大洋ボート

『万葉集』巻一・24

  古典は言葉がむつかしい。私はしろうとで注釈や口語訳がないと読解ができない。だがそこを乗りこえた気になると理解するどころか、感銘をおぼえ、古文独特の美しさを味わった気にもなれる。いにしえの人の心の動き方も現代人とそれほど大きなへだたりがあるとも思えなくなり、むしろ現代人がややもすれば無意識に閉ざしたきたであろう心の動きや闇の部分があからさまにされたようで、新鮮さを受けとることが大いにある。力不足で、無理解を露呈するおそれもあるが、少しずつ感じたこと、気づいたこと、気になったことを記していきたい。

うつせみの命を惜しみ波に濡れ伊良虞(いらご)の島の玉藻刈り食(は)む(巻一・24)

 麻続王(をみのおおきみ)は天武天皇の時代の皇族で、詳細は不明だが流刑にあったという。身分の高貴な方が漁労をしているのをみて人々は哀れみ、ある歌人がその気持ちを歌った。「打麻(うちそ)を麻続王海人(あま)なれや伊良虞の島の玉藻刈ります」(巻一・23) 麻続王は海人でもないのに藻を刈っていらっしゃる、という意味。「打ち麻」は麻続王の枕詞。「伊良虞」は愛知県渥美半島伊良湖岬とする他、諸説あるそうだ。24番はその歌に麻続王が応えた形式になっているが、二首とも同一歌人の作。(歌人名不明)
  皇族ともなれば食事の世話などは御付きの人がやってくれて心を砕くこともなかったであろうし、肉体労働とも無縁であったろう。そういう身分と境遇が刑罰を受けて一変した。そのときの屈辱と悲嘆がストレートに表現されている。刈った藻は自分で食することもあろうし、物々交換に供することもあるのかもしれない。とにかくも毎日「海人」をしなければならない。
  刑罰ということを離れても敷衍できる意味内容だ。たとえば秀才の誉れ高いものの口下手な人が、上からの指令で外回りのセールスをやらされるが一向に売り上げを伸ばすことができない。俺はこんな仕事には向いていない、できるなら辞めてしまいたいと、追いつめられた気持ちになるのかもしれない。また若い人がはじめて社会人となったときの戸惑いのなかにもそういう鋭い痛みがあるのかもしれない。皇族から海人への「転落」は、人生のはげしい転変を身をもって体験することで、現代人も多かれ少なかれ共有するであろう体験だ。以前の境遇が極楽気分であったり、高慢であったりするとその落差はよけいにこたえるだろう。
  「海人」をできれば即刻辞めてしまいたいが、自由が無いのか、逃亡の気力がうしなわれたのか、それもできない。ならば「海人」の仕事に慣れてしまうしか打開の道はない。そういううすぼんやりした光がみえるからこそ、おおいに屈辱であるものの「海人」にされたくらいでは自殺する気にもなれない。死から生に突き戻される。「うつしみの命を惜しみ波に濡れ」麻続王本人が読んだのではないにせよ、本人の労働するさなかの視線からの波のようで間近に感じられる。そこには涙も多量に入り混じっているのか。

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