大洋ボート

旅芸人の記録(1975/ギリシャ)

  贅沢な時間を過ごすことができた。4時間の長尺で休憩なしだからうとうとすることもあったが、疲れよりも幸福感のほうが勝った。人間とはこういうものなんだ、時によってはこうするしかないのだという運命を強く意識させられると同時にそれら人間=登場人物にたいするいとおしさがじわじわ形成された。そのいとおしさはたいへん穏やかでしかも堅固である。スケールも大きい。テオ・アンゲロプロス監督の映画作法の魔術にかかってしまったというほかない。
  悪人と呼ぶべき人もいる。また善人もいるが生活をしのいでいくためには汚れたことにも手を染めなければならない。悪人にしても変転する時代のなかで機転を利かせてうまく立ち回ろうとしたのであり、その動機はよくわかる。そういう悪人が彼一人ではなく、時代的傾向の一つであったと理解すべきだ。つまり悪人も善人もモラルの濃淡があったとしても懸命さをもって生きなければ生きていけないという思いを各々が抱いていた時代なのだ。1939年から1952年までの小国ギリシャの戦争とそれにつづく内戦の時代が背景で、10人前後の旅回りの小さな劇団の面々が主たる登場人部で、座長格の男の長女がヒロインのエレクトラ(女優名エヴァ・コタマニドゥ)である。
  物語らしい発端はヒロインが母と劇団の男との不倫現場に遭遇してしまうことだ。深夜、宿の外付けの廊下をゆっくり歩いていって父母の部屋をそっと覗いてみると父がいびきをかいている。だが母は不在で、目星をつけた男の部屋の前に行くと艶かしい声が漏れてくる。部屋の前で思わず泣き崩れてしまうヒロイン。あとで考えると以前から怪しんでいた様子である。以後の展開をみていくと父(夫)もまた長女よりも早くからそれを知っていて諦めていたかもしれないと思わせるものがある。この不倫現場目撃の場面だが、他の場面と同じくアンゲロプロス独特の長回しで、最初自分の部屋から出て靴音を響かせてゆっくりと廊下を歩み、やがて下の階へ階段を下りていってさらにそこの廊下をゆっくりと歩んで、という過程をたどる。実にじっくりとカメラが追随するのだ。この長さが「不倫」を視聴者にくっきりと刻み込む。やがて父はギリシャ軍に志願入隊するが、それを告げたときの母(妻)の高笑いに驚かされる。別れを悲しむどころではない。夫婦関係が終わっているどころか、この女、もはや壊れているなと思わずにはいられない。何故だろうか。不倫の相手の劇団員はどうやら親ナチスの立場であり、父とは相容れない。また融通が利かず貧乏劇団をやりつづけるしかない、そこについていくしかない夫や自分への嫌気が母を不倫に走らせたのかもしれないとも思わせる。しかしこれはわたしの推測でしかない。小説なら事細かな説明が施されてもよいのだが、また映画にしてもその種の説明をしたがる場合もあるが、この「不倫」に関しては説明的ではない。複数の映像と場面を記憶させ視聴者のなかでつなげあわさせることで、ああこうなんだろうなあと「説明」を超えて痛切に沁みわたらせる。アンゲロプロス監督の表現方法のすぐれたところである。また目先を変えて、俳優がカメラに正対してべったりした説明をながながする方法もとられる。
  母の不倫相手をヒロインは当然憎む。見る側の印象もけっしてよくない。その劇団員が父に代わって座長格に座ってもヒロインをはじめとして「旅芸人」をやめるわけではない。戦争中のことでギリシャ国民が総じて困窮に甘んじたのだろうか、おいそれと仕事が見つからないのか、それとも根っからの芝居好きなのか。衣装や道具の入った大きな鞄を抱えて町から町へと彼らは移動する。鶏が一羽、雪原にはぐれているのを発見すると彼らは嬉々としてとりかこむ。食用にするためだ。また売春やそれに似たこともあえてして糊口をしのぐ。このときの表現も巧みだ。不機嫌であろうヒロインはほとんど映さずに、ヒロインを見つめながらいそいそと脱衣し素裸になるまでの兵士を例によって長回しで映す。売春を逆の立場から見た表現で、男の表情は私自身に照らし合わせてもこういうものだと納得した、いや満喫したというべきか。しかしまた生きるとはたいへんなことなんだと慨嘆せずにはいられないのでもある。
  表現されるのは劇団員の生活だ。国中を移動し、宣伝の歌を高らかにうたい歩き、またことあるごとに歌や芝居の練習を繰りかえす。仕事であることは勿論、喜びや憂さ晴らしであろう。疲れや惰性でもあろう。その様子は固い芯棒として映画全編をつらぬいている。そして変転する時代との相関がある。ヒロインの弟はギリシャ軍からやがて戦後は共産ゲリラに転進する。また座長の男は戦後反共テロ組織と親密になるが、決定的なことを知らされてヒロインはついに座長の男への復讐に走る……。
  旅芸人のものだけではなく全編に歌が流れる。兵士の戦争疲れをみずから癒す歌であったり、戦後のアメリカの歌をおおっぴらに歌えることの喜びであったり、政治的プロパガンダの歌であったりと多種多彩だ。それぞれがひるむことなく自己主張する。反共組織の青年たちがソフトをかぶりスーツを着て町を練り歩きながら歌う場面もいい。アンゲロプロスは共産ゲリラに同情的かもしれないが、平等にあつかうということではなしに政治的連帯感のさなかにある者の喜びや高揚感は左右どちら側にも存在するということを言いたいのではないだろうか。私も右翼にこの点では共感できた。だが一方では、歌については「真実の歌」がどこにあるのかという問いかけをアンゲロプロスからなされているとも思った。
  印象に残った場面をもうひとつ記しておこう。ヒロインが共産ゲリラに連絡をとるために夜の街を歩く場面。警察官の巡回もあり、散歩を装うかのようにヒロインは町をゆっくりと歩く。まっくらななかで、ある建物の二階だけが煌々と明かりがともされ、やかましい管弦楽がもれてくる。戦後の解放感によるのだろう。やがて体をふらつかせた男女がそこから出てきて遠ざかる。ヒロインは画面の向こう側からこちら側へ歩いてくる。カメラは後ずさりするように移動してヒロインを遠景で撮りつづける。この間長回し。ヒロインがこれからやろうとしていることを忘れるではないが、映像美に魅せられた。一軒だけ明かりがともる夜の町の散歩、いいなあと思った。人間へのいとおしさとはじめの部分で記したが、それはこの映画の風景へのいとおしさにも重なるのだ。
★★★★★

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