大洋ボート

ノート・過去と現在

  「わたし」は過去の自分の行動をふりかえる。行動とは欲求や義務意識にもとづいて社会的に具体化されたものであるからおのずからさまざまな社会的評価がくだされる。「わたし」もまた自分が行いなすりつけたさまざまな局面での痕跡また印象を繰りかえしてふりかえるので、他人とは違ったものであったとしても自分の行動にたいする社会的評価に参加しているのであり、過去の行動からとおざかるにつれてその評価は少しずつ変わっていくのかもしれないが、最終的には自分のやったことは自分の手で評価を決定づけなければならないという思いがある。
  「わたし」は忘れられた人である。夢中になってのめりこんだ行動からはとっくに身を引いた。賞賛を浴びあるいは非難を浴び冷ややかな視線を向けられたそのときの社会的評価につながる緊張した周囲は現在の「わたし」にはない。環境そのものがすっかり変わってしまった。仮に「わたし」の名を出してもその固有のときに「わたし」を知っていた人々のうちでも懐かしがってくれる人は少数であろう。「わたし」もまたそれら少数の人々と再会したいとは格別には思わない。だが「わたし」は過去をふりかえるどころか引き摺りつづける。今からみればわずかの期間にしかすぎなかった過去の行動が、自分のそれも含めて過去と現在の社会的評価にさらされることは既に書いたが、「わたし」の過去の自分の行動への評価は一言でいえば「悪い部分もあったがいい部分もあったかもしれない」ということになる。「わたし」は実はこの「いい部分」を単独でとりだしてみたいという欲望にうち勝ちがたいのであり、その欲望に沿って生き、あわよくばそれを実現させることでしか「わたし」という人間の本来的な持続は無いものと思い込んでいる。だがほんとうに「いい部分」が過去の行動に実在したのかと問われれば自信をもてない、まして言葉にして具現化するなどなおさらだ。「いい部分」とは萌芽やヒントに過ぎないのか、もっと後退して思い込みに過ぎないのかという疑心がよぎる。そこで「わたし」は仮定された「いい部分」を育ててみたいと念じるようになる。この思いは過去の行動への自他の社会的評価や、過去の行動自体とはそれが外側からみて土台を形成していることになるにせよ、直截のつながりをもたない純粋主観的な思いだろう。だが人は主観によって生きるものだ。他人からみて過剰と思われまた無効と見做されるほどの関心をひとつの物事や観念に向けることによってしか人によっては充実感を得られないからだ。「わたし」のような人にとっては客観性なるものは主観からわずかにとおざかって中心部にある主観を補強する道具にとどまり、主観からとおざかればとおざかるほどその客観性は「わたし」にとってはしだいに関心を失わせるものとなる。
  「わたし」は過去の行動をときには心で繰りかえす。行動にともなう旗印であった言葉は忘れても、体感に突き刺さった火照りは忘れてならないと思うからだ。火照りにともなって今日的に重要と思われやがてありきたりではない言葉につながるであろう映像や感覚が立ち上がったからだ。もとよりかかる火照りは過去ほどの激しさを現出させることはできないにせよ、考察力はいくらかは伸長している。「いい部分」を単独で掬いあげることは「悪い部分」と渾然化しているために不可能であるから「悪い部分」もまた心で繰りかえさざるをえず引き受けざるをえない。「わたし」は一時的に「悪人」になる。それにまた行動には中断の匂いがあり、「わたし」は未練がましさと、最終局面において自ら中断を選択したかに見えることからくるうしろめたさの実感をも成り行き的に抱かされながら、一方ではそれらを唾棄したい思いにも気づきながら、過去の行動を心で繰りかえす。だがどっぷりと漬かっている間はやはり「悪人」であるから引き返す。
  「わたし」は何もしない。過去を<心で繰りかえす>とは反面、外部的現実に関わるかたちでは<繰りかえさない>ということと「わたし」にとっては同義一体であるからだ。過去において撒き散らしてきた言葉はその時点においては生半可であったとしても「わたし」なりの確信に裏付けられてはいたが、今はその確信は雲散している。社会的評価なるものもその時点での基盤になった言葉に主に向けられ、そこにおいて多分に否定的評価を被ろうともそれはそれで「わたし」が仮に納得しようとも、それだけで引き下がることは肯んじられないのだ。「いい部分」に着目するからでそれは旗印にしたかつての言葉からは分離独立してさらに鮮明にされなければならないと思念するからで、その作業の過程において<心で繰りかえす>ことはどうしても必要になってくる。「いい部分」とは何か。身体内の余力をふりしぼるようにして行動にぶつけていった白熱や恍惚感なのか。またそれゆえの壁にぶちあたったときの疲労感、何かしら「わたし」の重要な一場面の終わりを見せつけられたような、同時に即座には言葉にはできない「世界の真相」を神のような絶対者から強烈に暗示されたような、また「わたし」も例外ではない個人の肉体と力のちっぽけさを寂しさとともに呑みこまされたような謎と躓きの総体にちがいない。それらが「いい部分」と呼べるのか、抽象的かつ曖昧なそれら総体を引き受けなおし舞い戻って過去そのままの姿勢ではなく別の姿勢で再出発することにしか「わたし」は希望を見出せなかった。そうでないと「わたし」という一本の線は曲線であろうとも寸断されたままの状態なままだ。もとより捨て去らなければならない部分も大いにあり、その見極めもおのずから要請された。しかしながら、これしかない、やれるところまでやらなくてはならないという思いに食らいつき食らいつかれたことも事実で、反面そういう思いが「現在」に欠落していて不甲斐なさを自分自身に日々じれったさとともに感じざるをえないことからくる過去への懐かしさも覚えてしまい、擦り寄る姿勢を執ってしまうことも矯正できなかった。思慮を唾棄するようにして闇雲に過去に戻りたいとも思わずにいられなかった。だからこその「悪い部分」をもそのまま引き摺っての過去の無修正の再現にもとりつかれた。「わたし」はそのときどきの現在においても過去とそれほど異ならないままに「わたし」自身を統御できないまま崩れた豆腐のようにぐしゃぐしゃにして闇雲に過去を再現した。そういう時期は長くつづいた。
  <そのときどきの現在>とは「わたし」固有の過去以降の仕事と余暇である。仕事とはいうまでもなく日々の糧を確保するために収入をえることであり、物づくりならば要求された規格どおりにひとつひとつを作ることだ。そこにおいては仕事の範囲以上に社会的に訴えかけるような、人目を牽くことを目的にするような、同じことだが賛同者を闇雲に増やそうとするようなことを余分にする必要はない。職種によってちがいはあるだろうが、会社組織や客の要請に沿う以上のことはしなくてもよい。誰でもが知っていることであり、またそれ以前に誰でもが就業しなければ生きていけない。就業して即座に要請された能力を会得する人は稀であり、そこで人々は苦労する。「わたし」が過去において為した大言壮語や自惚れなどは何の役にも立たず、それらを清算しようがしまいがずっと後退した地点から始めなければならない。「わたし」の固有の過去において衣服のように纏っていた力やリズムは発揮しようがなく、仕事において要請される技能や丁寧さを身に着けることにせかされる。自覚するべきは冷静さであり、「わたし」の過去が孕んでいたであろう熱気や大ざっぱさは邪魔になる。だが「わたし」はそれを自覚しようとしないか、または無意識だ。「わたし」はポジションの変更を余儀なくされたことに不平不満と寂しさのあまり、それを空想的に認めたくない気分に引きずられる。「わたし」は<「わたし」の持続>に幼児的に執着するあまりに仕事の時間においてその寸断の感覚にさいなまれ侮辱されっ放しの気分に支配される。攻撃性を発揮できない自身に「わたし」はじれったく歯痒くなる。
  「わたし」は過去を闇の中に解き放つ。後ろめたさをともないながらも、社会的評価には背を向けて、生き生きして暗躍する自身の像を打ち立てようとする。過去そのままの「わたし」ではなくそのままの周囲の環境でもなく、もっと自由でもっと悪辣な「わたし」が不鮮明に浮かびあがる。空想であり、仕事の時間とは切り離されたかに見える余暇の時間の別の「わたし」がそこに位置を占める。空想の「わたし」はそこで何をするのか。他人を傷つけたり殺したりするのか、少なくともその意思は現在の「わたし」によって付与されているものの空想以上ではなく、あくまでも暗躍して蠢くだけで重大なその部分も曖昧に終始するが、いくばくかは自由の気分に浸れる。そして「わたし」は歪む。空想の中の「わたし」の像を、またそういう営為に耽り堕ちこむ「わたし」を「わたし」自身が許すのか許さないのか、これまた曖昧なまま「わたし」は「わたし」をずるずる引きずる。許してくれるかもしれないのは「わたし」だけではなく他人、それも過去ばかりではなく現在の他人も含まれ折り重なってくる、自然の成り行きでの心的傾斜か。現在において生き残ろうとする願望がまずは周囲から許されたいという自信のなさを引き入れるのだ。もとよりかかる空想はおおっぴらにできるものではなく秘密裡に小さな焔のように営まれる。「わたし」は他人からも常識的な「わたし」からも背を向けたこういう隙間の時間を降りて、みすぼらしい安逸をうる。(2015年1月2日加筆)

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