大洋ボート

ジョゼフ・コンラッド『ロード・ジム』(5)

  裁判が終わってからのジムはマーロウの尽力によって見つけ出され紹介された職場を転々とする。精米所であったり、船具店の「船長番」と呼ばれる職種であったりするが、どこにおいてもマーロウが見込んだとおりの働きぶりで雇用主を喜ばせるどころか、それ以上に彼等に青年のもつ輝きを思い出させて感動を与える。「彼にはまだ朝露がついている」とある人は言うくらいだ。だが同時にがっかりもさせる。元パトナ号船員で有罪判決を受けた男だという素性が知られると、たちまち姿をくらますのだ。パトナ号事件はイギリス本国は元より、ヨーロッパ、アジア太平洋地域の船員や港湾関係者にとってたいへん有名な事件となっていて、彼らの話題に上らないことはなかった。彼等はマーロウをはじめとする人々と同じく、ジムを非難するよりも同情的であったと思われるが、ジムにとってはそれを知られることが耐えがたかった。ジムにとっては鋭意努力してせっかく築き上げた輝かしい信頼関係が、ガラス細工のようにもろくも壊れてしまう、一点の曇りが生じてしまう、そのことが耐えられなかった。周囲の人々の誰よりもジムが事件をいちばん気に病んでいた。 
  マーロウはこれにはがっかりさせられるようだ。なるほど、ジムは勤勉で知恵もはたらき勇敢で、しかも礼儀正しいという側面では、マーロウの第一印象そのままで雇用主をも満足させたのだが、あまりにも「繊細」なのだ。人生において恥を考えることは重要にはちがいないが、考えて気にして立ち止まってしまうと前に進めなくなる。恥を帳消しにするために大急ぎでできることなんて無い。良い意味でのいいかげんさが必要で、恥を心のなかで転がして長くつきあっていく。そこそこは粗野で鈍感なほうがいい。もっと粗野ならばジムを悩ませるような問題にはならない、笑い飛ばせるくらいになる。ましてや、自分の経歴が人々の記憶から跡形なく消失してしまうようなまっさらな人生などこの世には存在しない。完全無欠の信頼関係をジムは築きたいのかもしれないが、早急にそれを実現しなければ耐えられないというのは贅沢でもある。その追求力がジムにおいて並外れていたとしても。
  マーロウはジムを援助することに懐疑的になる。マーロウがジムを買うのはその行動力とともに独特の純粋さである。だがどれほどの年月においてこの純粋さが保たれるのか。マーロウは船長の経歴が長いからさまざまな若者を見てきた。彼等が年月を隔てた後マーロウの前に現れたとき、マーロウはその変貌ぶりにひそかに落胆させられたこともあったようだ。その詳細は書かれないが、私にはこれは生活の窮状が深くからんでいるように思える。いくら主観的に純粋であっても、生活を維持するためにたとえば寝る間も削って長時間労働を長期間余儀なくされるのならば、しだいに純粋さは抜け落ちるのではないか。マーロウはジムにたいする評価はともかくも、ジムにおける純粋さを長く保たせたい、保ってもらいたい、という願いがあって援助するのだと私は見た。純粋さ、鋭敏さ、そして熟慮、そうしたものを維持しつづけるためには何よりも生活の安定が基盤になければならない。マーロウが知り合って気にいった若者にたいするいわば親心であり、この小説の好きな部分だ。
  せっかく紹介した職場をジムは逃げ出すのだから、マーロウにとっては不快にちがいない。それどころか、援助をよけいなお節介ではないかと迷いもするのだ。独立心の強い青年だから、思いのままにさせてやればよいのではないかと。さらにたとえば危険な場所に出かけていって結果遭難死するのも、それはそれでジムの選択だからいいのではないかとさえ見なす。援助が援助としてではなく、かえってジムの人生を歪めているのではないかと、なかば投げやりになる。現にマーロウは、チェスターという山師から糞化石(グアノ)の採掘のために人を募集している最中であることを聞かされるのだが。そこは接岸が困難で滅多に雨が降らない、したがって水の確保が覚束ない文字どおりの南海の孤島だ……。結局マーロウは、迷いながらも「友人」ジムへの援助を続行する。乗りかかった船ということか。中断を決意させるほどの失望ではなく、まだまだジムを見込むのか、ジムという特異な青年の一部始終を見届けたいのか、それがマーロウなりの冒険心につながるのか、それとも彼等が深い絆でつながれていることをマーロウは自覚するのか、読んでいて、これという理由が私には見つけられないが、マーロウ自身でも判然としないのかもしれない。親心や友情と呼ぶべきつながりは底に流れているにはちがいないが。
  ジムの希望どおりの住むべき場所があるならば、パトナ事件がまったく知られていない地の果てしかない。そこでマーロウはアジア太平洋地域で広く交易を営む会社のオーナーであるスタインにジムについて相談を持ちかける。スタインはジムに非常な関心を寄せまた好意をもって居住地を提供してくれる。スマトラ島のパトゥザンという町で、河を遡った奥地にある。「スタイン協会」の現地所長コーネリアスという男がそこに居座っているが、横領などの噂のある人物でゆくゆくはジムと差し替えたいとのスタインの腹積もりである。ジムはマーロウにそれを聞かされると欣喜雀躍し、単身でパトゥザンに乗り込んでいく。スタインの友人で地元現地人の有力者ドラミンという人物を頼りにして。スタインの紹介だからというだけではなく、ジムはここでも好印象をふりまいてドラミンの勢力に歓待される。
  当時のパトゥザンにはかつて居住していた白人の勢力は引き払っていた。また政治的に不安定で、二、三の勢力が割拠した状態で経済活動のもつれから殺し合いさえ頻発していた。そこでジムは元船員の知識もあって軍事顧問となって大手柄を挙げる。シェリーフ・アリというゲリラ勢力の根拠地の山に大砲をぶちこんで追放するのだ。この方法が現地人には思いつかないアイデアで、谷をはさんだ山にケーブルを設置して多数の人力で大砲を引き上げるという作戦を実行する。発砲とともに襲撃をかけ、ゲリラの基地はあっという間に壊滅し、シェリーフ・アリの勢力は逃亡する。以後、白人崇拝主義も根底にあることもあってジムは「トゥアン(閣下=英語では「ロード」)・ジム」と人々に呼ばれて尊敬と崇拝を一身に集めることになる。ドラミンを中心とした勢力によってパトゥザンは平和と秩序が回復される。前後してジムは間一髪でシェリーフ・アリの勢力の襲撃から逃れるが、ジュエルという若い女性が身を挺して彼を守ってくれる。
  パトゥザンでのジムの行動は、マーロウが見込んだとおり大胆不敵で、命知らずであることと幸運にも恵まれたことで、成功を勝ち取ったと理解すればよい。だがマーロウにとってはジムはこのままでは終わらない、平穏無事に済めばよいとは願うもののそうはいかないだろうとの予感がある。パトゥザン周辺の自然や人々のちっぽけな営みの描写に厚みがあって、マーロウの心理が二重写しされるが、少し退屈か。現代風のいわゆる海洋冒険小説ならば、船の難破なり戦争なりの細部をもっと拡大して、映像を読者にわかりやすく提示するのだろうが、私の読解力を棚にあげるとそれも全般的に不足するきらいがある。それよりもパトゥザンの章でもっとも心惹かれるのはジュエルである。ジムとはちがった意味で純粋さを奇跡のように保って、<ああ、こんな女性がこの世には居るにちがいない>と読者にさわやかな感動を与えてくれる。その思いは語り手マーロウのとってもまったく同じだ。作者がジムとジュエルを客観描写の形式で叙述するのではなく、マーロウの熱い思いがフィルターとなってジュエルを手放しで賞賛する。その肩越しにジムの姿もくっきりと映る。マーロウ描くところのジュエルの第一印象は、マーロウのジムにたいするそれとかさなるのだが、のちにマーロウにとってジムは理解と承服の不可能な核をさらけ出し、マーロウにおおいに困惑をもたらすのだが、ジュエルにたいする賞賛はその後も一貫する。哀れみと同情が増すことはあっても、理解しがたい核をジュエルに発見することはなく、どこまでも透明だ。
  ジュエルはアジア人女性と白人との間に生まれた混血らしく、実母はのちにコーネリアスと再婚する。つまりコーネリアスはジュエルの義理の父であるが、その関係を盾にとってジュエルを傍に居させ虐待に近い扱いをしていた。それをあっさりとジムは救い出し、ジュエルもまた前述したようにジムに協力を惜しまなかった。二人は当然のように結婚する。
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