大洋ボート

吉村昭「鉄橋」「透明標本」

星への旅星への旅
(2013/06/13)
吉村昭

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  吉村昭は特異な職業にたずさわる人に興味をしめす。一般人には縁遠いその仕事の内容をわかりやすく記述してくれて読者の興味をひくだけではない。その分野において他の追随を許さないすぐれた能力の持ち主をとりあげて、そこにある固有な欲望やこだわりを描く。彼はやりたいことを存分にやりつつある存在で自信家であり、反面孤独でもある。独自に道をきわめたことからくる秘密を人には明かそうとはしないし、さらに現在に満足できずに未踏の領域に踏みこもうとして緊張をときほぐすいとまがない。自分の道以外には無関心であるから家族や身近な他人の意外な行動に驚かされることもある。逆にそれらの人々からは当然ながら彼の真の姿が見えにくいということでもある。
  「鉄橋」は不可解な轢死で人生の幕を閉じた強豪ボクサー北尾の話。といえば同じ死に方をしたピストン堀口というボクサーをわたしなら連想するが、彼と小説の人物がどこまで事実的にかさなるのかは不明だ。北尾はロードワークの際に利用する山道の近くを走る列車に轢かれて死亡した。有名人だったのでマスコミはかまびすしい関心を示したが、自殺か事故死か、にわかには判然としない。しだいに作者吉村は、マスコミに正直に吐露しようとはしない北尾周辺の人物を登場させて、彼らの北尾にたいする思いをとおして北尾の人となりをあぶり出していき、さらにそれとは一種断絶した周辺人物さえ知ることのない北尾という人の核心を、作者の知るところとして描き出す。この部分も作者の想像力による独自のものか、それとも綿密な取材によってヒントをえた末に形成されたものかはわからない。
  北尾の最後にあたる試合は新人ボクサーが相手だったがKO負けを喫してしまった。またこのときの打撃によって網膜剥離を生じさせてしまい、北尾はその治療と療養中の身であった。また妻の「不倫」もあって身辺は穏やかではなかった。世間は試合以外のそれらのことを知らされなかったが、ボクサーとしての能力の衰えを痛感したことからくる自殺説が浮上しつつあった。しかし決定打となる証拠がない。また俊敏な北尾がたとえ線路上を歩行していたとしても走行中の列車から身をかわすことは容易このうえないとおもわれて、事故死説にも簡単にはうなずけない。このようにミステリアスな展開があって、そのうえで北尾自身にしか知られることのない彼の独自な世界が記されていく。
  北尾には身体能力の衰えはなかった。相手が繰り出すパンチから身をかわす技量は依然として健在でありその自信は揺らがなかったどころか、もっとその技量を伸ばす余地があると自分では思い込んでいた。簡単に勝つことに飽き足らないものを感じていたのであり、相手のパンチから普段なら100下がるところを99にしてみたいという欲望がわいてきて、それに逆らえず試した結果のKO負けであった。いたずら心だろうか。だが彼はそれを諦めることはなく今一度試みてみたいという欲求がふたたび頭をもたげてきて、あろうことか列車との競争に踏みこんだである。視力も回復して機関車の先頭部の文字も鮮明に見えた。あたかも新人ボクサーのグローブの皺が鮮明に見えつづけたように。衝突寸前に身をかわす自信がみなぎってきて、そのイメージに彼は魅せられた。能力のずばぬけた職業人の自信というか自惚れというか、獣じみた闘争心というのか、余人にはまったく想像できない独特の世界がここにはあって、感心させられ、あっけにとられる。
  「透明標本」は大学医学部に勤務し、死体の解体と人骨の標本作りが専門の男の話。実際の現場には近づきたいとはおもわないものの読み物として眼の前にあると好奇心をそそられる。倹四郎は何ゆえそういう職業に就くことになったのか、彼の父が彫金師であったことに由来している。父は関東大震災のさい、火事で焼失した人家跡から人の死体を盗み出して持ち帰り、大腿骨をつかって仕事をした。勿論犯罪だから警察に摘発され身柄を拘束されることになったが、そのときに父を手伝っていた倹四郎の眼には人骨の美しさがえもいわれぬものとして刻まれた。それまで普段接していた象牙には比べようのないほどだったので「新鮮」な死体を使っての全身の人体骨標本づくりが彼の生涯の切望となる。ただこれだけが彼の欲望の究極で、そのためには犠牲を厭わなかった。死体に接するから強烈な悪臭が体にしみこみ、容易にはとれない。また隠しおおせられることなく職業がばれることもあり10回も結婚しなければならなかったとある。「新鮮な死体」を思いどおりにすることとともに彼の職業的研究はその新鮮さをいかに再現し保持できるかということにも注がれ、薬品の選択やら調合やらを兎の頭蓋骨をつかって実験を繰り返した。しかも自宅でそれをする。ブリキで内壁を覆って外部に匂いが漏れないように施工して。
  仕事熱心というよりもそこにはふるえるような好奇心が潜んでおり自分でもどうにもならないくらいの倹四郎ののめりこみようで、読者は感心しあきれるばかりだ。60歳を超えてもその切願をいまだはたしえないまま諦められないし、「新鮮な死体」は学生用の実習教材やその他需要が多く、責任者の教授も倹四郎の切望にこたえてくれない。また人骨標本が彼のおもいどおりにつくられたとしても給料が上がるわけでもないのだ。だがとうとう彼の願いがかなう時が来る。詳述は避けるが、父のような犯罪に類するやり方ではなく、合法的だがなりふりかまわぬやり方で、非人情の誹りは免れないだろう。「好事家」とか筋がとおっているとか言ってしまうと褒めることになるのでしないが、職人的なこだわりは確かにある。また倹四郎がその実行に一抹の後ろめたさを抱くことがせめてもの救いとなる。
  二つの短編に共通するのは、自分やモノにたいする執着が異常なまでにふくれあがりながら、他人との関係には関心を示さなかったり希薄であったりする人物像である。

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