大洋ボート

『万葉集』巻二・207,216

  家族の死は大きな出来事である。私たちは毎日のようにメディアから人の死の報に接するが、ときには同情を寄せることもあるもののそれほど意識にのぼらせないままに済ましてしまうことが多い。忙しいし、自分の興味ある問題に没入したままであるし、それに疲れているので何も考えたくないという怠惰もあるだろう。理由はさまざまであるが、私たちは毎日慣れた生き方で毎日を過ごしていきたい、それを手放したくはないのだ。ただ死というものがこの世に存在し、だれもがその運命を回避することはできないということはだれでも知っている。そしてその大きさを身をもってはじめてのように知らされるのが、家族やそれに順ずる親友などのごく親しい者の死である。ぽっかりと大きな穴が開いて、自分がその中心にいるという抗いがたいずっしりした感覚、身近な者の死を、また死という事象全般をどう理解してようやらわからないまま、その感覚のなかに暫くは居つづけるしかない。おもえば、その人をものすごく頼りにしてきたことが今更のように知らされる。そういう日常が非情にも切断されて、以後はその人のいない人生を歩まなければならないという寂しさ、また重々しさがのしかかってくる。
  柿本人麻呂は妻に先立たれたとき長歌を二首創作した。その死を信じられない、というよりはにわかに信じたくない、何かにすがって抵抗しつづけたいという心情が切々と吐露される。

天飛ぶや 軽の道は 我妹子(わぎもこ)が 里にしあれば ねもころに みまく欲しけど やまず行かば 人目を多み まねく行かば 人知りぬべみ さね葛(かづら) 後も逢はむと 大船の思ひ頼みて 玉かぎる 磐垣淵(いわかきふち)の 隠(こも)りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れぬるがごと 照る月の 雲隠(がく)るがごと 沖つ藻の なびきし妹は 黄葉(もみちば)の 過ぎて去(い)にきと 玉梓(づさ)の 使ひの言へば 梓(あづさ)弓 音(おと)に聞きて 言はむすべ せむすべ知らに 音(ね)のみを 聞きてありえねば 我(あ)が恋ふる 千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰もる 心もありやと 我妹子が やまず出(い)で見し 軽の市に 我が立ち聞けば 玉だすき 畝傍(うねび)の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉鉾の 道行き人も ひとりだに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名呼びて 袖そ振りつる(207)


  テキストの口語訳は次のとおり。( )内は枕詞。

(天飛ぶや) 軽の道は わが妻の住む 里であるので つくづくと 見たいと思うが 絶えず行ったら 人の目もあり しげしげと行ったら 人が知りそうだし (さね葛) 後にでも逢おうと (大船の) 将来を期して (玉かぎる) 岩垣淵のように 人知れず 恋い慕っていたところ 空を渡る日が 暮れてゆくように 照る月が 雲に隠れるように (沖つ藻の) 寄り添った妻は (黄葉の) はかなくなってしまったと (玉梓の) 使いが言うので (梓弓) 話に聞いて 言いようも しようもなくて 話だけを聞いておれないので わたしの恋しさの 千分の一だけでも 気が晴れる こともあろうかと わが妻が いつも出て見ていた 軽の市に たたずんで耳をすますと (玉だすき) 畝傍の山に 鳴く鳥のように 声さえ聞こえず (玉鉾の) 通行人も 一人として 似ていないので しかたなく 妻の名を呼んで 袖を振ったことだ


  当時にあっては夫が妻の住居にときどき訪れるいわゆる通い婚が通例であったらしく、人麻呂も例外ではなかった。あまり頻繁に妻を訪れると近所に噂としてひろまって、妻が非難されるので気遣ってひかえていたということだ。男たるもの勤勉でなければならない、それをつよく言い聞かせるのが妻の役目でもあっただろうか。勤労への社会的要請が町の女性や老人たち、留守を預かる人々に自然に浸透して徹底されていたと考えるべきだろう。人麻呂は「舎人」であったというから官舎に普段は居住したのだろう。帰宅もままならないなかで、ひそかに妻への慕情をはぐくみ維持してきた。そこへ「使い」がやってきて妻の死を知らせた。たぶん人麻呂はゆるされて急いで帰宅した。「軽の道」は橿原市南方の南北に走る道だそうだが、妻の家のある地名でもある。妻の遺体に対面したのか、葬儀は済ませたのか、それは不明だが、省略されているとみるべきだろう。そういうことがあったであろう後に、人麻呂は妻がよく行った市場に出かけた。もしや妻が生きていてそこにいるかもしれないというありえない望みに背中を押されて。愛情表現である。「我が恋ふる 千重の一重も  慰もる 心もありやと」。愛情の渇きと痛みを少しでもやわらげようと、妻のよく行った場所に立ってみてその幻影をさがしもとめた。その声が聞こえはしないか、似た人が歩いてはいないか、人麻呂はむなしく通行人(女性)を眺めたのだろう。そして妻はそこにはいないと思い知らされつつ、妻の名を呼び袖をふった。
  現代人の心と行動のありかたとまったく同じではないか。編者は「柿本朝臣人麻呂、妻の死にし後に、泣血哀慟して作る歌二首」と題をつけた。この歌からは慟哭する人麻呂の姿を直接読むことはできないが、勿論人麻呂は泣きに泣いたのだ。そうしてしばらく後に平静を少しとりもどしてからこの歌を作った。「泣血哀慟」は器のそこに溜まっていて、歌は上澄み液にあたる。たいへんうつくしくもいたましい調べにいざなわれる。

家に来て我が屋を見れば玉床の外(ほか)に向きけり妹が木(こ)枕(216)

  妻がいなくなった空虚さがよく出ている。日々が過ぎ、ようやくのように落ち着いた気になっても、あらためて妻の死が心に染みわたってくる。妻がいる普段のときなら、妻が枕を寝床にきっちりと、つまり布団の頭が来る場所に頭と直角にすえてくれたのにそれがいたずらのようにずれている。斜めになっているのだろうか。枕は魂の宿るところと当時はみなされていたそうだ。
日本古典文学全集〈2〉万葉集 (1971年)日本古典文学全集〈2〉万葉集 (1971年)
(1971)
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