大洋ボート

『万葉集』巻二・166、165、229

磯の上に生(お)ふる馬酔木(あしび)を手(た)折らめど見すべき君がありといはなくに(166)


  反逆を疑われて処刑された大津皇子の妹、大伯皇女(おほくのひめみこ)が兄を偲んで読んだ歌で、二首のうちの二番目。「磯」は海ではなく、この場合は川や池の岩のあるところで「上」はほとりを意味するそうだ。馬酔木はツツジ科の低木で自生種、早春に開花するという。ネットで調べると白やピンクのあざやかな花がみられる。「手折らめど」の「めど」は推量の助動詞「む」の已然形に逆接の助詞「ど」がついたかたちで、花を手折るだろうが、という意味になる。つまり歌の現在の時間ではまだ手折ってはいない。「君」は無論大津皇子をさす。
  この歌を最初目にしたときは「馬酔木」という耳慣れない花の名のひびきが印象に残った。字義のとおり馬や鹿にとっては葉は毒になるために動物は食さないそうだ。この花の名が歌の中心に品よく座っていて安定感がある。だが「君がありといはなくに」が上代の風習にかかわっていることに、別の歌の注釈によって気づかされた。あなたが生きているとは誰も言ってはくれない――。死んだ人はたしかに死んだのであり、動かしようがない事実だ。これは死と生を截然と区別する現代ならあたりまえの死生観で、何の感動もうながさないはずだ。だが上代にあっては、人が死んだ直後には悲嘆する近親者にたいして、死者を何処其処で見かけたといってくれる人がいた、そういう風習があったそうである。柿本人麻呂の長歌(210)にもそのことが書かれていて、人麻呂はげんにその人の言った場所に足を運んだ。周囲の人の助けを借りて親しいものの死を時間をかけてゆっくりと納得する。葬礼にふさわしいいい習慣ではないかと私は思うのだが。ならば大伯皇女に向かって大津皇子が生きている、特定の場所で見かけたと、周囲の人は何故言ってくれないのか、それは大津皇子が罪人として殺されたことを誰もが知っていて、国家による決定にふれることを恐れるからだ。兄が死んだことと、その死を一般の人のようにはゆっくりと受け入れる時間を奪われたこと、この大伯皇女の二重の悲しみがこの歌にはこめられている。大伯皇女の孤独が際だつ。

うつそみの人なる我や明日よりは二上山(ふたがみやま)を背(いろせ)と我(あ)が見む(165)


  大伯皇女は大津皇子を二上山に葬った。二上山は奈良県北葛城郡当麻町の西にある山で現在ではニジョウザンと音読みされるのが一般的。雄岳と雌岳にわかれ、雄岳の頂上に大津皇子の墓があるそうだ。私も当麻町には行ったことがあるが、午後になると日が大阪平野の側に移動して日陰になって優美な姿を見せる。反逆者と決めつけられても皇族だから丁重に葬ることが許されたのであろうか。「うつそみの人なる我」は死の世界の人となった兄との大きい隔たりを自覚させられるのだろう、生きてしまった、生きていくしかない、という諦めとつらさの表現とみる。「背(いろせ)」は同母兄弟をさす。二上山を兄としてその面影をかさねながら眺めることになるだろうか、の意。
  当時においては墓を建立することは身分の高い層にかぎられていた。火葬も土葬もせずに棺にいれて山などに放置することが一般的だったとされる。また行き倒れになった屍も放置された。警察や保険所が手早く収容する現代とはやはりちがう。柿本人麻呂も行き倒れた人について読んだ長歌があるが(220)ここでは別の歌を挙げる。

難波潟(なにはがた)潮干(しほひ)なありそね沈みにし妹が姿を見まく苦しも(229)


  河辺宮人(かはへのみやひと)という人が姫島の松原で若い女性の水死体を見て悲しんで読んだ歌で、二首の二番目。姫島は現在の大阪市西淀川区に地名が残るが、当時は海かもしくは湿地であったと思われ、現在よりも東よりであったとみるべきだろう。この娘さんは事故死したのか、それとも自殺なのか、もとより作者にもわからないが、娘さんだけに哀れさがいっそう際だってくる。引き潮になると死体が露わになるからなってくれるな、娘のその姿をみるのがつらいから、という意だ。放置された死体を目にすることも当時としてはめずらしくもなかったのであろう。それをボランティアの数人で穴を掘って収容するという習慣もなかった。つまりは冷淡だ。だがやはり人は哀れみの心をどこかで抱いている。それを喪うまいとする。そういう気持ちが屍を見てはからずも吐き出され、涙が出た。そう受け取った。
 
日本古典文学全集〈2〉万葉集 (1971年)日本古典文学全集〈2〉万葉集 (1971年)
(1971)
不明

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