大洋ボート

愛、アムール

  人は自分自身のことがわかるのか、理性で律することのできる部分が人にはある。しかし、こらえにこらえていたものがどうしようもなくなって堰を切ってしまうこともある。短い時間のうちにそうなることを人は予測できるのか、それを見越してこらえるのか、そのこともまた広い意味での理性にふくまれるのか、さらにそこから遠ざかった地点で、他人はそういう人のふるまいや内面の変化を理解することができるものなのか。この映画の無気味さはそういう人間存在について鋭い問題提起を投げかけてくるところにある。答えは無論映画のなかからはえられない。私はこの映画を書いたような意味で「他人」として見ざるをえなかった。私の老いた母も現在寝たきりであり、映画のエマニュエル・リヴァと同じで境遇としては私と共通の部分はあるが、夫のジャン=ルイ・トランティニャンのとった行動はわからなかった。言い換えれば肯定も否定もできなかった。ただ悲痛で哀れであることを重たく受け取ったことは確かである。私の深刻さの自覚が薄いのかもしれないが、それだけが「わからない」ことの原因ではないと記さねばならない。納得はできたが理解できなかったといえばおかしいか。ミヒャエル・ハネケ監督は、人は時として正体不明のものに支配される存在だと訴えたいのではないか。
  この映画の結末は冒頭部分でわかってしまう。通報を受けたらしい警官隊がマンションの一室に駆けつけ、頑丈に施錠されガムテープで目張りまでされた部屋に突入する。すると老婦人エマニュエル・リヴァがベッドに横たわってすでに息絶えている。顔の周りには小さな白い花びらが飾られてある。リヴァと親しい者が花を置いたにちがいない……。この結末にたどりつくまでが映画の大部分であり、夫のジャン=ルイ・トランティニャンと妻のエマニュエル・リヴァが仲睦ましくつつましく暮らす様子から再スタートする構成になっている。
  二人はともにピアノ演奏家かその教師であったようだが、現在は引退して老後の生活に入っている。しかしリヴァが病に倒れる。省略するが、時とともに下肢不随になりさらには話せなくなり認知症も進行するという経過をたどる。この間トランティニャンはたえず付き添ってできるかぎりのことをする。入院させたり訪問介護の女性を雇ったりと。娘や教え子のピアニストが訪問して気遣いを見せるがトランティニャンは落ち着いた様子で応対する。老夫妻の一方が倒れればもう一方がそのように対応するであろうと思われる仕方であり、生活ぶりだ。だがトランティニャンのなかで何かが進行している。リヴァに快癒の見込みがないことへの絶望だとしたら、それへの自分の接し方を想定するのだろうか。トランティニャンは無表情だ。平凡で退屈ともいえる。老人だからそうなのかわからないが、映画を見終わってから彼を思い出すと言いようのない無気味さとなって返ってくる。絶えずカメラにさらされアップされるトランティニャン、この映像がこの映画の中心である。
  リヴァは入院を嫌がる。退院したあと絶対に再入院させないでくれとトランティニャンに強引に約束させる。これはわかる。人はプライベートな空間を欲するのだ。自分本来の住処にもどることが健常への復帰の第一歩であろうことをかたくなに信じるようだ。また幼児扱いされて、いくら介護といえども身体を他人にむやみに触れられることも嫌がるようだ。私の母もそういう傾向があって腑に落ちた。そういうリヴァの姿勢を見せられると希望がかすかにではあるが不可思議に湧いてくる。健常にもどるということでは必ずしもなくて、なにかしら抽象的な希望とでもいうべきものだ。これは前半に過ぎず、はかない時間であるのだが……。トランティニャンはやがて会話不能となったリヴァを前にして、子供時代のキャンプ生活でのつらい体験を語る。うろ覚えだが、嫌いな食べ物を出されて食べ終えるのに3時間もかかった、一刻も早く脱出したかったという。つまりは強い脱出願望であり、現在の妻の症状と自分の生活に当然かさねるのだろう。妻の死にはまだ時間的な余裕がいくぶんかはあると思えるにもかかわらず。 
  結末には夫のジャン=ルイ・トランティニャンが深くかかわっている。その行為が正しいかまちがっているのか、問題提起としてそれはふくまれるのは勿論だが、ミヒャエル・ハネケはそれを観客に突きつけたいのではない。安楽死や終末医療の問題でもない。人(ジャン=ルイ・トランティニャン)が孤独のなかで決断することの危うさと弱さ、もしかすると意識しないままで、巨大で不気味な何者かに圧倒され翻弄されるしかないさまを描きたかったのではないか。
   ★★★★

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クリスチャン・フリーデル、レオニー・ベネシュ 他

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