大洋ボート

『万葉集』巻八・1418、1419、1424,1427

石走(いはばし)る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも(1418)


  『万葉集』のなかでも特に有名な歌で、作者は志貴皇子。しかし私は長い間誤解していた。「上」は「ほとり」の意で、滝の頂点を指すのではないという。滝の水が落下したあたりの川原に春になって蕨が萌え出したという風景だ。「さ」は美称の接頭語。春という季節が人にもたらす清新の気が素直に心に伝わるいい歌で、言葉が初句から結句まで淀みなく一気に流れて覚えやすい。春を直接に表すのは無論蕨であるが、それだけではなく春の清新さが滝(垂水)の水にも反映して、結果表現されていて、小さな眺めの全体として春の季節が歌われている。新しく良いことがこれから始まりそうだという予感まで遠望させる。清新の気分とはそういうものではないか。なお、斎藤茂吉はこの滝は小さな滝であろうと推測するが、そのほうが据わりがよくて同感せざるをえない。

神奈備(かむなび)の磐瀬(いはせ)の杜(もり)の呼子鳥(よぶこどり)いたくな鳴きそ我(あ)が恋増さる(1419)

  作者は鏡王女(かがみのおほきみ)で、この人は系統不明となっている。額田王の姉とも舒明天皇の皇女ともいわれる。「神奈備」も「磐瀬」も所在地を断定することはできないという。都のあった現在の奈良県か隣接する大阪府のあたりと思われる。「呼子鳥」もかっこうとも推測されるも他の鳥の可能性もあって、断定できないという。耳にうるさいほどに鳴く鳥であることだけは確かだ。短歌にとどまらず詩全般には風景のなかのモノや動植物に作者や他者を置き換えて表現することはごく一般的で、ここでも鏡王女はみずからの恋心を鳥の鳴き声に置き換えている。しかし作歌するにあたってにわかにそれを思いついたのではないと推察したい。作者は呼子鳥の鳴く季節の日々を同じ場所で暮らしてその声を聞いていて親しんでおり、普段から抱いていたであろうみずからの恋心とごく自然に重ねた。そう思うとまったく無理なく読める。「そんなに鳴くな、私の恋心が一方的につのるではないか」という。恋心はどろどろしたものかもしれないが、鳥の声に置き換えられると騒々しくても何かしら単純化され、すっきりとした印象をもたらしてくれる気がする。

春の野にすみれ摘みにと来(こ)し我そ野をなつかしみ一夜寝にける(1424)


  山部赤人の歌。すみれの花は当時食用に供されていたらしく、赤人もそのために野原に収穫に来た。しかしすみれが野原一面に咲いて埋め尽くす風景がなんともうつくしかったので、予定を変えて野宿してしまったという意。感動を素直に歌うばかりでなく、さらにそれを「一夜寝にける」という行動に移して駄目押しをするところが赤人らしいといえるか。風景に即応的に感動し、それを素直に歌にするのが赤人の特徴だが、歌作りが同時的であったかどうかはわからない。自分の歌のスタイルや傾向を赤人という人はよく自覚して、それに沿って歌作りをしたと思う。

明日よりは春菜摘むと漂(し)めし野に昨日も今日(けふ)も雪は降りつつ(1427)

  同じく山部赤人作。この時代に土地の所有権がどの程度確定されていたのか私にはわからないが、赤人は菜を摘むためにある野原に目印をつけておいた。それで採集の権利をえることができたのだろうか。
「漂む」(シム)は「自分の所有であることを示すために目印をすること」とテキストにある。動詞で、シメシだから昨日のことでそのときも雪が降っていた、今日も同じで、残念がる作者赤人である。それほど印象にのこらない歌とおもうが「雪は降りつつ」について書きたくなった。雪は北国の人にとってはそれほど歓迎すべきものではないのかもしれないが、南国の人にとってはめずらしくうつくしいといえるのかもしれない。またそれがこの歌のように春菜を摘むことを不可能にした原因で作者を不快がらせたとしても、読者にとっては「雪は降りつつ」は言葉として格別に不快ではない。後にこの言葉が頻繁に短歌に使われることになったことを思うと、歌の内部と歌以外の外部とにある言葉の受け取り方のちがいに思い至らざるをえない。歌(詩)の外部では言葉はモノや事象や人に直結し、それらが人に与える影響や損得までも喚起するが、歌の内部ではなにかしらそういうことがややぼんやりしてくる。そのうえで、映像は勿論のこと、気分までも呼び起こすのだ。歌のなかの言葉としての美の固有の世界と、歌の外部の言葉が持つ騒々しくもせわしない世界は明らかにちがいがある。もっとも「雪はふりつつ」という言葉の歌のなかでの「定番」もまったく雪の人にたいする害を排除するのではなく、その意が少しぼんやりするということだ。
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