大洋ボート

『万葉集』巻四・587、589,593、594,595

  笠女郎(かさのいらつめ)という女性が大伴家持に贈った歌が二十四首まとめられて載せられている。二人は短い期間関係をもったようだが、長続きはしなかった。原因は不明。家持のほうに気に入らないことがあったのか、飽きてしまったのか、最初から一時的な関係にするつもりで関わったのか、とにかくも家持のほうから別れを告げたように見える。はっきりと別れを告げたのか、それとも逢瀬を拒否しつづけることで、それをわからせようとしたのか、私には判断できない。だが笠女郎としてはもっと関係をつづけたかった。一旦は別れを受け入れたとしても後になって未練を断ちがたくなった。それとも別離がしばらくつづく期間においてもいつかは逢ってくれるだろうと勝手に思い込んでいたのか、その辺も私には詳らかにはできない。

我が形見見つつ偲はせあらたまの年の緒長く我も思はむ(587)


二十四首中の最初の歌である。笠女郎が「形見」として何かの品を家持にプレゼントした。それを見てわたしを偲んでください、わたしもいつまでもあなたを思うつもりだ、の意。この歌を見るかぎりは逢瀬の余韻の幸福な感覚がまだあって、いい思い出ができた、これを支えにして生きられる。そう受け取れないことはない。つまりは別れを自らに納得させようとしている、寂しいものの、そうするしかないのか、という諦めがほの見える。弱気ともいえるのか。ところが笠女郎は自らのそういう態度をしだいに翻す。その変貌のさまが動的で痛々しくもある。

衣手を打廻(うちみ)の里にある我を知らにそ人は待てど来ずける(589)


  「衣手」は衣を打つことからくる「打廻」にかかる枕詞。「打廻の里」は所在不明という。そこに待ちつづけるわたしのことを知らないからあなた(「人」=家持)はこない。いったい、あなたは私の気持ちを真にわかっているのか、わかってはくれない。それを残念にも恨めしくも思うのだ。

君に恋ひいたもすべなみ奈良山の小松が下に立ち嘆くかも(593)


  「いたもすべなみ」はひどく、どうしようもなく、の意。希望のない恋であっても現在の自分の気持ちに忠実になるしかなく、苦しくても今暫くは待ちつづける以外にない。そういう自分を笠女郎は痛切に哀れんでいる。自己を客観視できたすぐれた歌だと思う。ずれるのだが、私はデートの待ち合わせのためか、ターミナルの一角の同じ場所に一時間ものあいだ立ちつづけていた女性を何回か見たことがあるように覚えている。私は同じ場所にずっといたのではなく、何回となくそこを往来してわかったことだが、少し痛々しい気持ちにさそわれたことも事実だ。傍目にはどうにもできないことだが。

我が宿の夕影草の白露の消(け)ぬがにもとな思ほゆるかも(594)


「夕影草」は夕日の当たる草で「影」は光をさす。「我が宿の夕影草の白露の」全体が「消ぬがに」のかかる序であるという。実景として思い浮かべても興趣がある。「消ぬがに」は消えてしまいそうなほど、「もとな」はひどく、やたらに、の意で「思ほゆるかも」にかかる。絶縁された相手をなお恋することほどつらいことはないだろう。思えば思うほど同時にその思いの虚しさが寂々として返ってくる。恋することにいちじるしく傾斜した「自分」が恋すればするほど虚無に近づく。積み木をいくら積み上げてもたちまちにそれを崩してしまう魔の手がある、恋の思いのなかにまさしくそれがある。こういうつらい恋なら早く切りあげたほうがよいのだとは誰しも思うところだが、一時の間はそうもいかないものらしい。同じ恋であっても天智天皇の訪問を待つ額田王には充実感があるが、この歌には当然ない。

我が命の全(また)けむ限り忘れめやいや日に異(け)には思ひますとも(595)


  実らぬ恋愛なら時間とともにしだいにその思いが薄まってついには昔話になるのが通常だろうが、ここではそんな知恵には笠女郎はふりむかない。わたしが生きているかぎりはますます家持への思いを募らせていこうという決意の宣言だ。「いや」はいよいよ、ますます、の意。「日に異には」は日を追うごとに、の意。憎しみがあり、頑固である。なんでわたしはこういう仕打ちを受けねばならないのか、わたしはなにも悪いことはしなかった、絶対に正しい、という道徳観もあるのかもしれない。一旦決意したらテコでも動かないという凄まじさがある。重苦しい。笠女郎のような女性から男性が逃げたくなる気持ちがここへきて少しはわかる気にもなる。

夕されば物思(ものもひ)まさる見し人の言(こと)問ふ姿面影にして(602)


  一途な思いを読みつづける笠女郎だが、この歌はその一途さのなかにもほっとさせる、やわらぐものがありはしないか。笠女郎の面影のなかでは家持はうつくしくやさしく、笠女郎をうっとりさせることを変えない。このことが実らない思いを彼女をしてなお持続させる支えになっている。つらさのなかにもわずかの陶酔がある。「言問ふ」は語り、しゃべること。家持は笠女郎にやさしく言葉をかけつづけたのであろう。それが笠女郎を動かした。私たちも結ばれないことを当たり前に納得して映像で頻出する女優やタレントを好きになることがある。つまりはファンというあり方だが、この歌では家持のファンとしての笠女郎が一面として浮かびあがる。だがこの歌は二十四首のうちでは例外の部類で、家持への一方的な執念はまだまだ綴られる。
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