大洋ボート

ユリシーズの瞳(1996/フランス他)

  旧ユーゴスラヴィア内戦が描かれていることで、息苦しい空気が映画を支配している。『旅芸人の記録』(1975)が第二次世界大戦勃発から終結後の何年間かが舞台だったのにたいして,ここでは戦争継続中の旧ユーゴが主な舞台であるからだ。しかも主役のハーヴェイ・カイテルは映画監督で武器を持つ当事者ではなく、その真っ只中へ未発見の映画フィルムを捜しもとめて素手でさまよいこんでいく。砲弾や爆弾の音が間近で炸裂し、そのたびに死者が発生する状況で無力そのものだ。同じ内戦であっても『旅芸人』で描かれた大戦終結後の、左右の政治的主張のちがいはあってもそれぞれがギリシャの自立を目指して行動した意気軒昂さは視野にはなく、また過ぎ去った時代にたいするなつかしさも当然ながらない。
  ハーヴェイ・カイテルは英語を話すからアメリカ人のようだが、故郷はギリシャ、しかも大戦中の子供時代はルーマニアに家族とともに在住したことがあるようだ。何十年ぶりかでギリシャの土を踏んだのだが、彼の映画の上映にさいしてはそれを妨害する勢力が幅を利かせる。しかも進行中のユーゴ、というよりもバルカン半島全体の政治的不安定がギリシャにも波及して物情騒然たる気配が迫る。そうしたなか彼は若い時代にたぶん非情な運命によって離別せざるをえなかった恋人の幻影をはやくも発見する。彼がギリシャを訪れた目的は、バルカン地域の最初の映画制作者の未現像の映画フィルムを探しだすことにあり、それをギリシャの公的映画団体から委嘱されてのことであったが、それはまた一人の映画制作者としての良心であり、同じ職業の先人にたいする敬意でもある。またかつての恋人のこともかさなっての、長い期間放棄していた若い時代を軸とした自分の<原点探し>のようでもある。この旅は最後には激戦地サラエボまでたどりつくが、ずいぶん無謀に見え、疲れきってふらふらして見える。
  幻想と現実が交錯する。かつての恋人マヤ・モルゲンステルンが映画フィルム探しの旅の先々でいくつもの役に変わって出現する。映画関係の機関はどの国にもあってアルバニアではそこの職員である。サラエボでは現像技師の身内であり、その前のベオグラードではサラエボまでいっしょに船旅をする女性でもある。ほかにもあったと思う。かつての恋人であり案内役であり、また旅の孤独を癒す役も担っている。そしてそのうちの何人かとは肉体関係を結ぶ。まるでかつての恋人その人であるかのように切羽詰った表情、今にも泣き出さんばかりの表情でハーヴェイ・カイテルはマヤ・モルゲンステルンをはげしく求める。モルゲンステルンはかつての恋人そのものではないが、カイテルの熱病に伝染するかのように応じる。またカイテルが地元の現在の恋人であるかのように抱擁しあう。カイテルは長い期間抱いてきた悔いを一気に埋め合わせ解き放とうとするのだが、またかつての戦乱が現在の戦乱にかさなるのだが、やはり引きずってきた空白感はひっくり返せないという無力感がじわじわと押し返してくるように感じられた。カイテルは過去から引きずってきたやりきれない個人的運命にたいしてこれ以上はないというくらい精一杯向き合っていてその充実ぶりは、さすがにアンゲロプロスの映画だと思わせるが、過去にたいする悔いは消滅はしない、むしろ悔いそのものの存在がさらに明瞭化される、現在においてどう振舞おうともかえってそれに呼応するように過去の姿が無残に立ち現れてくる(恋人と結ばれることはなかった、結婚できなかったという意味で)、遅くともそれと戦ったということがあらたに記憶に刻み込まれる、ということになるのだろうか。だが自己満足がわずかながらそこにあるとしても最後の場面で木っ端微塵に打ち砕かれる。内戦下という運命から逃れられないのが、そこに暮らす人間だからだ。
  戦乱を個人が阻止することなんてできない。武器を取って相手をいちはやく捻じ伏せてしまえればよいが、そこにおいても個人の力はちっぽけである。戦乱に背を向けつつ個人的な使命が発見できればこつこつそれに埋没するしかないのかもしれない。
  暗鬱な映像がつづくなかで唯一明るさをもたらしてくれるのが、巨大なレーニンの石像が解体されクレーンで吊るされてやがて船で運ばれる場面である。ゆっくりと川を移動する船のレーニン像を岸にいる人々が圧倒されたように眺める。岸沿いを小走りに追いかけたり、十字をきって頭をたれたりする。ソヴィエト社会主義による国家支配が打倒された歴史をその国(東部ヨーロッパ)の人々がわがこととして眺めるのだ。勿論レーニン像が解体されたからといって戦乱が収束するのではなく、かえってその重石がとれたことによって戦乱が勃発することもないとは限らず、現に旧ユーゴではそうなってしまったのだが、人々はそこにわずかながらでも歴史の進化を眺めているのではないか。社会主義支配は現実であったが、その思想を信奉したことはまちがいではなかったか、幻ではなかったか、という想いが胸を去来するのではないか。ここでも<幻想と現実>が現実の場面そのものとして交錯するのだ。じつは私は『グッバイ、レーニン』(2003/ドイツ)でレーニン像の首がヘリコプターで運ばれる場面に出会っていたく感動したのだが、こちらのほうが先であった。
      ★★★★★


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