大洋ボート

白夜(1971/フランス他)

  ロベール・ブレッソン監督作品をみるのは初めてだが、もっとも正統的な映画作りをする人ではないかと思った。言葉による説明が最小限にきりつめられて、もっぱら映像によってそれを理解させ、そのうえでさらに人物への感情移入へと観客をゆったりと引き込んでいく。人は見て、感じて、動く。そしてまた予期せぬものを見て、感じて、判断して、動く。こういう私たち誰でもがするであろう日常にある営為を思い出させて、人物の行動の全体を、ああそうだなあと無理なく納得させてくれる。若い男女二人にたいして、それはそうだなあとか、無理もないなあとか、こいつちょっと変だなあとかを、映像と人物の動きによって見事にわからせてくれる。気持ちがいいのだ。夾雑物が観客と登場人物の間から取り払われて、じかに接するかのような感覚にさそわれる。
  物語は、夜のパリで偶然であった若い男女が数日のうちに恋愛関係にまで発展しそうになって、さらに意外な出来事があって終わってしまうという、言ってみればありふれたもので、そこからえられる感興としては少ないのかもしれない。恋人との一年後の再開を約束して当の場所で待つ女性イザウェル・ベンガルテンだが、男はやってこずに悲嘆にくれる。そこへ画家の青年ギヨーム・デ・フォレがやってきて不審に思い、事情を聴いてなぐさめ知り合いになる。これがはじまりだ。翌日も翌々日も二人は同じ場所で会い、親密さを増していく。女は恋人だった男をあきらめなければならないのではないか、目の前の男に乗り換えるべきではないか、悪い男には見えない、そういう想いを背負う。一方、男は恋人が欲しくて仕方がなかった、画業にも身が入らず、町できれいな女性を見ればおもわずついて行きそうになるくらいだ。この巡ってきたチャンスをものにしたいという想いが充満する。見てくれは善良そうに見えても異性への飢えはかなりなもの、といった二人である。
  パリの夜の川を観光客を乗せた遊覧船がゆっくりすべっていく。明かりが幸福そうにきらきらする。青年画家がそれを見る視線そのままにカメラが船を追う。遊覧船から流れてくる生演奏の音楽。やがて橋をくぐる船。青年の幸福への羨望が手に取れる。ああ、こんな風に人の幸せをうらやましく眺めたこともあったなあと思い出させるのだ。だがまもなく幸福の感覚は青年に訪れる。人々がくりだし明かりがさんざめく夜の歓楽街でデートするからである。男女が肩を組んで行き交い、自分たちも同じようにする。幸福感が画面からほんとうに滑らかに伝わってくる。幸せに見える人々とまったく同じことをする、これ以上幸せを実感できることはないのだろう。
  だが青年は嘘をついている、乃至は女性に隠し事をしているのだ。女性は恋人の住所を知っているが、何故か自分からは会いに行こうとはせずに、青年に手紙を届けてくれるように依頼し、青年はそのとおりするのだが、一回目には女性がその部屋にいることがわかる。はてはかつての女性の恋人の「新恋人」かなと観客に思わせる。二回目にはその女性とともに別の男も顔を見せる。あれれっ、住所を青年が故意に間違えたのか、それともかつての恋人が転居した後なのか、観客には不明だ。(私が字幕を見逃したのかもしれないが)だがそういう事情を青年は女性にいっさい打ち明けないのだ。なるべく早く恋人を忘れさせようとの思惑があるからなのか、このあたりの説明はないが、説明を省くことで余韻を深くのこす効果が絶大だと思う。もしかすると女性は青年の胡散臭さを少しくらいは嗅ぎ取っていたのではないかとさえ思わせる。
  この映画、見てよかった。正統的な映画作りによって映画の長所が如何なく発揮されている。また洒脱で上品である。
    ★★★★★
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