大洋ボート

終の信託

 岸に押し寄せる波や窓を伝う雨粒の映像がときどき挿入される。これが映画を落ち着かせる効果がある。熱を冷ます効果といってもいい。誰にたいしてか、他ならぬ主人公の内科医草刈民世にたいして、その揺らぎに揺らぐ心と闇雲にもみえる行動にたいしてだ。そのひたむきさを冷たく突き放し、観客に客観視させる効果をもたらしている。少し大げさかもしれないが。
  似た意味で草刈と対照的にみえるのが不治の喘息患者の役所広司だ。彼は病の進行によってとおからず自分が死地におもむくことを知っている。そして苦痛の無いやすらかな死を迎えられるように、つまり健康体にもどる見込みのないかぎりは延命治療をほどこさないように草薙に懇願して、草薙の了承をえる。脳死状態ではないが人工呼吸の装置をつけてまで苦痛とともに生きたくはない、治療費もかさみ妻に金銭を残してやれない、妻は「ひとり立ち」できない人で自分がその願いを打ち明けても判断に苦しむだろう。そのために妻には内緒で草刈に死に際の措置をたのむのだ。ここには長期間病に苦しんできた人の確信的な願いがある。しっかりした土台がある。役所にとってはまた、子供時代に目の当たりにした幼い妹の死の記憶がある。妹は戦争中いた満州の家でソ連兵の銃弾を腹部に受けて苦しみながら死んだ。「トントントロリ」という母の子守唄を聞きながら長時間苦しんで死んだ。できれば自分もその子守唄を聞きながら死んで行きたい、発語力や視力がうしなわれても聴覚だけは最後までのこると役所はいう。子供時代に肉親の死を目の当たりにしてから役所はたえず死について思ってきた。やがては自分も妹のもとへ行くだろう、そのときのことも視野に入れて思ってきた。そいて回復の見込みのない喘息に罹患して15年も生きつづけている。
 このように役所は自分の最後にたいして確固たるイメージをもっていて揺らがないのだ。落ち着いた「冷たい自信」ともいえる。この役所の思想が草刈にとっては師匠として見える。不倫相手の同僚医師の浅野忠信に「失恋」したのちに役所は草刈にプッチーニの「私のお父さん」のCDを貸した。草刈は感動を覚えたが、役所はこの曲は娘が父に小遣いをねだる歌で悲劇ではなく喜劇だと教える。映画では省かれているが、役所はたぶん草刈の「不倫愛」を知っていたのであり、草刈にとっては悲劇であっても相手の浅野や周囲の目からみれば喜劇にも見えかねないと暗示したのだろう。15年も役所の担当医師であった草刈だが、このCDの件は草刈をして役所を見直すきっかけにもなったのではないか。
 草刈は失恋したことによって土台を喪った。それに比べて役所はなんと確固とした土台を築き上げていることだろう。草刈を冷酷にあしらった浅野忠信にしても担当検事の大沢たかおにしても是非は別にしてやはり土台を有してみえる。それに草刈もまた発作的に自殺未遂を起こして死を視野に入れた。死にたいして一旦は依存心を持った。このことがまた医師という立場からの死に対する見方とは別のなまなましさとして、じかに肉体に触れるものとして死をあらたに見てしまった。そうして死が共通項のように役所とのあいだにできてしまい、より深く役所を理解しようと草刈はするように私にはみえた。それは人と人のつながりをもとうとする衝動でもあるようだ。苦痛のない死を頼んだ役所にたいし草刈は了承し、その約束を果たす。
  脳死状態でないかぎり、呼吸器を装着されてただただ呼吸するだけにみえてもじつはその患者には意識があるのかもしれない。これはこの映画のもたらす痛切な問題提起だ。意識があるのだとしたら苦痛もある。ただどれほどの苦痛かは外部や医学的装置からはうかがいしれないのではないか。急性胃潰瘍の症状を昏睡状態の役所に見出してストレス(苦痛)の証左だとする草刈民代医師の診断にはふるえがきた。何も語らない役所の意識の果てまで草刈はついていこうとしたのだ。つながりをもちつづけようとしたのだ。私たちが普段ほとんど考えもしないことだが、人間の意識状態はまだまだ未解明で神秘性に富んでいて、そらおそろしい気がした。
  草刈は役所の症状を回復不可能だと断じたようであるが、これは周囲の医師からは異論が出るだろうことは草刈は知悉していた。だからこそ「殺人」容疑がかけられたのだが、草刈は専門医としての診断には自信があった。ただ延命治療が「無駄」だとは法律は応えてくれないものらしい。私は安楽死や尊厳死などの法律的、医学定義やもろもろの意見については不勉強であるが、私もやはり苦痛のない死を選びたいという思いは強く、その意味では草刈民代医師のとった措置には賛同したい。
 静かなしっとりとした空気のなかに、草刈民代医師の心と行動の一部始終がせつせつと胸に迫ってくる良質の映画だった。
    ★★★★★
関連記事
スポンサーサイト
    01:37 | Trackback : 1 | Comment : 0 | Top
Comment







(編集・削除用)


管理者にだけ表示を許可
Trackback
http://oceanic.blog70.fc2.com/tb.php/531-27b247b6
 岸に押し寄せる波や窓を伝う雨粒の映像がときどき挿入される。これが映画を落ち着かせる効果がある。熱 2012.11.23 20:15
プロフィール

seha

Author:seha
FC2ブログへようこそ!

カレンダー(月別)
03 ≪│2017/04│≫ 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
最新の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
月別アーカイブ
全ての記事を表示する
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
ブロとも申請フォーム
ブロとも一覧
ブログ内検索
RSSフィード
リンク