリカ進駐軍の民主主義施策宣伝のために楫子制度が「人身売買」として問題視される案件となったからだ。このときも警察はこざかしく素早い。島の区長が連行・逮捕されて新聞記事にもなる。島としては「楫子」に月給制を採用するなど大幅に譲歩し改めるが人が集まらない。そこで戦災孤児三人を島に連れてくることになる。だが清作少年からみた彼等はまったく異貌で理解不能な存在である。
「鯛の島」はこのように「戦後」のどん底を清作と島民が戦災孤児に見いだして終わる。つまり彼等は働かないし、その気がまるでない。大人の指示にしたがわないどころか、反抗することも身についている。窃盗や狼藉をすることが平気で、愉快でたまらない。吉村昭は「当然、異常な環境の中で、かれらの性情は歪み、人間としての感情も失われた。」と書くしかない。わたしもここへきて内心唸ってしまった。
「珊瑚礁」はサイパン島の陥落の一部始終が、やはり十代前半の少年の視線をつうじて描かれる。住まいのある町が大規模な空爆によって焼き尽くされ、夜空に濛々とあがる炎を家族とともに山麓の防空壕から茫然と眺める。これがはじまりだ。やがてアメリカ軍は日本軍の抵抗を排除して上陸し、艦砲や空爆とともに地上からの砲撃や射撃を間断なく加えてくる。町をあらかた制圧したアメリカ軍は攻撃の目標を兵や民間人が逃げ惑う山麓部へと変えてとどめない。銃砲の炸裂音を耳にした人々は逃げ惑い、壕や洞穴をみつけては一時避難をくりかえす。団体行動ではなく、家族や小さな集団などの思い思いの行動で、義明少年も家族七人とともに父に先導されて動きまわる。どこが安全かそうでないか、皆目わからない。ただ山の地理に詳しい父の勘に頼るばかりだ。多くの人が死に、少年も死体を目撃することが稀ではない。その間五か月、吉村昭は「その日から、時間的な感覚は失われた。」と書く。アメリカ軍の攻勢から数日後のことのようで、わかる気もするが、わたしたちの想像を超えたものがそこでは支配するのだろう。
生きようとして逃げるのだが、おびただしい死体や短い時間の後に死にゆく人を間近に視認すると、はたして未来に生があるのか判然とはしない。むしろ死に近づいて行っているのではないか、だがそんなことをあれこれ思う暇はなく、ただ逃げたり食料や水を確保したりの身体の動きがあるばかりだ。こわいことはこわいにちがいないが恐怖を固定化することもかえって体を縮こまらせる、そういう本能にも近い知恵が働く、ただただ体を動かすのみで人を考えさせまいとする環境があるのかもしれず、同じことを執拗に繰り返す以外には選択できない。時間の感覚が、さらに感覚そのものが鈍化するようだ。長姉がつれた嬰児が泣き叫んだのでその音を消すために長姉はためらいない様子で絞殺する場面がある。義明少年もほかの家族も、彼女を非難することもなく、無感動そのものだ。そういう歯車が家族に共通して回転していてそこに全員が同調して乗っているという、異常といえば異常にちがいないが「非日常のなかの日常」というべきだろうか。同情にさそわれる。滅多に父にさからわない母が山を下りる、つまり降伏することを頑強に主張して父は受け入れる。これも日常ではみられない家族の変化だ。「友軍」の援助に期待しつづけた父だが、父についていく以上のことは考えられない少年にとってはその心変わりは理解できない、またその必要も感じないのであろう。
  彼等は無事アメリカ軍に保護されて臨時の収容所に入れられる。島の住民の集団自決や日本軍の玉砕攻撃などの報に接しても、嫌というほど死をみてきた少年にとっては心を動かされることもない。悼みの感情が麻痺して久しいのだ。「珊瑚礁」は、このように戦争を無事に五体満足でくぐりぬけられてもその残酷な実相が少年の眼をとおして、吉村独特の冷静かつ淡々とした筆致で描かれる。






4と










吉村昭「脱出」「焔髪」
  戦争体験といっても何もかもがよくわからないままに通過してしまった、無数の死や負傷を周囲に目撃しながらも偶然にも本人は五体満足のまま生き残ってしまった、こういうことも凄惨さを身体に刻印されてしまい、たとえば後遺症との長い戦いに苦しまなければならなかった人々が多く有る一方で、体験としてはやはり数多いのだろう。ここに収められた五篇の短編はいずれも主人公はそのような運命に流される。しかも一篇をのぞいて彼等は当時十代前半だった少年である。
  「脱出」は樺太(現サハリン)の小さな漁村から北海道東端部に船で文字通り脱出するという話。八月十五日の天皇の玉音放送によって戦争終結が全日本国民に知らされたが、その後もソ連軍は樺太・千島列島方面への進撃を中止させることなく寧ろその勢いは増した。だが小さな村では正確な情報が入ってこない。南樺太はソ連によって日本に租借されこれまでどおりの生活ができるという希望的意見や、逆に住民がソ連軍に連行されて重労働を科せられるなど憶測が交錯し、見通しは定まらなかった。安定した生活をそこで長期間営んだ経験があれば人々はそれがこれからも支障なくつづくだろうという希望を捨てがたいのかもしれず、環境の激変を信じたくないのだろう。現在の平和と当時の「戦時のなかの平和」の心理にも共通するものがあるのだ。敗走してきた兵が村に逢着してきたとき、ようやくのように北海道への脱出が試みられる。しかも一挙にではなく「試し」として。光雄という少年も何番目かの小さな船での脱出行に同乗し、稚内かその付近の町に無事到着する。地元の人は樺太からの避難民に親切であり、配給食糧を自分たちの分を削って分けてくれたり、仮の住まいも提供してくれる。光雄たちの「仕事」はあとからくる避難民を手助けすることが主。死体の運搬や焼却もある。せっかく船でたどりついて来ても餓えやソ連軍の銃撃によってすでに死に絶えた人も多いのだ。またせっかく本土に逃れ来ても同胞救助や漁具を持ち帰るために危険を顧みずに何回も樺太の地元に戻る勇敢な漁民もいる。あわただしい混乱の時期で、光雄少年はやがて与えられた漁業関係の仕事に精を出し糊口をしのぐ。精一杯の様子がわかる。樺太からの避難民のあいだではソ連軍の残虐さや日本人の集団自決の噂話が繰り返され、光雄の耳にも入ってくる。
  どう考えていいのかわからない、というよりも腰が据わらないというのが光雄少年の心の世界だろうか。環境の激変に耐えて冷静であろうとすることだけが、光雄に課題としてできることだろう。そんな少年に変化が起きるのは、大きな鮫の胃袋から女性の指輪が発見されたことを漁師に知らされ見せられる場面で、想像力をかきたてられる。わけのわからなさがより大きなものとして少年に迫ってきて捉えられるのだ。女性は生きたまま鮫に食われたのか、死んでからなのかは無論わからない。女性の恐怖(生きていれば)や鮫が女性の肉を食らうときの悦楽、こういうことをわたしは無用にも想像させられたのだが、もしかすると少年も同じなのかもしれない。筆致は吉村特有で淡々としている。恐怖感もあるが、それ以外に少年の性の目ざめをも暗示するかのようだ。ひどく損傷した屍を嫌というほど見ている少年にとっても、同列に見られない、たじろぐ事態だろう。
人間の興味は外部の全方位に均等に放射されるのではなく、特定の外部の対象が向こうからやってきて個人を捉えるようにしてはじめてかきたてられる、別世界に誘われるようにして。人間の興味には凹凸があって、それをだれでもが体感し通過するのだろうとの印象をもった。
「焔髪」は東大寺の仏像が戦時中に爆撃による火災を避けるために「疎開」させられるという話。文部省の指示もあって文化財保護の観点から疎開に賛成する派と、長い歴史において前例のないことはすべきではない、災厄は運命として受け入れるべきだという思想を頑強に主張する派とがはげしく対立した模様だが、そこは前置き程度にふれられるだけ。これは追究すれば思いテーマになることはわかりきってはいるものの、避けたのは作者の方針だろう。それよりも造りが繊細で損傷しやすい仏像の運搬の往復の場面に紙数が費やされる。今回知ったが、仏像の大部分は表面の形態が麻布と漆だけでできているそうである。土で像をつくってそれを麻で巻き漆塗りをほどこすことをくりかえしたのちに土を抜き取って内部の空洞を木材で補強して完成に至る(脱活乾漆法)。だから人間の集団によってゆっくりと丁寧に運搬されなければならないが、人手不足の折で、刑務所の囚人にそれを依頼する。山奥の寺に運ぶために坂道や難路があって時間がかかる。同伴する主人公の僧侶が、その途上囚人に嫉妬と羨望を抱くのが、やはりそういうものかと思った。空襲があり食糧難の時代にあって刑務所の囚人という存在はそれらから保護されている。一般人と立場が逆転しているのではないかという腹立たしさであり、またそういう時代の不思議さである。
戦争が終わって仏像は寺に帰還し、僧侶は梱包を解いて見慣れたはずの仏像とあらためて対面する。ここが本短編の読みどころで、「脱出」においてわたしが指摘した興味の凹凸にも照応する。

  技師がかたく結ばれた縄をとき、布を開ひらいてゆく。朱色をした焔髪を逆立てた頭部があらわれ、鋭い光をたたえた眼、強く張られた鼻翼についで、内部の赤い大きくあけられた口がのぞいた。玄照は、あらためてその形相が激しい忿怒の相をしめしていることを感じた。

  仏像は何回対面しても主人公玄照にとっては深く新たな感動と謎をもたらしてくれるものとして描写されている。いつまでも狎れることができずに緊張にさらされるのだが、外部との無数の関係のうちのもっとも親しみある対象でもある。




王国
問われたことは覚えている 青い空虚な矢を盲滅法にあらゆる方向に放ちつづけた壮大ないたずらもしくは遊びでしかなかった わかりきったことをたとえ心のみの次元であろうとはじめからやり直すことは徒労でしかなかった 窒息しそうなほど無聊だったかかる雑音と瓦礫と無駄そのものの熱量のなかから問われたことを全記憶の芯として措定しかえしたのはしたがってずっと後だった 見て見ぬふりして通り過ぎたのは問われたのに対して思わずも問い返そうとしたから それが日常水準的な憎悪をはるかに超えた肉体反射的な敵愾心だったから 問われたいくつかの硬質の眼差しがやわらかい肉の壁に見えて奥所を開示されてそそられてしまったから しかしそれらは生成直前の粥状の今一歩判別不能な意志や感情の形態であり無かったこととして思わず引き下がったこともわたしとしてはごく当然であった 生成されようとしたのかもしれない新たなわたしにはわたし自身目もくれようとはしなかったから矛を収めたという自覚はなく あやふやなもう一人のわたしがわたしから彷徨い出た宇宙遊泳的な一瞬の出来事だったといえる もしその一瞬をふりかえって実在として肯定し濁流に乗ってしまえばどうなったのかこれからどうなるのかという仮定なり推論なりがわたしを捉えた 問いそのものを問うた者の実在を押し返してそれは圧殺してしまうことにちがいなかった こわごわわたしは結論を呑みこんだ 青い空虚な礫をあらゆる方向に投げつづけた壮大な遊びもしくはいたずらが何事も無かったかのようにいやさらに自己肥満して薄汚れたナルシズムの旗をたかだかと掲げ永遠のごとく持続することにちがいなかった かかる仮定なり推論なりは唾棄すべきものであったかもしれないものの隠れ家に籠るようにわたしは拘泥し溺れた 自己叱責の鞭は露ほどもなく下卑た嗤いに顔が染まった 

無自覚のなかに後日発見された「矛」を獣性を肯定するがごとくに肯定し濁流に乗ってわたしは光の王国に直線距離で到達した わたしは内蔵物の細かい部品ではなく存在そのものを問われたと瞬間に病的に判断したのだから押し返そうとすることは仮定としてありえた 実践ではなく空想の甘さがまさった わたしはわたし一人の世界を築き上げて自閉した 透明な膜一枚で隔てられた向こう側に光はたえず供給されたが人が一人もいない 紐の切れ端がわずかに覗いた 変化を待つともなしに待ったものの当然のごとく無かった 行き止まりであった 判断は挿入しようがなかった 窒息しそうなほどの長い無聊がつづいた


とっくに関与を忌避したもののあたかも関与しつづけるかのような欺瞞と義務意識の青くいやらしい蜘蛛の巣にわたしは捉えられていた


王国
問われたことは覚えている青い空虚な矢を盲滅法にあらゆる方向に放ちつづけた壮大ないたずらもしくは遊びでしかなかった窒息しそうだった雑音と瓦礫のなかから問われたことを記憶の芯として措定しかえしたのはずっと後だった見て見ぬふりして通り過ぎたのは問われたのに対して思わずも問い返そうとしたからそれが日常水準的な憎悪をはるかに超えた肉体反射的な敵愾心だったから問われたいくつかの硬質の眼差しがやわらかい肉の壁に見えてしまったから無かったこととして思わず引き下がったから矛を収めたという自覚はなく夢遊病的な束の間の一連の出来事だったもしその流れに乗ってしまえば無自覚のなかに後日発見された「矛」を獣性を肯定するがごとくに肯定し流れに乗ってしまえばわたしは光の王国に直線距離で到達しうるのかもしれなかったわたしは内蔵物の細かい部品ではなく存在そのものを問われたと瞬間に病的に判断したのだから押し返そうとすることは仮定としてありえた
わたしはわたし一人の世界を築き上げて自閉した透明な膜一枚で隔てられた向こう側に光はたえず供給されたが人が一人もいない変化を待つともなしに待ったものの当然のごとく無かった判断は挿入しようがなかった窒息しそうなほどの長い無聊がつづいた






悪癖
怠惰の敷石に挑みかかるのではない光は昨日毛むくじゃらの影と影が熱い雨の中で交合しときには傷つけあうその鳴き声の甘さは密閉されて漏れずかえって彼等との意思疎通は完璧であり壊れた家具の下敷きになってのある種ひしゃげた充足のもと鼻水滴らせてそれを眺めるのが今日のわたし頬に絞まりなく何処までも緩みっぱなしである鏡を覗き込んで刺され貯えられたつもりの意志は角が削げ落ちてきて
大太鼓小太鼓の悪性のリズムを自らに叩き込むことを運命のように選択したのは納得させられるにせよリズムのどてっ腹に貝殻のように付着した映像と人にいくらも接近できなかった記憶の湿った綿埃のなかに埋もれたままでは決してないが「光は昨日」の真実味さえ第三者に問われると液状化しかねない判断は終了したもののリズムの鏡をこなごなに破壊することに無頓着だった阿呆の半生怠惰の敷石に挑みかかるのではなかった判断の不徹底が飽き足りなさを招来せしめて空気にはじめて触れる粘膜のようなものが他人として塔としてわたしのなかに居座るこの馴れ馴れしさを踏み台にして跳躍しわたしはあるいは消滅しなければならず……



悪癖
怠惰の敷石に挑みかかるのではない光は昨日毛むくじゃらの影と影が熱い雨の中で交合しときには傷つけあうその鳴き声の甘さは密閉されて漏れずかえって彼等との意思疎通は完璧であり壊れた家具の下敷きになってのある種ひしゃげた充足のもと鼻水滴らせてそれを眺めるのが今日のわたし頬に絞まりなく何処までも緩みっぱなしである鏡を覗き込んで刺され大太鼓小太鼓の悪性のリズムを自らに叩き込むことを運命のように選択したのは納得させられるにせよリズムのどてっ腹に貝殻のように付着した映像と人にいくらも接近できなかった記憶の湿った綿埃のなかに埋もれたままでは決してないが「光は昨日」の真実味さえ第三者に問われると液状化しかねない判断は終了したもののリズムの鏡をこなごなに破壊することに無頓着だった阿呆の半生怠惰の敷石に挑みかかるのではなかった判断の不徹底が飽き足りなさを招来せしめて空気にはじめて触れる粘膜のようなものが他人として塔としてわたしのなかに居座るこの馴れ馴れしさを踏み台にして跳躍しわたしはあるいは消滅しなければならず……


怠惰の敷石に挑みかかるのではない 光は昨日 毛むくじゃらの影と影が熱い雨の中で交合しときには傷つけあう その鳴き声の甘さは密閉されて漏れず かえって彼等との意思疎通は完璧であり 壊れた家具の下敷きになってのある種ひしゃげた充足のもと鼻水滴らせてそれを眺めるのが今日のわたし 頬に絞まりなく何処までも緩みっぱなしである 鏡を覗き込んで刺され 大太鼓小太鼓の悪性のリズムを自らに叩き込むことを運命のように選択したのは納得させられるにせよ リズムのどてっ腹に貝殻のように付着した映像と人にいくらも接近できなかった 記憶の湿った綿埃のなかに埋もれたままでは決してないが 「光は昨日」の真実味さえ第三者に問われると液状化しかねない 判断は終了したもののリズムの鏡をこなごなに破壊することに無頓着だった阿呆の半生 怠惰の敷石に挑みかかるのではなかった 判断の不徹底が飽き足りなさを招来せしめて空気にはじめて触れる粘膜のようなものが他人として塔としてわたしのなかに居座るこの馴れ馴れしさを踏み台にして跳躍しわたしはあるいは消滅しなければならない













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