大洋ボート

松本清張「鬼畜」「カルデアネスの舟板」「1年半待て」

張込み (新潮文庫―傑作短篇集)張込み (新潮文庫―傑作短篇集)
(1965/12/17)
松本 清張

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  「鬼畜」は鬱陶しい短編。主要人物三人すべてが悪人だからろくなことにならない。竹中宗吉は腕のいい印刷職人。印刷技術についてはわたしはまったくわからないが、察するに古い時代においては手書きによる精密さが要求されたのではないか。「石版の製版技術」において彼の住む地方の業界では、宗吉はちょっとした有名人だった、とある。十代で住み込みからはじめてやがて自分の店をもつことになる。裸一貫からの叩き上げである。下請けから出発し、やがて発注先のメーカーから直に注文をとるまでになり、工場も少しずつ大きくして順調そのもの。貯金も増える。だが、それまで仕事一筋だった宗吉は遊びを覚える。すでにお梅という女と結婚していた身であったが、料理屋の女中の菊代という女を愛人にして、子供を三人もつくる。金は潤沢で、菊代に不自由はさせなかった。要求を入れて家ももたせた。宗吉とお梅との間には子はいない、またお梅は菊代の存在をまったく知らない、この間八年。だがやがて宗吉の商売は暗転する。新型の機械を近隣の印刷所が導入したことによって仕事をうばわれるのだ。菊代に渡す金も無くなり、しだいに足が遠のく宗吉。やがて菊代が子供三人をつれて宗吉の家に乗り込んでくる。
  お梅と菊代の二人の女は絵に描いたように冷酷そのもの。子供を押し付けあうのだ。引き受ける気は二人にはまったくなく、菊代は子供をおいたまま姿をくらます。お梅は宗吉に子供の「始末」を暗に強要する。宗吉には、お梅に愛人と子供のことを隠しつづけた ことと、商売がどん底に堕ちたことへの後ろめたさがある。自分自身のしたことが自分に跳ね返ってきたさいの責任感が少しはあって、正面切って二人に言い返すことができない。小心者の宗吉は子供への同情をつのらせながらもお梅の要求どおりのことをずるずると実行する……。
  子供は親の持ち物ではなく、独立した人格であるから自分勝手に「始末」することなど許されるはずもない。宗吉に欠けていたのはそうした公共心だ。そうは言っても、宗吉に一抹の同情が湧かないでもない。わたしたちは大部分の善人にかこまれてようやくのように安穏な生活ができるのかもしれないからだ。周囲が悪人ばかりだと、わたしたちの「個」もそれに多かれ少なかれ影響を受けずにはいられないのか。子供への虐待や育児放棄が新聞紙面を埋めることがあるが、またかと思って読み流すことがしばしばだが、本短編に接してやはり暗い気分になった。宗吉は頭を地面にこすりつけてでもお梅に育児への協力を乞うしかなかったのではないか。何年かすれば子供も自立する。
  「カルデアネスの舟板」は、身過ぎ世過ぎにたくみで高収入をものにする大学教授の話。玖村(くむら)武二は歴史科の教授で左翼的史観の持ち主。戦後の早い時期に教科書の執筆者となりその印税収入で裕福な暮らしぶりを満喫していた。しかしながら彼は戦中に皇国的歴史観の主張者で大政翼賛会にも属していた大鶴惠之輔教授の弟子格に当たる人で、当然戦中は大鶴と同様の歴史観であったものの、戦後に国家体制が激変して反国家的=左翼的歴史観が勢いを増すと、戦中の考えを引っ込めてにわかにそれに同調する主張をはじめた。変わり身が早いのだが、本人にとってはその変節ぶりが露骨にならないように気を使ったつもりだ。パージを受けて田舎の実家に逼塞する大鶴を講演会のついでに玖村が訪ねる場面がはじまりだ。玖村は大鶴から大学復帰への助力を依頼され、引き受ける。玖村としては表面上の義理をはたすだけのつもりだったが、その働きもあって大鶴は復帰をはたす。面白いことに大鶴もまた硬骨感ではなく、生活の豊かさに目のない輩で、にわかに戦中の歴史観をかなぐり捨てて左翼的歴史観にすりよってくる。その手法を玖村から手ほどきを受けようとする。一等地に立派な家を建て蔵書も豊富な玖村が羨ましくてしようがない。一方、玖村にとってはそういう大鶴がしだいに煙たい存在になってくる。
  歴史学にかぎらず思想というものが売り物になることの典型的な例がここにある。やがて文部省があまりに度が過ぎた左翼的史観によって書かれた教科書に業を煮やし、指導を強化して一部の教書書を不採用とし、執筆者の一部も排除される事態が発生する。すると用心深い玖村は、今度は逆に右の方向へ微修正をかさねるという策を弄するのだ、勿論目立たないようにするつもりで。大鶴もまた玖村にならって同じ策をとろうとする……。呆れた。教科書の著者になると売れることは決まっているから給料外の豊富な金をうることができ、また参考書でも売れれば同じだろう。わたしは、学者は節操を重んじてもらいたいと思う、必要以上の金銭ではなく名誉をえてもらいたい。しかし現在でも学者のこういった傾向ははびこっていると想像がつく。話としては面白いというべきか。やがて玖村と大鶴とのこうした関係が犯罪と結びつく事態となるが、ここはやや説得力が薄いように思えた。松本清張だから犯罪や事件にして小説を終わらせることが定式のようだが。
  「1年半待て」は松本の小説にしばしば登場する男殺しの女性が主人公。さと子は生命保険会社の優秀な外交員で収入も多いが、それに比べて夫の要吉は仕事をしたのは結婚当初だけで、あとはさと子に生活費をたよる怠惰に陥り、さらには酒に溺れ暴力をふるうというどうしようもない男になってしまう。詳細は書かないが、当時(1957年発表)は現代ほど離婚が容易ではなかった時代背景があると推測する。

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