大洋ボート

『万葉集』巻八・1454,1455,1466,1479

波の上ゆ見ゆる小島の雲隠(がく)りあないきづかし相別れなば(1454)
たまきわる命に向かひ恋ひむゆは君がみ船の梶柄(かぢから)にもが(1455)


  作者は笠金村(かさのかなむら)で、遣唐使に任じられた多治比広成(たぢひのひろなり)という人との別れを惜しんだ歌。笠金村は有名歌人で多治比広成は高級役人である。二人の関係の詳細はわからないが、歌を見るかぎりでは、笠金村は多治比広成にひとかたならぬ友情を寄せていたようだ。(身分がいちじるしく異なれば「友情」という言葉は不適切になるが)長歌にたいする反歌二首。ときに天平五年(733)四月、多治比は難波潟(大阪)を船出し、笠が見送った。大勢の人が見送りに集まったのであろう。長歌の大意は「忘れたこともなく私が命がけで思ってきたあなたが、天皇の命令によって難波から大船に乗って舵をいっぱいとおして、白波の立つ荒海を島伝いに遠ざかる。とどまる私は幣を手向けて神に祈り斎戒(物忌み)をしてあなたの無事を願いながら、あなたを見送ろう。はやくお帰りなさい」という。
  1454番では、多治比の乗った舟乃至は多治比その人を雲に隠れて見えなくなる小島に喩えている。そしてそう歌った第三句までが「あないきづかし」の序詞の役をも担うという。「あないきづかし」はため息が出るほどせつないの意で、この歌の中心の言葉。感情の揺れのなかに一気に落ち込むようだ。また港から見送る立ち居地を、反歌では遠ざかる小島を未練たっぷりに眺めつづける船上へと転換させた。この転換もあざやかで新鮮だ。
  1455番は女性的な外観の歌。あなたを命がけで恋するよりは舟の梶の柄になっていつまでも傍にいたい、という。「恋ひむゆは」のユは「~より」の意。「にもが」は「~でありたい」。この歌をとりあげたのは「恋ひむ」(恋ふ)という言葉が男性同士の間で使われていることに気を留めたからだ。迂闊なのか、私は「恋」という言葉にたいして男女間の性的願望や連想をともなう関係としてのみイメージすることが多い。無論「片思い」も含めてだ。しかし友情の深まりからせつなさに達することにも「恋」という言葉が、少なくとも上代においては大いに使われることを、この歌から知らされた。私自身が今後「恋」をそういう対象にまで広げて使用することは無いとは思うが。上代においては「恋」は性的願望の強さや可能性をともなっても使われるが、必ずしもそればかりでもない。性的関係が実現不可能であっても、また禁忌が意識されたとしても、ずっと離れずにいつも傍にいたいという感情の高まりによっても使われる。同性間でも異性間でもだ。

神奈備の磐瀬(いわせ)の杜のほととぎす毛無(けなし)の岡にいつか来鳴かむ(1466)


  作者は志貴皇子。作られた歌は数少ないが、繊細で少し感傷的で悲しみが滲み出してくるところに志貴皇子の歌の独特の味わいがあると思う。例示すれば「葦辺行く鴨の羽がひに霜降りて寒き夕へは大和し思ほゆ」(巻一・64)「石走(いはばし)る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」(巻八・1418)。後者も歓びの表現で、悲しみはないが繊細だ。そういう作者だと意識するとこの歌もまた繊細で、悲しみさえ伝わってきそうだ。「神奈備」「磐瀬」「毛無」と短歌にはめずらしく地名が三つもちりばめられている。(いずれも大和地方近辺ということ以上には所在が確定できないという)そして季節も十分に到来して、やってきてうるさく鳴いてもよさそうなほととぎすがまだ来ないという。ただそれだけの意味内容の歌だ。作者は「毛無」のごく近くに住んでいて、そこで鳥が鳴いたならわかる。また「神奈備の磐瀬の杜」も訪れたことがたぶんあって、そこで季節になるとほととぎすが渡来してきて盛んに鳴くことも承知している。
  悲しみが仄見えるのは、ほととぎすが地元の地へまだ来ないという志貴皇子にとっての自然の小さな異変が、それ以上のものとして意識されているように映るところにある。社会的な中心部から自分だけが除け者にされたような、それを覆すことができずに耐え忍ぶしかないような寂しさを読者に触れさせるのではないか。多くの人が指摘するように志貴は天智天皇の皇子であって、壬申の乱を経過した後には代々の天皇は天武系が独占し、志貴皇子にとっては不遇の時代だったと言え、この歌にもそれが反映しているとみることもあながち否定はできない。

隠(こも)りのみ居(を)ればいぶせみ慰むと出で立ち聞けば来鳴くひぐらし(1479)


  大伴家持の作。家にばかりいても心が晴れ晴れしないので気分転換のために外出をすると、蝉が来て鳴くのを聞いた、の意。それほどいい歌ではないだろう。最近は酷暑がつづくので涼を呼ぶような歌はないかと思ったが、これまでみてきた万葉集のなかにはそれにふさわしい歌は見当たらない。「納涼」はこの時代には歌作りの材にならなかったのか。
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