大洋ボート

『万葉集』巻三・357,358,252、360,362

  私たちの人生はいくつかの分岐点を過ぎて現在ある。自分で選んだにせよ、選ばされたにせよ、分岐点においてもし別の道を歩んでいたとしたら、現在の人生は変わっていたはずである。現在の人生にとくに嫌気をささなくても感傷的な気分になって「別の人生」を空想することは誰にでもあるのではないか。あるいはもっと破壊的に、今の人生模様から逃亡して身よりも知り合いもまったくない別の町で一から出発し直したいと空想混じりに思ってみることもあるのかもしれない。大部分の人はその大儀さに辟易して思いとどまるのだろうが。そういえば麻生よう子という人の『逃避行』という歌があった。いずれにしても人生は一つしかないから、別の人生を空想してみるのだ。

縄の浦ゆそがひに見ゆる沖つ島漕ぎ廻(み)る舟は釣りしすらしも(357)


  山部赤人の歌で、「縄の浦」は兵庫県相生市の瀬戸内海に面した相生湾とされる。「沖つ島」は鬘(かつら)島という小さな島といわれる。あるテキストの注釈によると、赤人が船旅で縄の浦に到着した頃、海の方をふりかえると、小さな船がいまだに漁をしているということだ。午後遅く、そろそろ日暮れる時刻が近づくのに御苦労なことだ、という感慨がこめられている、注釈の言葉どおりではないが、そんなニュアンスだ。「そがひ」は背後。だが私が前置きで書いたような別の人生、この場合は漁民であるが、それにたいするぼんやりした憧れがこの歌には籠められているのではないかという気がするのだ。

武庫の浦を漕ぎ廻る小(を)舟粟(あわ)島をそがひに見つつともしき小舟(358)


  これも山部赤人作。「武庫の浦」は現在の兵庫県尼崎市から西宮市にかけての海岸域で、開発しつくされた現在の風景とは当然ちがっていただろう。粟島は所在不明だが、作者に視認されていて、おそらく漁労の小さな舟が武庫の浦を漕ぎまわったり、粟島を背後にして漕いだりしている。その何処へでも行けそうな自由に見える姿が羨ましい=「ともし」というのだ。「粟島」は妻に逢うことにかけられているとする説もあるようだが、私はとくにその説にはこだわらない。万葉集には朝廷に普段仕える役人が任務によって旅をしたときの歌が多数あり、海上に見える小さな舟を読んだ歌も多い。小舟が大海原に見える姿は頼りなく、心細さを喚起しもしようが、逆に自由をも連想させる。そこから別の人生を思ってみる感懐へとつながると思える。(特に「別の人生」と断らなくてもよい。小舟との距離、海上にとどまっているように見えて、実はゆっくりゆっくり進んでいく小舟、それほどめずらしくもないその風景をぼんやりと眺めいる作者の時間、そんな時間のなかで何事も心に去来しないでいられることこそ困難ではないか)柿本人麻呂にも「別の人生」を思い耽っているのではないかと思わせる歌がある。山部赤人の引用した歌の効用で思い出したので、特徴がないので見逃してしまいそうな歌である。

荒たへの藤江の浦にすずき釣る海人(あま)とか見らむ旅行く我を(252)


  「荒たへ」は「藤江」の「藤」につく枕詞。藤江は現在の兵庫県明石市西方の地名。人麻呂の身分を知らない人が彼を見て漁師と見るのかもしれないと人麻呂は思う。役人よりも身分の低い漁師に誤認されることは人麻呂にとって、はたして迷惑なことか。いやそれよりも私はやはりここでも「別の人生」への思いをきっかけを与えられて喚起させられた、そう読みたいのだ。旅は心細く、また束の間の自由な感覚をも惹起させる。なにかしら足が地に付かないふわふわした感覚に見舞われるのではないか。素直な心の吐露よりも歌における感情の高ぶりを重要視する人麻呂でさえ、という思いが私にはする。
  357から363までは山部赤人の歌が集中しているので、あと二首とりあげよう。

潮干なば玉藻刈りつめ家の妹が浜づと乞はば何を示さむ(360)
みさご居る磯廻(み)に生(お)ふるなのりその名は告(の)らしてよ親は知るとも(362)


  引き潮になったら藻を刈って集めておけ。「刈りつめ」は万葉集には少しめずらしい命令形だそうだ。「浜づと」は浜からのみやげ。自分も従者もそれをもって家に帰らなければならない。当時は男性の通い婚であったから、とりわけ食糧を持ち帰ることは男性の重要な役目であった。また、いつ帰るとも知れない夫を待ちわびる妻の悲嘆を読んだ歌も多い。362は一転してたぶん若い女性に妻=愛人になってくれと呼びける内容。「みさご」は鷲鷹目の鳥で、水面で海魚を捕らえて食べる。「なのりそ」は海草で別名ほんだわらで、「な告りそ」=言ってはならないという意味の掛詞としても使用されるそうで、三句までが4句の「名」の序詞である。テキストの口語訳は「みさごが住む 磯辺に生える 勿告藻(なのりそ)ではないがその名告ってはいけない名を 教えておくれ 母親は気づいても」となっている。女性が男性に名を教えることは身体を許すことを意味したそうで、それは結婚につながることになり、親(母)の許諾が必要であったという。結婚しよう、親の承諾は後回しでもよいではないか、という意味だろうか。留守を預かる妻のことを思いやる赤人ではあるが、歌の順番が連続する印象からくるのか、もうその思いも醒めやらないうちに別の女性にプロポーズするのだ。一夫一婦制の身分制度やそれに基づく道徳観など無かった時代であるから、赤人にはなんら後ろめたさはなかったのだろうが、現代からみると随分率直である。非難するのでは毛頭なく、山部赤人は心に浮かんだことをずばずば言葉にする人であった。
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