大洋ボート

ノスタルジア(1983/イタリア・ソ連)

  物語がよく把握できなかった。科白に文学的、詩的な要素があって私にとっては難解であったことと、うとうとしてしまったことが理由である。またアンドレイ・タルコフスキー監督といえば必ずや評価される映像の美しさが前半部においては小出しであったことも私を弛緩させた。だが中盤以降になるとさすがに映像の美しさには目を見張るものがあって貴重な映画体験となった。それにこの映画の映像はDVDで見た『ストーカー』とかなり重なり合うところがある。つまりは廃屋や廃墟であり、その床や地面が水びたしになっていることである。物語としては『ストーカー』は立ち入り禁止区域となっている「ゾーン」への男三人の探検と帰還が骨格であり、『ノスタルジア』は主人公の詩人がロシアから女性を連れてイタリアへ移住もしくは亡命するところから始まり、そのあとも話としては『ストーカー』と共通するところは皆無である。にもかかわらず、映像が類似しているということは、そこにこそタルコフスキーが作品別の物語内容を越えて芸術的に彫琢したかった最たる部分があるのではないかと思われ、そこを中心にして感想を書いていってもさしつかえないのではないかと思えたからだ。
  少し触れた廃屋はイタリアに来て知り合った男の住居である。この男見るからにうらぶれた印象があり、また精神的な衰弱をきたしているようでもある。過去の映像がモノクロ(純粋なそれではなく微かに色彩があるように見える)で表現されるが、男の家の前にパトカーが停まっていて近所まわりで騒ぎになっている様子で、家族に異変があったのかもしれず、この「事件」が男を衰弱させたようだ。勿論男が住むかぎりは廃屋とはいえないのだが、印象は廃屋そのものである。壁はいまにも崩れかからんばかりで、ぼろぼろでぎざぎざになっている。しかも雨降りでもないのに雨漏り(水漏れともとれる)がはげしくて水が勢いよく床をたたきつける。床は書いたように当然水びたし。それでいてそこには壷やら花を生けた花瓶が画面の下部に目立つように置かれている。あきらかにタルコフスキーが意図して室内セットを造形したのだ。
  この映像に私は触発されるものがあった。これは「世界のどんづまり」を表現しているのだなと直感した。飛躍するが書いてしまいたい。人生にたいして誰でも希望を持つが、ある人にとってはそれは青春時代に頓挫する。希望は言葉としては残っていても忠実になれなくなり、堪えられなくなってもはやそれ以上は進むことができない、引き返さざるをえない。そういう固有の時間と場所がある人にとっては必ずあり、またそれを忘れる人もいるが、のちのちまでもそれに固執する人もいて観念的に培養される。廃屋が「世界のどんづまり」の固有性そのものではなくて、思索者=表現者のなかで廃屋として結実した造形的映像がその観念を喚起させるのだ。「どんづまり」だからこそ、もう一度そこへひきかえしてやり直してみたくもなる、思索したくなる、観念としてそういう作業をその人に何回も、あるいは生きるかぎり試みさせる。希望の頓挫したところを見据えてふたたび希望を見いだそうとするのだから、絶望にいろどられてはいてもこれは美しいし力強さもある。私の「勝って読み」と思われても仕方がないかもしれないが、この廃屋(じみた)の住居の映像はそこまで迫真性を内包していることだけはわかってもらいたい。また廃屋ではないが、主人公の幻想としてせまい岩場に囲まれた水の流れもある。彼はそこで寝そべりながら分厚い詩集に火をつけて、燃えるままに放置する。
  過去がモノクロ映像となってたびたび挿入される。主人公は故郷を捨てた。彼を愛し引き止める家族がいるにもかかわらず妻以外の女性(通訳だが愛人でもあるようだ)を連れてイタリアにやってきた。そのロシアに置いてきた妻や子供のまなざしも主人公をじんわりと見つめて少し悲しげでこれまた美しいし、美しいとしか言いようがないが、故郷を流れる川の水の澄み切ったさま、青々とした川底の水草さえくっきりと映し出す。のちにこの映像がカラーに変換されるのがまた心憎い。この川の水の映像は廃屋のそれとちがって観念的に彫琢されたものではなく、自然が野放図に露わにする美そのものであり、観念を超え観念からとおい、何かしらふっくらとした豊かさが表現されている。いとしくて身体ごとひたしてみたい欲求にかられるのではないか。だが故郷といい家族といい澄んだ水といい、そこには戻れそうもないという主人公の諦念の表現でもあるのだろう。
  主人公は例のイタリア人から教わったとおりのことをする。つまり干上がった池を、蝋燭の火をともして消えないようにして横断すればよいことがあるというので、実行する。まじないか宗教的な祈りなのか。だが主人公はいっこうそういうことを信じないようで、あるとすればイタリア人への敬意だろう。また自嘲的、自己憐憫的にみえる。外観は「祈り」であっても内面はそうではないのだ。冒頭に近く、教会で聖母像の前におびただしい蝋燭がともされている様子があったが、これはふりかえれば主人公のともすたった一本の蝋燭との対蹠的効果をも果たしている。
  最後には故郷の家が何回目かとして映されるが、カメラがしだいにとおざかると、驚いたことに周囲が石造りの巨大な廃墟の風景になってしまっている。すっかり小さくなる故郷の家。かつてしっかりした現実であり、うつくしい川もそばにあり主人公にとって美の源泉であった故郷や家族さえ「世界のどんづまり」の観念の枠に閉じ込められるということか。ここまでくれば「どんづまり」どころか「世界の崩壊」にさえつながりかねない大胆な映像の構図だ。これには意表をつかれた。イタリア人やら主人公の愛人やらの行動にはさして驚かなかったが。……映画を見る時間があまりとれないが、またこういううっとりさせる名画に出合いたいものだ。
★★★★★
  
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(2002/11/22)
オレーグ・ヤンコフスキー、エルランド・ヨセフソン 他

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