大洋ボート

メリメ「カルメン」

カルメン (新潮文庫 (メ-1-1))カルメン (新潮文庫 (メ-1-1))
(1972/05)
メリメ

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  この小説は二十代前半に読んだことがあるが、そのときの印象としては恋愛することの途方もない恐ろしさ、とくに相手が性悪な人であるならば何処へ連れ去られるやもわからない、人生を棒にふってしまうかもしれないという恐ろしさを生々しくぶつけられた気がしたものだった。今回読んでみてもその印象は変わらないが、忘れていたことがずいぶんあった。また当時は理解できなかったであろうことの発見も多くあり、はじめて読んだに等しいのかもしれないとも思えた。
  軍隊の伍長の地位にあったドン・ホセは殺人容疑で監獄へ護送中だったカルメンを口説かれて逃してしまう。これがはじまりだ。彼はカルメンにひとめ惚れしてしまったのだ。彼は今でいうスポーツマンタイプであり、また軍隊における出世を夢見る謹厳実直な人柄であったが、おそらくカルメンは彼がそれまで目にした女性のすべてが問題にならないくらいの美貌の持ち主だった。ひとめ惚れとはドン・ホセの場合、その感情に金縛りにあってしまうことを意味する。自分では何もできないが当の相手に言い寄られることによって、その感情にやすやすと乗ってしまう。罪人を逃した罪で営倉送りにされるドン・ホセだが、思うのはカルメンのことばかりだ。カルメンからパンとそのなかに隠した脱走用のヤスリを差し入れられるが、それも彼の思いに火をつける。
  カルメンの側からいえば彼女はドン・ホセをだましたのではない。結婚するとか愛しているとかは言わない。ただ脱走したいがために甘く短く口説いただけだ。また彼女は美貌の持ち主であること、多くの男が彼女に頼みごとをされると無力であることを体験的に知っているので、ドン・ホセはそれら多くの男の一人であって、いつものように機転を効かせたのだ。カルメンが彼に「惚れた」のではまったくない。たぶんしばらく会わなければカルメンにとってはドン・ホセは忘れ去られる男だった。積極的なのはドン・ホセのほうだ。営倉を出たあと同じ街にいるであろうカルメンを探し出し、念願の肉体関係をもつにいたる。このときはじめてカルメンはドン・ホセが自分に深く執着していることを知ったのだろう。
  ドン・ホセの側から見ればカルメンは彼を手玉にとっていると見えるのかもしれないが、カルメンにとってはそうではなく、ただふしだらで不道徳でそのうえ陽気で、さらにそういう自分を正直にさらけ出すだけだ。男に肉体をさしだすことに咎める心はなく、悪党家業に資するとなれば喜んでやってのけるのだ。強盗、密輸、殺人などの悪党家業が楽しくてしようがなく、またその楽しさはいったん仲間になればすべての人がそれを共有できると思いこんでいる。ただドン・ホセだけが悪党になりきれない、彼女にとっては唯一の例外の人物であることがのちにわかる。このことを、そしてそれによってカルメンはドン・ホセという男をはげしく嫌悪することになるのだ。ドン・ホセはカルメンの肉体を手に入れ、カルメンの身近にいられるようになってもけっして楽しくはない。独占欲が強く(それだけ強く愛するがゆえに)嫉妬強く、カルメンと関係を持った男を、さらにカルメンの夫までもつぎつぎと殺害する。こうして彼は悪党団の首領にまで登りつめることになるが、望んだのではなくあれよあれよという間にそうなってしまったというべきだろう。だが悪党稼業には最後まで彼はなじめない。警官に追われている最中、彼は負傷した仲間を抱いて連れて行こうとするが、カルメンの夫であるガルシアが足手まといとして殺害するのみならず、人相をわからなくするために顔面に十発以上もの銃弾をぶちこむ。こういう残酷性をドン・ホセは本能的に受け入れられない。
  カルメンの最後の恋相手であり彼女が望みを託した闘牛士リュカスも競技中に重症を負い、カルメンを絶望させる。ドン・ホセは悪党から足を洗ってアメリカへ移住して二人で静かに暮らそうとカルメンを説得しようとするが、カルメンは断じて応じない。そんなことをするくらいなら死んだほうがましだと応酬する。これは口喧嘩の次元ではなく本気だ。ドン・ホセはカルメンを手にいれ独占するために人殺しをし札付きの悪党にもなった。やれることはすべてやった。だがその結果は途中では面白くてもカルメンにとっては地団太を踏んで余りあるくらいの、さらにそれを上回る絶望をもたらすものであった。私はカルメンが<殺せるものなら殺しなさい、どうせあなたはわたしを殺せはしない>と高をくくってドン・ホセに言い放ったのではないかとも解釈したが、そうではないと思い直した。カルメンにとってはドン・ホセという男が、つつましい堅気の生活が、つまらなくてどうしようもない。リュカスが負傷してからはドン・ホセから逃げようとする意欲も喪失してしまったのだ。
  どんなに献身しても自己犠牲をはらってもふりむいてくれない異性がいる。ここぞとばかりに利用はするが、その核心部分にはまったくの無関心であるばかりか唾棄する。それを知るために私たちはときには高い授業料を払わされるが、この小説はそういうことの典型例である。ドン・ホセは授業料どころか人生を棒にふってしまい処刑場に消えることになった。彼がカルメンを殺害するのは最後にのこされた憐憫を蹴飛ばされたから、全人格を否定されたからだと受け取るしかないだろう。ドン・ホセの怨みつらみは作者メリメによってそれほどドロドロとは書かれていない。上澄み液のさらさら感さえあり、好感がもてる。
  語り手は考古学や民俗学の調査のためにスペインを旅行する学者のようだが、ドン・ホセの独白に入る前に、メリメは語り手にドン・ホセとカルメンとに遭遇させている。ドン・ホセはすでに指名手配された悪党になりはてているが、その義理堅さをやさしさを印象づける。またカルメンはジプシー独特の色黒い肌ではあるが、非常な美人であり男性になれなれしく少し下品であったという記憶を、語り手に刻みつける。この序章の部分が読者にカルメンとドン・ホセのいうなれば予備知識をあたえてくれて効果的だ。
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