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大江健三郎「飼育」

死者の奢り・飼育(新潮文庫)死者の奢り・飼育(新潮文庫)
(2014/03/14)
大江 健三郎

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  大江健三郎の想像力を拡張させ、延伸させる力は並ではない。初期短編の代表作といわれるこの「飼育」でそれがよくわかる。少なくとも「飼育」は行動の結果で生じた身辺的出来事を潤色して作られたものではなく、こういうことを書きたいという大江の意思的想像力を根幹にして書かれた、たぶん架空の話である。しかもそれが地に足の着いた少年時代の感覚の復活と併走して進行する。この感覚は作品全体を覆いつくしていて、ある種懐かしさを喚起させ、説得力がある。
  戦争の末期、四国の山村にアメリカ軍機が墜落し、黒人兵が捕虜となってその村にしばらくつながれる。主人公の「僕」は監視役として彼に直に接触することになるが、やがて仲良くなり猪の罠による捕縛も解いて自由にしてやる。村の人々も黒人兵との交流を楽しむ。だが非情な決定が村で下されて彼は殺害される。黒人兵に楯にされた少年の「僕」は自身も負傷しながらその一部始終を目撃する、というもの。戦争とへだてられて自由であった少年が、地元の村で否応無しに戦争の真っ只中に投げ込まれ、地獄につきおとされるのだ。少年の年齢は不明だが、裸足で歩くことを厭わないので「子供」とい呼ぶにふさわしいのであろう。
  「飼育」の初出は「文学界」昭和三十三年一月号である。戦後復興が成し遂げられた頃で、戦争の記憶の生々しさもうすれ行く時期だったのだろう。だからこそ、大江は少年がそれにいきなり巻き込まれるという、こういう話を書きたかった、作品上に戦争を復活させたかった。そういう読み方をわたしはした。架空の話であっても近い未来には戦争が口を開いて待機するのかもしれない、そういう警告である。またたんに政治的メッセージにとどまるのではなく、黒人兵との短い時間の楽園から滑り落ちてしまったという奈落感の表現でもある。黒人兵を鉈で殺すのは少年の父であり、少年の肉体を楯にして鉈から身を護ろうとするのは、あれほど仲の良かった黒人兵である。交戦中にある国家のせいで彼等は敵同士になる、そして少年はどちらからも護ってもらうことができない、どちらの味方にももはやなれないのだ。父はたぶん息子であるからこそ、あえて息子を傷つけても黒人兵を殺す役割を買って出たのだろう。戦争被害者は孤独だということだ。
  大江は戦後民主主義擁護の人である。アメリカの軍事的世界戦略とそれにともなう日米安保に反対し、憲法九条を堅持する立場である。大江の政治的発言は新聞記事でしか知らないが、作家デビューの頃から一貫しているのだろう。だがわたしから見れば、その政治的発言によってはふりおとしてしまう鉱石のような美質が彼の小説にはあり「飼育」はその好例だ。少年が日々地元の村で慣れ親しんだ風景やものが感覚を中心にしてたえず喚起される。少年は黒人兵の件を聞いてから好奇心と恐怖を刺激されて動くが、それ以前からことさら動きまわらなくても、彼の眼に映ったものが映像や匂いとして狭さとともに的確にとらえられる。少年とは「遠く」のことや未来を知らない存在であり、その分「近く」に執着するのではないか。光、霧、動物や虫、植物の姿やら匂いがふんだんに出てきて、少年が動くたびにその風景が変化し、少年の喜怒哀楽が限界まで揺すぶられる。またこれら少年にとって身近な物や匂いが喩としても使用される。

  僕も弟も、硬い表皮と厚い果肉にしっかり包みこまれた小さな種子、やわらかく水みずしく、外光にあたるだけでひりひり慄えながら剥かれてしまう甘皮のこびりついた青い種子なのだった。そして硬い表皮の外、屋根に上がると遠く狭く光って見える海のほとり、波立ち重なる山やまの向こうの都市には、長い間もちこたえられ伝
説のように壮大でぎこちなくなった戦争が澱んだ空気を吐きだしていたのだ。しかし戦争は、僕らにとって、村の若者たちの不在、時どき郵便配達夫が届けて来る戦死の通知ということにすぎなかった。戦争は硬い表皮と厚い果肉に浸透しなかった。最近になって村の上空を通過し始めた《敵》の飛行機も僕らには珍しい鳥の一種にすぎないのだった。(p96)


  読者は果物の何らかを思い浮かべる。それが映像となる。少年にとっては慣れ親しんだ物である。だが同時にそれは少年と弟の存在の喩でもあるという構造になっている。戦争と隔てられていることが言われるが、それは堅固ではなく隔離状態の脆さをも言うように読める。果実も種も脆い。アメリカ軍の飛行機を「珍しい鳥の一種」と記すのも戦争の「遠さ」によってのんびり気分を引き出し、文体の進行からしてきわめて自然だ。地元の村の映像や匂いはこのように作者の想像力の重要な要素として、ふんだんにかつ巧妙に駆使される。だがそれは安岡章太郎の「海辺の光景」にあったような出来事と匂いや映像が合体して読者に即物的に反応を迫る性質のものではなく、出来事と分けられながら併走するもののように読める。この短編で終始一貫して使用される表現上の濾過装置であり、即物的ではなくいくぶんかは抽象性を帯びたものといってよいのか。大江の思想的志向を補助し、豊穣さを保証しようとするものであることはいうまでもない。読物の目的としてはやはりそのなかの思想の実現としての出来事だ。そしてこれら喩をもふくめた村の映像や匂いの多用がうまく行くので、黒人兵の描写もすんなりとはまってしまう。大江が黒人と身近に接したことがあるのかどうかは知らないが、そんな風に読めてしまう。

  

黒人兵の形の良い頭部を覆っている縮れた短い髪は小さく固まって渦をつくり、それが狼のそれのように切りたった耳の上で煤色の炎をもえあがらせる。喉から胸へかけての皮膚は内側に黒ずんだ葡萄色の光を押しくるんでいて、彼の脂ぎって太い首が強靭な皺を作りながらねじれるごとに僕の心を捉えてしまうのだった。そして、むっと喉へこみあげてくる嘔気のように執拗に充満し、腐食性の毒のようにあらゆるものにしみとおってくる黒人兵の体臭、それは僕の頬を火照らせ、狂気のような感情をきらめかせる……(p120~121)



  黒人の外見なら映像でだれでもが見たことがあるが、体臭を近くで嗅いだことはそう誰にでもあるものではないだろう。大江も無いのかも知れないが、あたかもその異臭への嫌悪がまるで体験者のように書かれている。そしてそれが戦争を小さな山村に一気に現出させるかもしれない敵兵への子供らしい恐怖心、また未来へのはげしい好奇心への喩としても書かれている。
  黒人兵が村の大人や子供から警戒を解かれ、村を自由に歩き回ったり、子供たちと水浴びをする場面なども印象的だ。人同士の本来の接し方、生き方がたくまずして理想そのもののように、束の間ではあるが実現して光を放つ。少年もそのなかで多幸感を胸いっぱいに獲得する。
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