大洋ボート

『万葉集』巻六・964、1029、1032,1036

我が背子に恋ふれば苦し暇(いとま)あらば拾(ひり)ひて行かむ恋忘れ貝(964)


  作者は大伴坂上女郎。太宰帥であった大伴旅人が大納言に任じられて上京することになった。ときに天平二年(730)。それまで妻を亡くした旅人の身の回りの世話をするために坂上女郎も大宰府にあったが、旅人の上京にともなって同じく坂上女郎も帰京した。旅人よりも一足早く。
  「恋忘れ貝」は特定の貝をさすのではなく、二枚貝の片方、もしくは一枚貝のあわびをさすこともあるそうだ。同じくテキスト注解によれば「我が背子」は特定の男性をさしたのではなく、忘れ貝の名にひかれて興味本位に詠んだと考えられている。そうだろうか、このとき坂上女郎は「海路」(うみつじ)つまり船旅にあって浜の貝をみて詠んだと題にあるから貝を題材にした背景はうなずける。しかし直前の963番の長歌では「名のみを 名児(なご)山と負(お)ひて 我が恋の 千重の一重も 慰めなくに」とある。筑前の名児山というところを超えたときに詠んだもので「なぐ」(心がおだやかになる)と類似の音を持つ山であっても、その名のとおりに私の恋心はちっとも穏やかにはなってくれないと嘆いたのである。つまりはこの時期、坂上女郎は恋心を抱いてもてあましていたのではないだろうか。それでは誰に? 大伴旅人その人にではないか。あるいは大宰府において知り合った異性である可能性もある。またそのころはすでに他界していた夫の大伴宿奈麻呂を偲んだのかもしれない。(宿奈麻呂は旅人の弟)いずれにしても恋心に心身を消耗させた坂上女郎のつらさが歌われているとみる。坂上女郎と旅人・宿奈麻呂とは異母兄妹であったが、この時代においては血の濃い者同士の結婚は頻繁に行われたようで、坂上女郎が旅人に恋したとしても不自然ではない。
  女性においては男性よりも恋愛の心身に占める比重がより大きいのではないかと、生意気を承知で推測する。恋愛の予感、恋愛の只中にある時期、またそこから後退する時期において恋愛は男性よりも女性においてより大きく作用し女性を翻弄するもののようだ。「君待つと我(あ)が恋ひ居れば我(わ)がやどの簾動かし秋の風吹く」(488)前にも引用した額田王の歌であるが、進行中の恋に没頭していた自身に簾に風が吹いて気づかされる、自分でも驚くほどの没頭ぶりであることを自己認識させられるのだ。知らぬ間に恋愛というそれまでは未知の時間帯に入りこんでいる様子がわかろうというものだ。実らぬ恋から撤退するときは男女ともに時間がかかるのだろうが、男性は感傷的で弱気でうじうじするものだが、女性においては例えば児島や笠女郎の一連の歌を思い出すと、戦闘的であることもあるだろう。坂上女郎の生没年は不明だが、旅人の没年は天平三年(731)で67歳であり、仮に10歳年下であったとしても天平二年では坂上女郎は56歳である。高齢だが、その歳になっても女性の恋愛感情は持続することの証左として964を読んだ。 

河口の野辺(へ)に廬(いほ)りて夜の経(ふ)れば妹が手本(たもと)し思ほゆるかも(1029)
大君の行幸(みゆき)のまにま我妹子(わぎもこ)が手枕(たまくら)まかず月そ経(へ)にける(1032)
関なくは帰りにだにもうち行きて妹が手枕まきて寝ましを(1036)

  三首とも大伴家持の歌。1029は天平十二年(740)のもので、このとき家持は朝廷において内舎人(うちとねり)という地位にあった。なんでも天皇の護衛や宿営にあたる任だそうで、将来の高級官僚となるべき貴族の子弟が経るコースだったそうな。その年に藤原広嗣という人が謀反を起こしてときの聖武天皇は平定のために伊勢に赴き、家持も同行した。河口という地で野営して妻を思い出している家持である。戦を前にして部下を叱咤激励する役目でもあったかもしれない。また自身のますらおぶりをあらためて自覚しなければならない時節であっただろうが、家持はそんなことはおかまいなしだ。すくなくとも作歌のうえではそう見える。家持の生年は718年といわれるからこの年で22歳になる。妹とは坂上女郎の長女大嬢であろうか。すでにそのころ新婚であったのか。帰るべき場所をえた若い男性の幸福感が率直に歌われていて、私は好感がもてる。国家の一大事である戦よりもおのれの身の幸福に思いがどうしても吸い寄せられる、それをいつわらず遠慮なく歌にするところがいい。1036も同じ時期の歌で、不破という場所で仮宮をした。関がなければ家に帰って妻の手枕でくつろぎたいという。
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