大洋ボート

ヒューリー

http://movie.walkerplus.com/mv56976/trailer/ 
  ブラッドリー・クーパー演じるクリス・カイルという人物は実在したという。ロデオ大会参加に熱情を燃やす屈強な肉体の持ち主だったもののケニア在のアメリカ大使館爆破の報に接して愛国意識に目覚め、アメリカ軍特殊部隊シールズに志願入隊し、やがて狙撃兵としてイラク戦争におもむく。冒頭の場面では、歩兵が建物の一軒一軒に侵入・制圧する作戦の間、見晴らしのよい建物の屋上から監視し、手榴弾を投げつけようとした女と子供を見事に射殺する。このようにして何回かのイラク派遣において計160人ものイラク人を射殺し、アメリカ軍を大いに擁護した。絵に描いたような戦場ヒーローでありカイルは称賛を浴びる。このことだけとりあげて連鎖にしても戦争アクションとして十分に成立するであろうが、周到なクリント・イーストウッド監督だから戦争における「心の病」を同時に描くことを忘れない。むしろそちらにフォーカスをあてることにこそこの映画の眼目がある。そして「心の病」はカイルの周辺の兵士に蔓延するのみならず、カイル自身をも知らず知らずに蝕んでいく。
  戦場の場面とはちがって一見些細なことである。帰国の際に妻が見ていたイラク戦の実写ビデオをカイルも見る。同じような場面の2回目で銃撃戦の音響が鳴り響くがテレビ画面には何も映っていない。カイルは家庭の休息の場にあっても緊張を維持しなければならないという義務意識に迫られるのか。わたしはむしろ戦場の記憶から逃れようとしても逃れられないカイルをイーストウッド監督は描き出したいのではないかと思った。幼い子供同士のパーティの場面。比較的大きい犬とカイルの娘とがじゃれあっていると見ていたカイルが、娘が噛まれるのではないかとの妄想に支配されて犬に殴りかかろうとして妻に制止される。その犬はおそらくは安全とみなされたからこそパーティに同伴されているのに。みずからが戦場において子供を射殺した記憶が急激にこみあげてくるのであろう。またカイルと同じく意気揚々としてイラク戦に参加した弟の憔悴した姿に出会う場面もある。
カイルは「心の病」に全面的に支配されるのではないが、そうした人物もいる。退役軍人のなかにはめずらしくない存在かもしれず、退役後彼等へのボランティア活動に精を出すカイルはその類の人物に遭遇するのがラストの場面。カイル個人の悲劇としてではなく、アメリカ全体の悲劇の一環として描かれる。アメリカ全体が戦争によって疲弊し「心の病」に蝕まれているという現状認識だ。
  クリス・カイルは家族にも同僚にもやさしい好人物だ。銃の照準を覗き込みながら携帯電話で本国の妻と会話する場面は、寂しさをまぎらわす意味もあるものの家族を忘れまいという妻と自身へのメッセージでもあるだろう。小さな携帯ではるかにとおいアメリカと手軽に通話できるというのも、そういう時代なんだなと思わせる。映像といい主張といい、とくに目新しさはないもののまとまりはいい。
「ハート・ロッカー」にあった軍人の嫌味な職人的自慢もない。
  ★★★★

  戦争映画においてはその大枠は決まっている。第二次大戦のアメリカとドイツの戦いならアメリカが勝利した。個々の戦いの勝敗は別にしてこの大枠は動かせない。また戦争ものにかぎらないが、主人公は映画の終わりで運命がどうなるにせよ、映画が幕を閉じるまではたいてい生きのこる。戦闘シーンが何回かあって映画ごとにさまざまで新奇な工夫が凝らされたり、従来と大して変化がなかったりする。
  だが戦争は歴史や映画娯楽にとどまるのではない。そのさなかに投げ込まれた兵士の見せる反応は千差万別といえる。生死の境をさまようときの恐怖や疲労困憊、無慈悲に敵を殺戮するときの人によってはおぞましさであったり憎しみが籠められたりする。上官の命令どおりに動くとしても例えば銃の引き金を引くのは個人であり、敏捷に動く一方で、冷静に狙いを定めて撃つことができるかどうかは個人の力量と判断にかかってくる。戦争そのものにたいして個人の奥底に批判的観点があるかどうかも注目点だろう。
  ブラッド・ピットはのちに戦車部隊の隊長となるベテラン兵。ドイツの小さな町を制圧して、兵や民間人が続々と投降するなかで静かな気配をみせる一軒の民家に侵入する。若い女二人が息をひそめるようにして居る。つづいて同じ戦車に搭乗する若い新参兵が、またベテラン兵が入ってくる。女性二人にはアメリカ軍への敵対心はすでに消失しきって、自分たちの運命を託すようにブラッド・ピットを凝視する。あからさまな恐怖はなく、恭順し、できるかぎりのことには従おうという意志さえほのみえるようだ。ダイニング・キッチンの椅子にどんとかまえて座り、バッグから携えてきた5個ほどの鶏卵をとりだして女性の一人に渡すピット。これで料理を作れ、というように解釈した女性はさっそくとりかかる。言葉が通じないなかでのこの交渉が、いかにも直前に戦争が終わった(その町にかぎれば)という時間帯の恐怖と興奮が冷めやらないまま、しかも緊張を解けないながらもつとめて冷静になろうとする両者の息づかいが、ああこんなものかなあと観客に自然に思わせる。
  若い兵が部屋にあったピアノに目をつけ、楽譜を見て弾く。するともう一人の若いほうの女が近づいてくる。彼女もピアノを弾くか、その曲を知っているのだろう、親密さを自分のほうから早急につくろうとするのだ。若い兵も獲得した束の間の休暇でみずからを解放したがっている。ブラッド・ピットは「その女とやれ、お前がしなければ俺がする。」と若い兵に告げる。隣の部屋に女の手を取って連れていく兵。ピットにナチ将校の銃殺を命じられて頑強に抵抗したとは思えないげんきんさだ。ブラッド・ピットもまた解放されたがっている様子が見えながらも、みずからそれを堰きとめるかのような表情も見せる。椅子にどんと腰かけながら来し方行く末に思いをめぐらすようでもある。古参兵はドイツ女性と別の場所でセックスをやってきたばかりで喜びをあからさまにする。この民家での場面がわたしには一番見応えがあった。
  ブラッド・ピットやアメリカ軍は両手をあげて投降してきたドイツ兵や民間人にたいしてすべて理性的に対応するのでもない。きれいな軍服で身をととのえたSS(親衛隊)将校やリーダー格とおぼしき兵にたいしては無慈悲に銃弾が撃ち込まれる。おそらく戦闘の勢いの余韻がまた憎しみがそうさせるのだろう。SSに処刑されたのであろうドイツ人の縊死体が進軍のさなかにちらほら目撃されることも影響している。戦争という大きな渦のなかに誰でもが巻き込まれる、完璧に理性的であることが困難なことを訴えようとするのか。戦争というものの実相があらわになる。残酷さは否定しようがない。
  戦火がやんだ直後、戦車内で五人が一様に大きく肩を上下して何回も息を吸い込む場面もなまなましさが伝わった。戦闘場面ではつぎつぎに放たれる機銃の軌道が赤い光を曳くところが目新しいか。それも有る場面で、たった一台のテイガー戦車にアメリカ軍戦車が何台も撃破される草原での戦闘が、戦争映画としての山場だろうか。
   ★★★★
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