大洋ボート

佐々木美智子他『新宿、わたしの解放区』

新宿、わたしの解放区新宿、わたしの解放区
(2012/10)
佐々木 美智子、岩本 茂之 他

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  行動的な人である。そしてもてる。若い頃の写真が掲載されているが、美人で一目見て印象に残ってしまう人だ。だがもてる理由はそれだけではなくて交友を大事にして面倒見がいいからだろう。有名無名を問わず交友範囲がものすごく広く、しかも長続きしている。また読んでわかるが、じめじめしたところを表に出さず、つとめて明るさを前に出すから気分がいい。だからこの人を慕って人が集まってくる。『新宿発アマゾン行』(1994)という本を公にしたとき、その記念パーティに300人もの友人・知人が集まったという事実からしても人望の厚さ、広さがうかがえる。
  佐々木美智子さんは1934(昭和9)年生まれで、今年78歳になる。その半生を北海道新聞記者の岩本茂之という人がインタヴューしてまとめたのが本書である。自由の気風を何よりも大事にすることがこの人の軸心にある。10代後半で結婚するも、安定は望めるものの人生の先が平凡なものにみえて離婚して単身上京する。母に勧められ金ももらって山野高等美容学校に入学するが、そこをなんと1日で退学して、新宿でおでんの屋台をひらいて生活をしのぐことになる。このとき佐々木22歳(1952)。離婚については元のご主人はその後何回か会いに来たようで未練があったらしい。佐々木も夫であった方には不満や憎しみはなかったというから、現代風の離婚劇だったようだ。また美容学校を辞めたときの理由が、校長の挨拶での、客を見たら額に千円札が貼ってあると思えという言い草が気に入らなかったからで、まさに即決である。(入学金は談判して半額だけ返してもらった)屋台をひらいたときも何の見通しもなく老齢者の多いその集まりの場所に日参して粘った末、やくざの親分に紹介されてやっとこさ屋台を賃借させてもらったらしい。その親分とのトラブルもあったそうだが割愛。
  このように佐々木美智子という人には先々の生活について思い悩んだり用心したりすることが見受けられず、気に入らないことからはさっと立ち去ってしまう強さがある。また最低限の生活が維持できれば貧乏をいとわない我慢強さもある。楽天性と呼んでもいいのか。そうしてそれで生活がなんとかなっていく。小心者の私にはまねのできない部分で、気質が羨ましくもある。やがて屋台で演劇の関係者やら、さらに後の勤務先のバーでは映画関係者と知り合いになって、勧められて日活映画の編集部に就職することになる。さらに写真学校へ何年間か就学し、プロカメラマンとしての基礎をつくり、カメラや映画編集などの仕事(アルバイトもふくめて)に就く。60年代になると新宿のゴールデン街に飲みに行くようになって、68年3坪の広さの「むささび」という居酒屋を開業。また日大全共闘のシンパとしてときにはカメラをもってデモに随走した。私も当時は新左翼系の活動家だったので懐かしく、また気恥ずかしくもあり、このあたりから以降が私にとってまた多くの読者にとっての本書の読みどころではないだろうか。
  学生運動の盛り上がりは、自由の気風に憧れていた佐々木さんに火をつけたようだ。「むささび」には映画や演劇の役者。スタッフはもとより学生運動の活動家もやってきた。学生は金がないから低料金にし、さらにつけもたまったので儲からなかった。客は酔いが回ると喧嘩したり暴れたりもしたようだが、佐々木さんは生来の包容力でしのいでいった。嫌な客は入店を断ったことも付け加えねばならない。また飲み足りない客にはときには閉店後自宅アパートを開放することもあった。このあたりは有名人の名も出てきてエピソード満載の感がある。酒場ではないが、私もセクトのアジトで同じセクトというだけで見ず知らずの学生たちと夜の限られた時間だったが同居した体験があるので、それと近い空気は少しは知っている。      
  日大全共闘議長の秋田明大とは一時恋人関係だったようだ。また連合赤軍で「総括要求」されて殺された新藤隆三郎も客でその死の少し前「俺殺されるかもしれないよ」と佐々木さんに告白したらしいが、佐々木さんは何も知らないから深刻には受け取らなかった。後に事実を知ったときは勿論くやしがり、森恒夫や永田洋子をはげしく恨んだという。だが、巻末の足立正生(映画監督)のインタヴューにあるように、佐々木さんは自殺をほのめかす学生活動家をはげまして何人もの命を救ったというから見上げたものだ。この部分は本文には出てこないのだが、自慢話に受け取られることを嫌がったからだろうか、ともかくも私にはここは読んでよかったと思える部分だ。また後に秋田が参議院選挙に周囲からかつがれて出馬しそうになったとき、佐々木さんが強引に辞めさせたことも拍手だ。(本文にあり)周囲にもみくちゃにされることが目に見えている人だから、国会議員の秋田明大はテレビで見なくてよかった。
  佐々木美智子という人はリーダーと呼びうる資質の持ち主ではないと思う。だが人を吸い寄せる力があっていくつかの別々の輪ができる。するとその輪の良好な維持に才能を発揮するにはうってつけだ。輪と輪の人同士にもまたつながりができ、そこでもいい空気をつくる。輪の中心にいるのではなく触媒の役割を果たすのだ。
 「むささび」のあとは55坪の広さの「ゴールデンゲイト」でここも繁盛した。だが学生運動が衰退し内ゲバが頻発する困難な時代に入ったからだろうか、佐々木さんは閉店し一年間の休暇のためにスペインへ、さらにアフリカで過ごす。何のあてもないのに例によってたくましい。そして帰国後水商売を再開するも、1979年(45歳)から1993年(59歳)までブラジルに移住し、ここでも酒場やら図書館を開いて暮す。図書館は日本語の読み書きができない日系移民2世、3世のために開設したそうだ。帰国後は伊豆大島に居をかまえ某観音像と観音堂の維持管理をボランティアで引き受けている。この観音さまはブラジル移民と深い関わりがあることも記されている。
  佐々木さんはサービス精神のある人で、聴き手が何を知りたがっているか察知して先回りして答えている気配も感じられる。批判するつもりではないが、別の人が聴き手であれば微妙にちがった別の佐々木美智子像が表われたかもしれない。その一端は「付録」の足立正生など5人へのインタヴューにうかがえる。
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