大洋ボート

『万葉集』巻四・603,604,608,611,612

思ひにし死にするものにあらませば千度(ちたび)そ我は死にかへらまし(603)


  「思ひ」を深くつきつめて悩みの淵に落ちることで死ぬものであったならば、わたしは千回も死んだにちがいない、という。「思ひ」は無論、笠女郎が大伴家持を報われないと観念した上で一方的に恋すること。それだけの「思ひ」の強さの表現であるが、家持にすれば途方もない脅しに映る。「死んでやる」と言われるのに等しいのではないか。家持は笠女郎と逢って、なだめすかし説得すべきなのだろうか。理想はそうかもしれないが、たいへん重く鬱陶しい作業になることは目に見えていて、逃げたくなる気にもなるだろう。

剣大刀(たち)身に取り副ふと夢(いめ)に見つ何の兆(さが)そも君に逢はむため(604)


  「剣大刀」はテキストによれば、この歌にある「身に取り副ふ」というような語句にかかる枕詞として使われることが通例だそうだが、ここでは「剣大刀」そのものが夢にあらわれたことを意味するという。笠女郎はそれは何の前兆か、あなた(家持)に逢いたいためかと自問自答する。刃物は笠女郎が自分を傷つけるためか、あるいは家持にその切っ先を向かわせるためか、両方かねて心中をぼんやりと笠女郎に教唆するのか、夢は普段の思いの積み重ねを土台として、そこから醒めているときには思いもよらない方向に仮定や空想のイメージを飛躍させることがある。醒めてからも本人を陶然とさせるものだ。「刃物を身に添える夢を見たのはあなたに逢いたいためだろうか」笠女郎は「剣大刀」の何たるかをそれ以上には明確にしないが、十分に露骨で脅迫的ではないだろうか。私も刃物にまつわる夢を見たことがあるが、後味のいいものではない。

相思はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後(しりへ)に額(ぬか)つくごとし(608)


  「餓鬼」は仏教用語で、生前貪欲だった人が、死後の世界でその報いを受けてたえず飢餓に苦しめられ安寧をえられない存在に落ちること、その人々を指すという。奈良時代においてはすでにその像が大きな寺に置かれていたそうだから、笠女郎も家持も知っていただろう。たぶん醜く薄気味悪い像で、人々を気味悪がらせたであろう。家持を餓鬼像にたとえ、しかも後ろから「額つく」(額を地面にこすりつけて拝む)、つまりは正対できないという屈辱を刻む。家持と自身にたいする痛烈な罵倒であり、侮蔑である。家持にどう思われてもいいという破れかぶれでもあるか。笠女郎の「二十四首」をここまでとりあげたが、私が男性だからという理由だけでもないだろうが、疲れる。対して家持の返歌はわずかに二首。

今更に妹に逢はめやと思へかもここだく我(あ)が胸いぶせくあるらむ(611)


  あなたに今さら逢えないだろうと思うとわたしの胸はたいへん鬱陶しい、晴れ晴れすることがない、という意。逢えないことを残念がっていると受け取れるが、笠女郎に遠慮しているのだろう。ほんとうは「あなたに逢わずに済んでほっとしている。それでも私の胸はしばらくは晴れ晴れしないだろう」と読むべきだ。「ここだく」はひどく、「いぶせく」は鬱陶しくの意。

なかなかに黙(もだ)もあらましをなにすとか相見そめけむ遂げざらまくに(612)


  いっそのこと黙っていればよかったのに、どういうつもりでか二人は恋に落ちたのか、はじめから長続きしない恋とわかっていたのに、という意。ここへきて家持の本音に近い気持ちが発せられている。最初から一時的な関係にしよう、遊びにしようとわたしは思っていたのにあなたはより真剣で、より強い関係をにわかにわたしに求めた。またあなたは独占欲が強かった。それで辟易して逃げた、私が勝手に拡張して解釈すればこうなる。さらに勝手に拡張すれば、笠女郎は家持といっときも離れずに傍にいたい、他の女性との関係を許さないという強い態度に出たのではないか。あまりにああしろこうしろと女性に強要されると男性は息が詰まって逃げ出したくなろうというものだ。
  大伴家持は名家の出自で、歌の教養もあった。そこで若い女性ばかりではないにしても歌作りの素養のある人を集めて、頻繁に歌会を催したのだろう。そこで女性と知り合う機会がふんだんにあった。また家持は見目麗しい男性であったようだから、もてたようだ。ここでは引用しないが、多くの女性が家持に恋する気持ちの歌をつくって贈った。
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