大洋ボート

『万葉集』巻五・801、802、803

  山上憶良の歌は四巻までにも掲載されているが、心惹かれるものはみあたらなかった。だが、第五巻にきてその充実した歌いぶりに俄然眼を瞠らされる。神亀(じんき)5年(728)憶良は筑前守(つくしのみちのくにのかみ)として大宰府に赴任した。ときに69歳という年齢であるが、当時の平均寿命からするとかなりそれを上回っていたであろう。 
  憶良のこれらの歌から感得されるものとは、それまでの長い人生経験でえた厳しさや諦めや、さらにそれに反して同時に流れる温かみであり、踏み固めてようやく成り立ったような確信である。また悲しみであり困難さである。私がいまだふらふらしているので、少したじろがせるものがある。だが自省するばかりではなく、反撥してみたい気にも駆られる。

ひさかたの天路(あまぢ)は遠しなほなほに家に帰りて業(なり)をしまさに(801)


  長歌にたいする反歌であり、反歌の前には漢文調の序詞がある。妻子持ちのおそらく若い人が仏教に目覚めて、父母も妻子も捨ててその道を極めようとして家出をした、またはその意図をもって今にも実行に移そうとしている。その青年を諌めたのが歌の内容である。「倍俗先生」と自称する青年にたいして、あなたには聖人の証拠などない。めったに聖人にはなれるものではない。この世には父母や妻子を大切にしなければならない義務がある。まして「大君」(天皇)がおさめられる優れた地だ。天に行ったならともかくも勝手なふるまいをすべきではない。序と長歌とをまぜこぜにしてまとめると、こういう意だ。反歌の「天路は遠し」は成人になったり「悟り」をうることは困難だという意。「なほなほに」は素直に、おとなしく。「業をしまさに」は家業をしなさい、だそうだ。三世代同居かどうかはわからないが、青年は一家の大黒柱であるのかもしれず、その人がいなくなれば家族は困窮に陥ることが眼に見えている。「筑前守」という公的立場にある憶良でなくとも、青年の近くにいる人ならば同じ忠告をせずにはいられないであろう。すると単に当然な説教なのか。それがあるのは認められるが「天路は遠し」には憶良の体験が反映しているとみる。山上憶良や大伴旅人などの当時の知識人はきそって仏教や漢籍の勉強に打ち込んだと思われる。そこに人間解放の夢を見出したかったのか。だがそれがついに果たされずにずりおちてかえって実人生が眼前に見えてきたのだろう。家族を思いやれという説教だけでは「天路は遠し」は入らない。
  青年とは厄介なものである。流行の文化を齧りたがる。自分を実験台にのせたがるものだ。私も若いときそうだった。文化もまた中心的な知識人に刺激を与えるが、同時にその周辺には模倣者や追随者を生み出して隆盛する。家出をそそのかすほどの魅力を撒き散らすものだ。
  
「子等を思ふ歌一首併(あわ=テヘンは無し)せて序」の長歌。

瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲(しぬ)はゆ いづくより 来たりしものそ まなかひに もとなかかりて 安眠(やすい) しなさぬ(802)

  憶良は一人で食事をとったのだろうか。子供(複数を意味するだそうだ)のことがしきりに思い出される。床に入ってもまだその思いはつづいて容易に眠ることができない。「いづくより」はどんな宿縁で、の意。「まなかひに もとなかかりて」はテキスト訳ではむやみにちらついて、となる。老境とはこういうものだろうか。子供が可愛くていとしくてしようがない。序にはお釈迦様でさえ自分の子を生涯愛することをやめられなかった、意志としてではなく自然にそうだったとある。憶良もまたそういう境地に達した、ということは以前にもまして子供がいとしくなったのだろう。憶良の眼から涙がにじみあふれる光景が浮かんできそうだが、一過性ではなく、長い太い思いなのだろう。そして「いづくより」という言葉には、子供が思われて仕方ないにわかな心を不思議に思い、神聖視している、天や神にありがたく感謝していると読み取るべきではないか。憶良が意図したところとはちがった局面で、宗教的法悦をえたことになるのか。私は憶良の情況そっくりに移行することはできないが、理解の端緒には立っているつもりだ。つぎにくる反歌はダメ押し。

銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむに優(まさ)れる宝子にしかめやも(803)


  金銀や宝石がどうしてすぐれた宝といえようか、子には及ばないではないか。「銀も金も玉も」の主語に対して述語が二つになっているそうだ。
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