大洋ボート

欲望とは

  私は何がしたいのか。長い間にわたって自問を繰りかえしてきた気がするが、いまだにもってよくわからない。金銭、性、名誉、出世、道徳、知識、冒険、思いつくままに挙げてみて、いろんな方面に私の欲望と興味をそそる材料があるように思えもするが、どれかひとつをとって、そこに時間と精力をそそいでみろといわれたところですぐさま応答することができない。ひとつを撰んでしまうと、欲望の全体のかなりの部分が欠損してしまいそうな危惧がある。かといって対象になりうるすべての分野を同時的に獲得しようとして、それに値する、手を染めるに足る行動手段があるとも思えない。そんなことは不可能だろう。全面的に獲得できないまでもそこそこの獲得を実現できたならば満足すべきだという意見なら、それは私も承知のうえであり、すでに私はそうしたことをある程度は実現しているのであり、ここではその種の処世訓めいたことについて書きたいのではない。
  私は何がしたいのか。というよりも、したいという直前段階の欲望の根源性がよく見えない。上に挙げた事例には付け足すべきものがあることに思いあたる。友情、愛、神、公共的精神などなど、あらたな分野もあるが、かさなりそうな部分もある。付け足した部分もふくめて、それらすべての分野によき影響を及ぼしうる私のあるべきひとつの実践、そんなことを長い間、あれやこれやと夢や空想や荒唐無稽さもとりまぜて頭に思い浮かべてきた。それほど真剣ではなく、ぼんやりとした時間に漂うことが大部分だったかもしれない。だが長い期間、こういうことに時間を費やしてきただけに、個人的には看過してしまうには惜しい問題意識である。逆にこういう問題意識にこだわってきたために、出世のような現世的欲望をおろそかにしてしまったつけができたのかもしれない。
  高校生のころ、私は左翼であった。革命が根源的欲望であり、そのための日々の活動が欲望を実現させることだと考えて、迷うことなくのめりこんでいた。左翼をやめたあとも「根源的欲望」の影だけは残った。その影にふたたび中身を別のもので充填させようと踠きもしたのだったが。革命とは、それだけではないにしても破壊を不可避的に伴うものである。私の欲望に形を与えるべき空想にもこの破壊的要素は侵入した。「革命」という手近な材料があったために私は、空想だという断りをいれたうえでこれを許した。だが空想なだけに私にとってはシミュレーション以上ではなく、迫真性はなかった。空想をさらに深刻にすることにも熱心になれなかった。だが、この破壊性を「欲望の器」から除去すべきであるという判断にもなかなか移行できずに、私は長い間、だらだらしていたのである。さても、根源的欲望への思いは、生きている間は私にまとわりついてきそうだ。
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