大洋ボート

白痴(5)

 ナスターシャとはどんな女性なのだろうか。成長期に貞操を破壊されてぐれてしまい、遊び仲間を連れて遊び呆けて憂さを晴らしている、とりすました人に挑戦的で意地悪で、という人物像が浮かぶ。それはまちがいではなく、現在の女性像においても容易に見つけだせそうだ。だがそれだけではない。自殺願望に強くつらぬかれた人なのだ、彼女は。この小説全編を読んでしまえばそれはわかるが、ここまで(上巻400ページほどの範囲)では作者によって仄めかされる程度だ。19世紀ロシアのこの時代のみならず、それほどとおくない過去においても、女性のある部分においては、貞操観念が宗教的意識の抑圧ともからみあって如何にも強固な時代であったと考えられる。だからそれが破壊をこうむった後の女性の精神の風景は、現在ではちょっと想像しにくい。その時代においても、外部から様子をうかがう程度の観察しかできなかったのではないか。ドストエフスキーも右に同じかもしれない。だから、あらあらしさの向こう側には、そういう意味で、意外と類型的な女性像しか浮かび上がらない気がする。むしろ、そういうナスターシャのような女性像をぶつけることによって、ムイシュキンに起こる混乱をこそ作者は描き出したかったのではないか。

 ナスターシャの遊蕩的なふるまいは一過程に過ぎない。そういう彼女自身の内実をムイシュキンは知らないと、ナスターシャは見なす。ひとかたでない好感を抱きながら「世間知らずの坊や」とムイシュキンを揶揄する。だが読者はムイシュキンが半分くらいは、ナスターシャのそういう内実を見抜いていることが見て取れる、ただ、彼は彼の思想によって自殺願望などというものを認めたくはないのだろう。ナスターシャがロゴージンとともに自宅を出ていく際のムイシュキンと一同に向けて放つ捨てぜりふ。

「(前略)ねえ、あたしだってあなたみたいな人を夢見なかったわけじゃないのよ。あなたの言うとおりよ。あたしがまだ田舎のあの人のところに養われて、五年間もまったくのひとりぼっちで暮らしていたころ、あたしはよくあなたみたいな人を夢見ていたんだわ。よくよく考えて考えぬいて夢に描いてみると、正直で、人がよくて、親切で、そしてやっぱり少し間の抜けた人を想像したの。そんな人がいきなりやってきて『ナスターシャ・フィリポヴナ、あなたには罪はありませんよ、私はあなたを尊敬しています』と言うのよ。ええ、よくそんな空想に苦しめられて、気が変になりそうになることもあったわ……そんなところへあの人がやってきて、毎年二月ずつ泊まっていって、あたしに汚らわしい、恥ずかしい、腹の立つようなみだらなことをして帰っていったんです。――あたしは何べんも池へ身を投げようと思ったんですけれど、怖気づいてできなかったんです。さあ、今度こそ……ロゴージン、用意はいいの?」(p392~393)
 
 ナスターシャが田舎で空想した人はムイシュキンにぴったりかさなる。イエスに罪の無化を、許しを請うようではないか。だが空想のなかのその人は、イエスほどの権威も厳格さもない、宗教的指導者として集団も組まない、もっと隣人に近いやさしい人となりの持ち主だ。もっと秘やかなものだ。そしてナスターシャはそういう空想と願いをみずからの手で滅却しようとする。これは聖書に記された「再生」や「復活」への信仰を、親近感を抱きながらあえて捨て去ろうとすることに通じる。ここでも私はイエスの「地獄において身のみを滅ぼす人をおそれるな。身をも魂をも滅ぼす人をおそれなさい。」という言葉を思い出す。このイエスの言葉は難解だが、ナスターシャの志向はそのひとつの表れではないかと受け取れなくはない。またここまで書くと「さあ、今度こそ……」という彼女の言葉が、おもわず漏らした自殺の決意表明であることがわかるが、目だたない。ドストエフスキーが読者を引っぱり、興味をつなぎとめるために(読者を誤解させるために)、あえてこういう小さいセリフにとどめたのだろう。私も引用するまでは気がつかなかった。結局、ナスターシャはそういう自身の強固な志向にムイシュキンを巻き込みたくないという思いでいっぱいだ。それで、たいして好きでもなさそうなあらくれ男のロゴージンとともに遊行をつづけることになるのだが、ロゴージンという男は、これはこれでまた見せかけとは大きく食いちがう……。

 以上が第一編まで(全体の3分の1ほど)のあらすじであり、ムイシュキンとナスターシャの人物像に関する私の解釈である。この後も両者は接近と離別をくり返すことになる。結婚話が両者に、またナスターシャとロゴージンの間にも持ち上がっては消えるという展開がある。さらにはムイシュキンをめぐるナスターシャとアグリーラのつばぜり合いもある。ナスターシャがアグリーラに結婚相手としてムイシュキンを勧める手紙を何通も書く。これはムイシュキンを思っての真心から発されたのだが、アグリーラはわからないから、ナスターシャを自己陶酔があまりに強く、ムイシュキンに薄情だとなじることから勃発する。アグリーラは二十歳で、ムイシュキンの人物像にはミーハー的だが理解力はあり、あこがれてもいるが、ナスターシャに対しては理解が表面的だ……。だがムイシュキンとナスターシャの人物像の基本構図はずっと変わらないので、このあとのあらすじは追わないことにする。少しつけくわえておくと、第一編の舞台はペテルブルグで、ナスターシャの自宅での一件以来、彼女とロゴージンはモスクワ方面へ姿を消し、ムイシュキンもその後を追った。そして半年後、彼等は舞い戻ってくるのだが、主な舞台はペテルブルグの郊外の別荘地パーヴロフスクである。季節が夏に移行するからだ。エパンチン家の別荘があり、またレーベジェフという人物の別荘をムイシュキンが借り受けて暮らすことになる。だがその前に、ペテルブルグに帰ってまもなく、ムイシュキンはパルヒョン・ロゴージンを訪ねる。ここはこの長編小説では落としてはならない重要な部分だ。

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Comment
こちらにコメントさせていただきます。
>主題をとりだすならば、純粋無垢といわれるムイシュキンがヒロインのナスターシャを救うことができるかどうか
やはりそこに尽きるのですね、ちょうどこの大洋ボートの白痴の記事と照らし合わせながら『白痴』を読みすすめています。
大変参考になります。ありがとうございます。
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