大洋ボート

大江健三郎「人間の羊」「戦いの今日」

死者の奢り・飼育(新潮文庫)死者の奢り・飼育(新潮文庫)
(2014/03/14)
大江 健三郎

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  「人間の羊」は主人公がたまたま乗り合わせたバスのなかで、アメリカ兵の数人から暴行まがいの恥辱を受けるというのが前半部。一人のアメリカ兵の馴染みであるらしい日本人の売春婦がその兵にからまれてうんざりして、「僕」に助けをもとめて擦り寄ってくる。「僕」は女を拒まないまでも、相手にしたくない。ところがバスが急な動き方をしたために女は仰向けになって倒れる。それをみたアメリカ兵たちがそれを「僕」のせいだとして憤懣の矛先を彼に向けてくる。ズボンとパンツを脱がされて晒し者にされるのだ。さらに他の乗客の何人かも同じ目にあわされる。中央の通路に四つんばいにされて並ばされるようだ。だが主人公をはじめ傍観者でいられた人もふくめて乗客全員がおとなしく無抵抗で、ふざけて囃し立てるアメリカ兵の一団の乱暴狼藉になすすべもない。くだんの女もアメリカ兵の側にたって罵倒する……。
  現在においても在日米兵の日本国内での犯罪が露見することがあるが、昭和20,30年だいにおいてはもっと頻繁に起きていたのかもしれない。それでなくともアメリカ兵の日本民間人に対する横柄で高圧的な姿勢は日常的であったと想像せざるを得ない。目の当たりにしたのではないが。そしてまた日本人の抵抗もおそらくは貧弱であったのだろう。自国が敗戦国であり、アメリカが復興や防衛にも一役買ってくれているという劣等意識もはたらいたのだろうか。
  アメリカ兵の一団はやがてバスから去っていく。主人公は屈辱にまみれるが、忘れようとして帰宅の途につこうとする。だが、バスに同乗していてたまたま傍観者にとどめおかれた教員の男が主人公に執拗につきまとってきて、警察への通報をつよく勧めるのだ。ここからが後半部。教員は政治的関心の持ち主であるにとどまらず、特定組織の一員であることが想像される。彼は眼前に起った出来事を政治闘争の材料にしようとはじめからたくらんだのか。彼もまたアメリカ兵にたいしては無抵抗だったのだが、その後ろめたさは欠片もないのだ。屈辱はあってもむしろそれをバネにして政治的に利用しようとする。屈辱を忘れようとする主人公とは対蹠的で、なにかしら主人公にとっては異性人の類いに映る。それどころかその執拗さと見下す態度はアメリカ兵そのままではないか。教員は主人公を交番に強引に連れて行って訴えさせようとするが、ただズボンを脱がされた以上の「暴行」の事実は無いということで、巡査は相手にしない。教員のもくろみは空振りに終わるが、それでも教員は主人公の素性(名前と住所)を訊き出そうとして必死に食いついてくる。正義漢面するので手に負えないなんとも嫌味な男であるが、政治運動に携わる人にはこういう類いが多いのも現実だろう。相手が無抵抗で従順とみえると、政治運動者は笠にかかって攻撃的になるものだ。引っぱりあげることが「正しい」と思うからだ。一方、主人公はやはり一見おとなしく、大江の小説らしいが、素性を明かさないことを最後までつらぬく。バスでされたことは恥ずかしさ以上ではなく、公言するに値しないものという認識は終始落ち着いて在る。
  バスでの出来事は別にして、屈辱や失態をバネにして次なる行動につなげるか、それともそのままじっとして忘れるに任せるかは、勿論その人の選択にかかる。一人の人間のなかで、それは試される機会が何度も訪れるものだろう。この短編の教員(おそらくは政治運動家)は歪められて書かれているが。

  「戦いの今日」もアメリカ兵があつかわれている。大江にしてはめずらしく主人公の「かれ」(いつもの「僕」ではないところに注目)がアメリカ兵を暴行する場面がクライマックスとなる。
  主人公は弟とともにアメリカ軍基地の周辺を、アメリカ兵に脱走を世話するというパンフレットを内密に手渡すためにうろつく。朝鮮戦争の時代で、在日基地に待機するアメリカ兵が多かった。主人公は大学生で、大学の活動家からそのビラを渡されて頼まれたのだが、あとで判明するが、そのパンフレットは単なる宣伝目的で、組織が脱走の手はずをあらかじめ用意するものではないという。またビラを渡す現場をアメリカ憲兵に発見されようものなら、捕縛されるおそれもある。そんなわりのあわない行動で、思想的な共鳴はともかくも主人公は気乗りしないが、弟が熱心なためにつきあうように従事する。そこへアシュレイという米兵が、パンフレットを見た彼と仲の良い日本人の売春婦菊栄にともなわれてやってくる。どうするのか、脱走の準備を本格的に開始するのか、そこまで視野に入れられないままに二人は、彼らが借りている倉庫にアシュレイと菊栄を案内して住まわせる。弟がパンフレットを渡した「責任」を強く主張するからだ。嘘つき呼ばわりされたくないからだ。
  だが、四人ははじめは仲がよいが長続きしない。アシュレイが弟に暴力をふるったからだ。ジュディ・ガーランド主演の映画を見たいというアシュレイの願いをきいて、四人は周囲を警戒しながら出かけるが、ニュース映画には弱々しい日本人の姿が映し出されていた。どぶ川にはまって助けをもとめる一人の男を欄干から多くの日本人が眺めるが、だれひとり救おうとしない。(「人間の羊」をすぐに思い浮かべる)アシュレイはおそらく、敗戦国の覇気の無いみすぼらしい日本人像を受け取ったのだ。また脱走最中の自分の惨めさと不正義に目覚めたのだ。自分も戦争をおそれて逃亡する軟弱男だが、日本人ときたら自分と同じか以下ではないか、そんな日本人が頼りにできるのか、そこまでは明確には書かれてはいないが、わたしの敷衍である。そんなにわかな心情につきうごかされて、アシュレイはふざけあうさなかに弟に下水道に飛び込むことを命じ、弟はそのとおりに従う。賭けに負けたからだ。アシュレイはこのように二人の日本人が、どんな思いで彼を匿うのか、なにも理解できない不良である。ニュースをみてから彼はふたりを他の日本人と等しく「どぶ鼠」と呼ぶ。たぶん彼は日本人の無抵抗を予想し,嘲弄し、見くびった。だが主人公は帰宅してからアシュレイにこれでもかこれでもかというくらいに暴行をくわえる。
  石原慎太郎なら、このへんで痛快事として筆を終わらせるかもしれない。だが大江は暴力をふるわれることは無論、みずからふるうことにも何ともいえないやりきれなさを描くことを忘れない。心は晴れない。大江本人は元来は非暴力がふさわしく、やさしい人だが、作家としての宿命でどうしても暴力とかかずらうことから逃れられないのだ。
  アシュレイは軍が恋しくなって自首を決意したもののこれまた寸前になって逃亡するという軟弱な男であるが、菊栄は無論アシュレイに同情することにかわりなく、主人公を「人殺し」と呼び、三人が入った酒場の女にも唱和させる。アメリカ軍に経済的に依存する人々も多く居ることがわかる。主人公の暴力はやむにやまれぬ抵抗であり復讐であることは腑に落ちるが、また日本人を代表しての誇りの顕示でもあるが、同時にアメリカという国の巨大さも大江には切迫して意識されている。今よりもはるかにアメリカへの従属意識にさらされた時代だったのだろう。
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